ウクルインフォルムで第二次世界大戦下・戦後のキーウの写真展開催

ウクルインフォルムで第二次世界大戦下・戦後のキーウの写真展開催

写真
ウクルインフォルム
ウクルインフォルムの建物の屋外に面した展示スペースにて、「第二次世界大戦の際のキーウ 破壊と復興」と題されたアーカイブ写真展が開催されている。

展示には、ウクルインフォルム所蔵の写真アーカイブの内、これまであまり公開されていなかった1944年の写真が含まれる。

チェレヴァティー・ウクルインフォルム総裁は、「現在、ウクライナの首都は、ロシア連邦からの数多くの空撃を受けている。キーウを破壊したのはロシア人が初めてではないし、ロシア人がキーウを破壊するのも初めてではない。終戦から80年となるが、その第二次世界大戦時、ヒトラーとスターリンの政権がその破壊を行ったのだ。町は、破壊から再建されたが、貴重な建物が多く失われた。ウクルインフォルムの写真アーカイブの写真では、フレシチャーティク(編集注:目抜通りの名前)をはじめ、キーウの破壊の規模がどのようなものだったかが見られる」と発言した。

また同氏は、キーウの歴史的中心部は、ソ連軍がキーウから退却した時と、ドイツの占領・解放の時の2段階で破壊されたと指摘した。

なお、第二次世界大戦当時、戦闘により、キーウの歴史建築物、行政庁舎、企業、住宅の多くが破壊されていた。

キーウの復興は、多大な努力と資源を要する壮大で複雑なプロセスとなった。復興は1944年の春、町や近隣の村の住民、学校の生徒や大学生、軍人や捕虜の参加を得て、多くの瓦礫を取り除くことから始まった。

目抜通り「フレシチャーティク」の再建は、1956年に終了。戦前は35メートルだったこの通りは、75メートルに拡張された。他方、通りの見た目は、戦前の姿とは異なる「スターリン帝国式」のものにされた。

写真展は、キーウ市内ボフダナ・フメリニツィコホ通り8/16の、ウクルインフォルムの建物の通りに面したガラス張りの壁面で開催されている。


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