ロシアの対ウクライナ全面侵攻開始から4周年に際してのゼレンシキー大統領メッセージ【日本語全訳】

ロシアの対ウクライナ全面侵攻開始から4周年に際してのゼレンシキー大統領メッセージ【日本語全訳】

動画
ウクルインフォルム
ウクライナのゼレンシキー大統領は2月24日、ロシアによる全面侵攻が始まってから4年が経過したことを受けて、ウクライナ国民に対する呼びかけを行った。

大統領府がゼレンシキー大統領の動画メッセージを公開した。ウクルインフォルムによる日本語全訳は以下のとおり。


親愛なるウクライナ国民よ!

今日で、プーチンが3日間でキーウを制圧し出して、ちょうど4年になる。そしてそれは、私たちの抵抗、そしてその期間ウクライナがいかに戦い続けてきたかについて、実に多くを物語っている。その言葉の背後には、何百万もの私たちの人々がいる。大きな勇気、とても困難な活動、忍耐、2月24日からウクライナが歩んできた偉大な道のりがある。

大統領府の地下室にあるこの執務室、この小さな部屋こそが、戦争開始直後に私が世界のリーダーたちと最初の対話を行った場所だ。私はここでバイデン大統領と話し、正にここで「ヴォロディーミル、危険だ。至急ウクライナを離れなければならない。私たちはそのための支援の用意がある」という言葉を聞いた。そして私はここで、「必要なのは武器であって、タクシーではない」と答えた。

それは、私たち皆が、恐れを知らないわけでも、鋼鉄の心を持っているからでもない。私たちは皆、生きた人間だ。あの日、私たち全員、ウクライナ人皆が、恐ろしく、苦しく、多くの人がショックを受け、何を言うべきか分からない人も多かった。しかし、どこか…どこか目に見えないレベルで、私たちには「代わりのウクライナなど存在しない」ということを理解していたのだ。ここは私たちの家である。そして、皆が何をすべきか理解していた。

それは選択であった。あの日、何百万人のウクライナ人が下した選択だ。私たちの人々は白旗を揚げるのではなく、青と黄色の旗を守った。ここで花束を持った人々の行列に迎えられると思っていた占領者たちは、軍徴兵施設への行列を目にすることとなった。私たちの人々は抵抗を選んだ。そして私たちの戦士たちは強固に立ち、市民は町を守り、村や通り、中庭を守った。全くの一般の人々が、人間の壁となって装甲車の列を止めた。そして皆が一緒に、道に迷ったロシアに対し、唯一の正しい進むべき道を指し示したのだ。

日々の「明日」は自ら勝ち取らねばならないということを、誰もが理解していた。ウクライナは何があろうと立っていなければならず、国家は存続しなければならなかった。そして、何があっても私たちのウクライナは機能しなければならなかった。多くのことが正にここで行われた。私たちはこれまで一度もこの施設を見せたことはなかった。今は当然空であるが、戦争初期には…、戦争初期には、ここには数百人の人々がいた。

私はここで働き、それから地上へ上がり、あなた方に、人々に呼びかけた。ここには私たちのチーム、政府がおり、軍との日々の会議、電話、解決策の模索、ウクライナが耐え抜くために必要なすべてのことが行われていた。武器を届けなければならなかった。敵に封鎖された都市に、薬や食料を届けた。ウクライナがこれほど必死に戦っている、その「命」を続かせるために。

正直なところ、色々なことがあった。ここでは公式な言葉も、文学的ではない言葉も飛び交った。なぜなら、支援パッケージの一つ一つ、対露制裁の一つ一つ、武器パッケージの一つ一つ、その全てを、本当に、本当に死に物狂いで勝ち取らねばならなかったからだ。ウクライナへの信頼を勝ち取るために。世界を関与させるために。

そして、それが欧州諸国、米議会、世界の大半の議会への主要なメッセージであった。そして人々へ、当然、普通の人々へ、世界中の何百万人の人々へ向けたものでもあった。「私たちと一緒にいてください、ウクライナと共にいてください、私たちを信じてください。Stand with Ukraine, be brave like Ukraine!」

その呼びかけは功を奏した。なぜなら、ウクライナ人が息を呑むような戦いを示したからだ。その抵抗は宇宙からすら見えた。それは人々を鼓舞し、やがて誰もが青と黄色の海、欧州や世界の広場に私たちの旗を掲げた何千もの人々の姿を目にすることとなった。

