ソ連式の儀式と女性の新たな連帯の間の3月8日

ソ連式の儀式と女性の新たな連帯の間の3月8日

ウクルインフォルム
私たちは、ソ連式「春の祭典」を最終的に解体し、戦時下において、3月8日に本来の「人権擁護」という中身を取り戻すことができるだろうか。

執筆者:ヤリーナ・スクラチウスカ(キーウ)

ほんの数年前まで、ウクライナの町々では、3月8日の前は「花屋にとって第2の職業お祝いの日」と呼ばれていた。このジョークには大きな本質がある。通りはチューリップやミモザ、水仙のバケツであふれ、公共交通機関の中は様々な「ステータス」で埋め尽くされていた。というのも、ある者は誇らしげに高価な花束や包みを抱え、一方である者はたった一輪の花を手にしているだけだからだ。それは、私たちがソ連時代の過去から受け継いだ「春と美しい性(女性)の日」への予感を示すものであった。同時に、花や贈り物への期待ではなく、女性の日と女性の権利についてより深く考えるよう求めるフェミニストたちの呼びかけは、「花を花壇に、権利を女性に」というスローガンに結実している。

「花は花壇に、権利は女性に」3月8日のキーウの「女性の行進」 写真:ユリヤ・オウシャンニコヴァ/ウクルインフォルム
「花は花壇に、権利は女性に」3月8日のキーウの「女性の行進」 写真:ユリヤ・オウシャンニコヴァ/ウクルインフォルム

ただし、以前ならそれは多くの人々から、お祭り気分を台無しにする「左派的」な悪趣味として受け止められていた。著者はかつて、キーウの中心部で「女性の行進」が警察の厳重な護衛を受けているのを目撃したことがある。当時、参加者たちは警察に伴われて地下鉄へと誘導され、行進参加者が無傷で帰宅できるよう、他の乗客は一時的に遮断されていた。21世紀の欧州におけるそれは、シュールなコントラストのように見えた。一方では、「優雅さと美しさ」という不滅のマーケティングがあり、他方では、人権について語るために通りに出た人々への現実的な危険と隔離があったのだ。

しかし現在、祝辞や花、お祝いを伴う「祝日」としてのイメージは、世論において人気を失いつつあるように思える。少なくとも、調査グループ「レイティング」の世論調査結果はその傾向を裏付けている。3月8日を祝う用意があると答えるウクライナ人は年々減少しており、今年の調査ではその割合は回答者の45%にとどまった。反対に、半数以上の52%がこの日を「祝わない」と答えている。比較のために挙げれば、5年前(2021年2月)には、ほぼ「憲法改正可能」レベルの多数、68%が3月8日を祝う準備があると答えていたのだ。

表:レイティング
表:レイティング

だが、「春の祭典」に代わって、この日の本来の意味である「人権擁護」が定着するかどうかはまだ分からない。その点で役に立ち得るのは、「私たちは何を祝い、何を記念するのか」というシンプルで明確な定義の国民的対話だろう。今のところ、答えは聞こえてこないが、関心を持つ人々の声を聞いてみよう。

私はソーシャルメディアでソ連時代の3月8日について、何を連想するか尋ねてみた。寄せられた回答は、私たちの共通のトラウマとノスタルジーからなる、多彩だが、かなり典型的なイメージを描き出した。

ある人にとって、この日は「温かい家族の儀式」として記憶に残っている。ジャーナリストのナジーヤ・ズヴャヒナ氏は、チューリップと、自分と母が買い物に出かけている間に朝食を準備してくれた父のことを回想する。ボランティアのナタルカ・ポズニャク氏も、父から贈られた朝のチューリップという、似たような明るい場面を描く。しかし、そこには既に子供心に感じた戸惑いの芽も見え隠れしている。作家で編集者のマリーナ・ムリャル氏は、内面的な苦しみを覚えながらも、「手芸のできる行儀の良い女の子」であろうとして、肘まで糊まみれになりながら母へのカードを作ったと回顧する。

