
ウクライナ南部で中世のアラビア文字の書かれた銀貨が発掘される
銀貨は、ザポリッジャの歴史文化施設「ザポロッジャ・シーチ」で公開された。ウクルインフォルムの記者が伝えた。
国立歴史保護地区「ホルティツャ」のスヴィドラン広報課上級管理人は、「ドニプロ川沿岸モニタリングの際に、私たちは、最初1枚の硬貨を見つけ、それを分析し始めた。それは、銀で鋳造されたものだった。面白い発見だった。そのような銀貨は単体で置かれていることはなく、通常は財宝か、なくなった硬貨袋であることが多い。その場所を再度調べたところ、私たちはさらに45枚の銀貨を発見した。合計で9〜10世紀の硬貨を46枚発見した。それらは、石の間に散らばっていた。おそらく、それは硬貨袋だったのだろうが、それは残っていない」と説明した。

また同氏は、保護地区にとって、これはユニークな発見であって、ルーシの時代にこの地域を通っていた交易路の活発さを示すものだと指摘した。同氏によれば、当時の交易路の内最も重要だったのが、ドニプロ川沿いの「ヴァリャーグからギリシャへの道」であり、黒海とバルト海を結ぶものだったという。
研究者たちは、ザポリッジャでアラブの硬貨が見つかったのは初めてのことだと述べた。

「ザポロッジャ・シーチ」での中世の硬貨公開 写真:ドミトロー・スモリイェンコ
硬貨にはアラビア文字が書かれている。その硬貨は、中世のディルハム型で、中央アジアでアラブのカリフ国家が消滅してから、819年から999年まで存在したサーマーン朝国家のものだという。
保護地区のトゥボリツェウ主任研究員は、最初に発見された5枚の硬貨は写真をクラクフの専門家に送ったとし、「専門家が、その硬貨が932〜950年にかけてのものだと特定した」と伝えた。そして同氏は、当時1ディルハムで「18匹のテンの毛皮」が取り引きされていたと補足した。
発見された硬貨の半分以上が非常に良い状態だという。修復作業を担うデニセンコ氏は、同僚と共に2か月間にわたり修復作業を行ったと述べた。
今後は、硬貨の鋳造地の分析や展示を行うことが計画されているという。
これに先立ち、2023年6月6日、ロシア軍がカホウカ水力発電所のダムを爆破していた。これにより、その後ドニプロ川両岸の自治体が水没。公式情報で、32人が死亡したことが判明しているが、ヘルソン州左岸の被占領地での死者数は判明していない。