そうして、少しずつ、困難を伴いながらも、一歩ずつ、煉瓦を積むように、ウクライナは持ちこたえるための支柱を築いた。人生で最も長い戦争の初日を耐え抜いた時。それから、もう1日。さらにもう1日。そして1週間。2週間。そして…1か月。私たちは春を目にした。

あの2月は永遠に終わらないのではないかと思われた時に、私たちは春を勝ち取ったのだ。私たちは、大戦争の中で、最初の春を得た。それが転換点であったし、その時初めて、皆の心にある思いがよぎった。「できる。ウクライナにはできる。」

私は、当時誰もが拡散していたフレーズがとても好きである。それは、全面戦争の第一段階の、ある種の総括のような内容だった。ウクライナはこう言った。「私が膝をついたと思っているのか? 私はただ、軍靴の紐を結んだだけだ。」

そして、その先に道が続いた。この(編集注:大統領府の地下の)長いトンネルの中でも、ウクライナがこの間に経験した痛みの百万分の一も収めることはできない。ロシアが私たちのあらゆる家族に、全てのウクライナ人の心にもたらした痛みだ。

ブチャ。イルピン。ボロジャンカ。集団墓地。ホストメリ。「ムリーヤ」。ハルキウ。ミコライウ。州行政府庁舎。カホウカ・ダム。ザポリッジャ原子力発電所。クレメンチューク。クリヴィー・リフ。テルノーピリ。リヴィウ。オレニウカ。チャシウ・ヤル。キーウ。「オフマディト」。クラマトルシク。駅。ぬいぐるみ。マリウポリ。劇場。「子供たち」の文字。オデーサ。集合住宅。少女。生後3か月。ヴィリニャンシク。参加病院。乳児。生後2日…。

男たちはあのような戦い方はしない。人間はあのようなことはしない。ウクライナ人はこれを忘れない。良心の呵責を感じることなく、未だにロシアの悪に手を差し伸べ、未だにプーチンから石油を買っている全ての人に、これらの映像を見せてやろう。

しかし、この間ずっと、私たちは怒りに自分を内側から食い尽くされることを許してはいない。ウクライナ人は自らの怒りを戦うためのエネルギーへと変え、次のことを証明している。「私たちを避難所に閉じ込めることはできても、ウクライナを永遠に地下に追いやることはできない」と。私たちは必ず立ち上がり、戻り、戦い続ける。なぜなら、私たちは命のために戦っているからだ。自らの土地に立ち、自らの空気を吸う権利のために。そしてウクライナは、何があっても空襲警報の解除後に地上へ上がる時のあの感覚、防空壕から私たちと共に希望が湧き上がり、ウクライナの旗が掲げられている場所、本来あるべき場所へと戻る度に、常に空へと舞い上がるあの感覚をよく知っている。

それが私たちの戦いの次の重要な段階だ。ウクライナがただ耐え、ただ防衛を維持するだけでなく、反撃する段階だ。都市全体が歴史を作った時。英雄都市。前進した英雄たちの町。最初の攻勢、最初の成功、そして決して忘れることのできないこと。「自分の側の人々」を待ちわびていたウクライナ人たちの最初の目。バラクリヤ、イジューム、クプヤンシク、ヘルソン。誰もが、占領者がキーウ州、スーミ州、チェルニヒウ州からどのように追い出されるのを目にした。そして誰もが、敵にとっての「ウクライナ風あの世行きテレポート」となったチョルノバイウカを知ることとなった。ロシアの最後通牒が「善意の印」へと変わるのを見た。ズミーニー島が再び私たちのものとなったのもだ。

「バボウナ」という言葉が新しい意味を持ち、ロシアで最初の「バボウナ」(編集注:爆発)の音が聞こえた時、私たちはいかに喜んだことだろう。それは嫌味な喜びではなく、ウクライナ語では「正義」がそのように聞こえるというだけのことだ。「ストゥフナ」、「ヴィリハ」、「ネプトゥーン」の音、巡洋艦「モスクワ」が沈む轟音。それは、最初は「出来事」であったが、その後「伝統」となった。

そして、燃え盛る敵の軍事施設や石油精製所の映像ほど、ウクライナ人の心を温めるものは、他にはほとんどない。それが初めて起きた時は大ニュースであった。今では、ほぼ毎日のことである。