他方で、多くのコメントは、ウクルインフォルムの同僚のオリハ・デムチェンコ氏が書いた「汚れて、解けかかった雪」のような美学を反映している。プラスチックのカップに注がれた安物のシャンパンや、萎れたミモザの記憶だ。実業家のセルヒー・バジク氏やマナー専門家のビロコニ=ソクリシカ氏は、その香りはシンプルに「ミモザ」だという。香り高く繊細なミモザは、同時に多くの人にとっては、ある時代の象徴となっている。

そのミモザの背後には、しばしば無関心や、露骨なミソジニーが隠れていた。戦死した軍人の未亡人で講師のオレーナ・ビロウスは、「子供たちが母のために床を掃く家」にだけ「母の祝日」がやってくるという内容のソ連の詩を思い出すという。この「年に一度だけ(3月8日に)母を助ける」というアイデアは、家族の中で、家事の唯一の責任者としての女性の地位を強固に固定してしまった。

特に多くの投稿者が言及したのが、職場や学校での「集団」のお祝いだ。児童文学作家のジルカ・メンザチュク氏は、「プレゼントされたお粗末なカーネーションを思い出す。私はいつもそれを職場に置いて帰った。その『一括』のお祝いが恥ずかしかったからだ。女性である私が、誰かにとって唯一無二の存在になれないかのようだった」と語る。

この「一括購入感」についてはジャーナリストのヤリーナ・レウチューク氏も認めており、2月23日(編集注:ソ連の「祖国防衛者の日」)のお返しとして、クラスメートから義務的に贈られたプレゼントを回想する。社会学者のリュドミラ・マレス氏は、次のような見覚えのある光景を描き出す。輪ゴムで束ねられたチューリップ、酔っ払った男たち、そして休む代わりにせっせとサラダを刻みサンドイッチを作る女性たちだ。作家のオリハ・リンク=コルドゥン氏は、今でも満員バスの混雑を思い出して身震いするという。そこでは、泥酔した男たちが惨めな姿の花束を手にしながら、当時小さく痩せていたリンク=コルドゥン氏の肋骨を折りかねない勢いだったという。「3月8日は大嫌い。家で祝ったことは一度もない。ミモザやカーネーションといった祝日の象徴は今でも嫌いだ。ブルブル。」

ラジオジャーナリストのオリハ・バヴディス氏は、こうした花の祝日の根強さは、当時肯定的な感情や注意が決定的に不足していたことと結びついたものだと、冷静に指摘する。同時に、今、ウクライナは戦争という試練を経験している中で、この「注意」は変容しつつある。

時間が経過する中で、ジャーナリストのマリヤ・ピンチュク氏は、3月8日に「女性を家事労働から解放させる」というスローガンは、むしろステレオタイプを押し付け、不平等を固定化しようとする試みだと指摘する。「既に70〜80年代の時点で、それは平等な権利や女性への敬意についてでは全くなく、かなりステレオタイプ化された定型パターンの日となっていた」とし、「女性が平等な権利のために闘う日には存在する権利がある。しかし、それは決して『春』や『美』、『女性』の祭典ではない」と指摘する。

しかし、こうした合唱の中で、前述のリュドミラ・マレス教授から重要な問いが投げかけられる。「なぜ私たちは、この日を『ソ連の祝日』と呼ぶことにこれほど乗り気で同意し、140年以上の歴史を持つ国際的な運動の所有権を敵に明け渡してしまうのだろうか?』この問いこそ、現代の私たちにとって鍵となるものだろう。

オリハ・カルペンコ氏は、自身の農村での子供時代を振り返り、「なぜかこの祝日が嫌いだ。農村ではお祝いどころではなく、見せかけばかりだったからかもしれない」と語るが、そのような空虚なスローガンや「見せかけ」は最終的に死に絶えつつある。その場所に残るのは、静寂か、あるいはミモザや甘ったるいお祝いの画像を必要としない、真の連帯だ。では、一体何を祝うのか?

一体、何を祝っているのか?

なぜソ連の3月8日が、平等やジェンダー問題を克服し議論する代わりに「春・花・美」という連想の連鎖へと変貌したかを理解するには、残りの364日間に台所で何が起きていたかを見てみる必要がある。「細部のジェンダー」のタマーラ・ズロビナ代表は、その「焦点ずらし」はソ連のイデオロギー工作の一部であり、意味を操作する巧妙なメカニズムであったと解説する。

タマーラ・ズロビナ氏 写真:本人提供
タマーラ・ズロビナ氏 写真:本人提供

ズロビナ氏にとって、ソ連及び旧ソ連の「女性の日」の伝統は常に不条理に満ちていたという。数十年の間、この日は男性の指導者や政治家たちが演壇に立ち、「私たちの女性諸君! 君たちは最もしとやかで美しい」といった大げさな演説を繰り広げる日であった。ズロビナ氏は、その言語構造そのものに「女性は所有物であり、一年に一度ショーケースに並べられてお世辞を言われる職場の装飾品である」という、滲み出る「上から目線」を看取している。しかし同時に、女性たち自身がいかにこの日を待ち望み、その儀式が行われないといかに心から悲しんでいたかという事実も認めざるを得ない。

なぜこの「祝日」がこれほど望まれるようになったのかという問いに対し、ズロビナ氏は、かつて西部チェルニウツィーのフェミニストたちが用いた隠喩に答えを見出している。当時、彼女たちは、「馬のマルタ」という活動を実施した。それは、一年に一度、厩舎から連れ出され、体を洗われ、美味しいものを与えられ、一年間の重労働への感謝の印として頭に花輪を載せられる家畜の比喩である。

ズロビナ氏は、「ある年配の同僚が、誇らしげにこう話していたのを思い出す。3月8日には夫と息子が朝食を作り、(彼女は特にここを強調していたが)皿を洗ってくれるのだと。それを聞いて私は思った。では、他の日には彼らは皿を洗わないということだろうか、と。」

「ソ連において、そして現代ウクライナでもしばしばそうだが、女性は家事労働に忙殺されている。ケア労働の70〜90%が女性にのしかかっているのだ。この終わりのない『家事マラソン』が女性だけの義務だとみなされている状況において、花を一輪贈られ、代わりに皿を洗ってもらえる一日は、確かに天国のように思えるかもしれない。それは、女性の労働がいかに年間を通じて評価されていないかを示す、非常に悲しい指標である」。

同時に、このソ連の「祝日遺産」は、残念ながら、多くの人々にとっては、「左派」イデオロギーだという警戒心を抱かせるものとなっている。現在、ウクライナでは3月8日がしばしば無視されたり、「左派的」あるいは単に「ソ連的」な祝日であるとの烙印を貼られたりしている。ズロビナ氏は、政治的グラデーションを恐れず、イデオロギーを区別するよう呼びかけている。彼女は、ウクライナにおいて「左派」という言葉が恐ろしいものに変わってしまったのは、長い間その看板の下で、実際は人権に無関心な、親露派やソ連懐古主義勢力が活動していたからに過ぎないとの見方を示す。

真の左派思想は現在、欧州において具体化されており、私たち誰もが該当する、労働者に対する正当な賃金の支払いなどに関わるものである。とはいえ、3月8日の歴史は確かに社会主義運動や、1910年のコペンハーゲン会議でこの日を連帯の時として提唱した、クララ・ツェトキンと結びついている。しかし、ソ連がこの日付を私物化したからといって、権利のための闘いというアイデアそのものがクレムリンの所有物になるわけではない。さらに言えば、1977年には国連がこの日を国際デーとして導入し、社会主義陣営の独占から最終的に引っ張り出している。