以前は幻想だと思われていたことが、今では日常となっている。「パトリオット」「アイリス」「ナサムス」「F16」。そしてそれ以上のもの。私たちの武器、私たちの長距離兵器。

認識してほしい。ウクライナは、防弾衣を提供されていた地点から、自分で年間300万台以上のFPV無人機を製造する地点まで到達したのだ。「ジャベリン」や「バイラクタル」に夢中になっていた時代から、自分たちの「シーチェニ」「ホール」「ヴァンピル」「パリャヌィツャ」「ペクロ」「ルータ」「フラミンゴ」を手にする日まで。「空を閉じてくれ」という懇願から、一晩に数百機の「シャヘド」を撃墜できる能力まで。キーウの通りのチェコのハリネズミや要塞から、クルスク作戦や「パヴティーナ」まで到達したのだ。

しかし、それでもまだ不十分だ。私たちはさらに多くのことを行っていく。なぜなら、残念ながら、ロシアは止まっておらず、平和に対して、私たちに対して、人々に対して、あらゆる手段で戦っているからだ。

プーチンは戦場でウクライナに勝つことができないと理解し、「世界第2の軍隊」は集合住宅や発電所と戦っている。そして今、ウクライナ人は歴史上最も過酷な冬を乗り越えようとしている。ほぼ毎晩のテロ。これに耐え、倒れず、揺るぎもしない者が他にいるのだろうか、私には分からない。ウクライナ人はそれをやってのけている。それは間違いなく、大きな疲労だ。他にどこの民がこれほどのことができるだろうか? 戦争、これら全ての攻撃、全ての試練にもかかわらず、悪に勝ち、不信や絶望に打ち勝つ。耐え抜く。団結して耐え抜く。

そして、その全ての際に、あらゆる場所で結果を出している。攻撃がある度に復旧する。その度に私たちの防空システムにミサイルを補充する。毎朝仕事に行く。常に陣地を維持する。世界と対等に話す。EU候補国の地位を獲得し、何千人もの捕虜を家に帰す。ダボスから国連まで、あらゆる国際舞台を親ウクライナにする。世界におけるウクライナの声を大きく響かせ、「ユーロビジョン」で勝ち、「オスカー」や「バフタ」を手にし、ボクシングの絶対的な世界チャンピオンとなり、ウクライナ人が最高純度の誇りを持っていることを証明する。あの背骨なきIOCのどんな金メダルよりも、はるかに高価な誇りだ。

そうした一つ一つの行動、それら歩み全て、成果、小さな勝利の積み重ねが、偉大なウクライナを構成している。あなたがいるからこそ、偉大なのだ。地球に鼓舞する人々がいるからだ。

私たちは、この戦争の初期に最初の外国首脳たちがウクライナに到着した時のことを覚えている。「公式訪問」という言葉では、それらの会談が私たちにとって何であったかを微塵も伝えることはできない。私たちは、誰が本当に兄弟であり友人なのか、誰が恐れず、ためらわず、名前を保ち、「プーチンを怒らせないか」などと心配しないのが誰かを知ることになった。歴史の光の当たる側を選んだ、ウクライナを選んだ全てのリーダーに感謝したい。欧州、米国、カナダ、日本、オーストラリア。私たちと一緒にいてくれている全ての人にだ。

そして私は、いつか米国大統領と一緒ににここへ来たいと強く願っている。私は確信している。ウクライナを訪れ、私たちの生活と戦いを自身の目で見て、私たちの人々、この痛みの海を感じてこそ、この戦争が本当は何なのかを理解できるのだと。そして誰のせいなのか、誰が侵略者なのか、誰に圧力をかけるべきかを。ウクライナが命を守り、正にそのために戦っていることを理解するのだと思う。これは町中の殴り合いではない。病んだ国家による主権国家への攻撃だ。そして、プーチンがこの戦争そのものであると理解するだろう。彼こそが戦争開始の原因であり、戦争終結の障害だ。真の平和を実現するためには、ロシアをこそ然るべき場所に据えねばならない。

「時が解決する」と言われる。私はそれには確信がない。少なくとも、私たちの全ての傷を癒すのにどれほどの時間が必要か、私には分からない。内側を焦がすような「どれだけ?」という痛切な問いの数々。どれほどの涙が流れただろうか? どれほどの攻撃、卑劣な打撃があっただろうか? 心の中にどれほどの傷跡があるだろうか? 私たちの墓地にはどれほどの旗があるのか? どれほどの名前があるのだろうか?

ダ・ヴィンチ。フレンカ。ジュース。ジェカ。ティーヒー。ノルド。ペトリチェンコ。マツィイェウシキー。水平ヴィタリー・スカクン。操縦士オレクサンドル・オクサンチェンコ。ダリヤ・ロパチナ、デリタ。ラーナ・チョルノホルシカ、サチ。ユリヤ・ベレジューク。マルハリータ・ポロヴィンコ。ウクライナが生き延びるために命を捧げた、何千、何万もの英雄たち。私たちの防衛者。私たちの守護天使たちだ。

彼らはきっと、神にこの戦争の真実の全てを語ったに違いない。私たちがいかに守っているかを。自らの土地、命、独立、自らの文化、歴史、聖ソフィア、自分の人々のことを守っているかについてを。全面戦争から1462日。ロシアの侵略開始から12年。誰かにとっては一生分の時間だ。間違いなく、私たちは皆、戦争が終わることを望んでいる。しかし、ウクライナが終わることは誰も許さない。私たちは平和を望んでいる。強く、尊厳ある、永続的な平和を。

そして、各交渉ラウンドの前に、私は私たちのチームに非常に明確な指令を与えている。それは常に非公開の命令として出されるが、私の主要なメッセージを伝えても国家機密の漏洩にはならない。それは「これまでの年月を無にしないこと、これまでの全ての戦い、勇気、尊厳、ウクライナが歩んできた道のりすべてを無価値にしないこと」だ。これらを明け渡したり、忘れたり、裏切ったりしてはいけない。だからこそ、これほど多くの交渉があり、言葉の一つ一つ、項目の一つ一つ、合意を強固なものとするための真の安全の保証を巡る戦いが行われている。歴史は私たちを注視している。合意は単に署名されるだけでなく、受け入れられなければならない。ウクライナ人によって受け入れられなければならないのだ。

親愛なる国民よ!

この年月、私たちを支えてきた力、それはあなたたち、私たちの人々である。私たちの抵抗、それはあなたたちだ。ウクライナの男性、女性。屈しない一人一人の人。私たちの目は疲れているかもしれないが、背中は揺らいでいない。独立をその肩に背負っている一人一人に感謝したい。全ての戦士のその強さに感謝したい。あなた方の両親、子供、妻、夫に、その忍耐につき感謝する。自らの仕事によってウクライナを強くしてくれている一人一人に感謝する。私たちの家に光と暖房を取り戻している人々に。治療し、ボランティアをし、教育をしている人々に。大学や学校で学んでいる人々に。そこで最も重要なこと、すなわち「人間であること」「ウクライナ人であること」を学んでいる人々に。私はあなた方を誇りに思っている。私は一人一人を信じている。誇張なく、私が語りかける光栄を得ている、全ての人をだ。偉大なウクライナの偉大な国民よ。

侵攻の開始を思い返し、今日という日を見つめる時、私たちは次のように述べる完全な権利を持っている。「私たちは独立を守り抜いた。国家を失わなかった。ウクライナは存在するし、それは単に地図上のことだけではない」と。ウクライナは国際関係の主体である。私たちの首都は存在し、ハルキウ、スーミ、チェルニヒウ、ドニプロ、ザポリッジャ、クラマトルシク、オデーサ、リヴィウ、その他の都市も存在し続けている。プーチンは目的を達成できなかった。ウクライナ人を挫けさせることはできなかった。この戦争で勝つことができなかった。私たちはウクライナを守り抜いた。そして、平和を勝ち取るために、正義を実現するために、私たちはあらゆることを行う。

春まであと一週間足らずだ。私たちは歴史上最も苦しい冬を乗り越えつつある。それは事実だ。そして、それはとても困難だ。あなた方全員にとって苦しいことだ。しかし、戦争の初日と同じように、私たちは自分たちの明日を築き続けている。一歩ずつ、仕事の一つ一つ、成果の一つ一つを積み重ねて。そして、一つ一つの結果、一つ一つの成功、「ウクライナは実現できた」という言葉の一つ一つが、あなた方全員の功績だ。ウクライナ国民の功績なのだ。

ウクライナに栄光あれ!


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