私たちは、この日に代わるものとして模索されている代替選択肢についても語っている。そこには、とりわけ、「母の日」や「ウクライナ女性の日」がある。そこで、ズロビナ氏は「果たしてそれらは、3月8日と同じレベルの影響力や意味を持ち得るだろうか」と問いかけている。

第一に、全ての女性が母親であるわけではない。ズロビナ氏は、「女性の役割を母親であることだけに集約するのは、再び女性を1つの機能の枠の中に閉じ込めることだ」と述べる。第二に、新しい祝日(編集注:例えば、国民的詩人レーシャ・ウクラインカの誕生日)は今のところソ連の3月8日と同じパターンを踏襲しており、単に民族的な色付けがなされているだけのように見える。「私たちは、ウクライナ女性の日が、Viberのメッセージカードのようなスタイル、つまり『私たちのウクライナ女性は、最も愛らしく、最も賢い』といった、本当の『シャロヴァルシチナ(編集注:ウクライナの伝統文化を安っぽく、表面的なステレオタイプとして消費する現象)』に覆われ始めているのを目にしている」。

レーシャ・ウクラインカは、実際には「ベレヒーニャ(守護の女神)」ではなく、むしろ社会主義者で女性解放論者であった。ズロビナ氏は、「私は祝日が増えることには賛成だが、3月8日は『女性の権利の日』として残るべきだ。チューリップを贈って翌年まで女性のことを忘れるためではなく、実際のところ、平等の実現がどうなっているかを報告するための日であるべきだ」と語る。

しかしながら、戦争は意味も人も、そして「日」の中身も変えている。全面侵攻が始まってから4年経ち、3月8日はその「花束的」な雰囲気を変えつつある。社会は痛みと苦しみを伴いながら成熟している。ズロビナ氏はこう言う。「全面戦争の最中に『女性の日、春の祝日』を祝う伝統は不適切だ。また、社会では強力な『女性解放』のプロセスが進んでいる。2つの要因が重なったのだと思う。戦争中に『春』や『美』のお祝いは合わないのだ。そしてもう1つは、女性の権利と国際平和のための闘いという側面の方が、私たちの現代の状況によりふさわしい」。

この日の意味について、ズロビナ氏は政府高官や企業のトップに対し、花を贈るのではなく、差別の克服のために何がなされたか、職場でのセクシャルハラスメント問題にいかに取り組んでいるか、女性が快適に働ける環境が整えられているかについて語るようアドバイスしている。

なぜなら、ウクライナにおける平等に関する統計や状況は、依然として理想からははるかに遠いからだ。立法上では進展があっても、母親である女性は、依然として賃金が低く(通称「母親税」)、家庭内暴力の被害に遭う確率もより高く、年金額が少ないために老後の貧困リスクも高い。

もしかすると、「祝休日」自体ソ連時代に生じたもので、ソ連的なお祭り騒ぎが長引いている問題は、その「祝休日」にあるのかもしれない。ズロビナ氏は、議論の余地はあるものの、3月8日は国家祝日として維持すべきだと考えている。重要なのは、その日の中身を変えることだという。例えば、ベルリンでは2019年に、人々がフェミニスト行進に参加する時間を確保できるよう、この日を休日に設定した。

同氏は、「どうしても花が欲しくてたまらないというのなら、その花を紫色のものにすればいい。紫はフェミニズムの色だ。女性たちが連帯の印として互いに贈り合うことができる。しかし、主役となるべきは花束ではない。権利は贈られるものではなく、日々闘って、勝ち取るものであるという認識が主役でなければならない」と述べる。

ジェンダー問題の専門家であるオリハ・ポパディネツ氏は、権利擁護の日が春の祭典へと変貌してしまった原因について独自の視点を持っている。クリミアからイスラエル、その後英国へと移動してきた彼女は、3月8日の変容を「脱共産化」ではなく「脱家父長制化」として捉えている。同氏は、これは家父長制によって骨抜きにされ、数十年にわたってミモザの枝の陰に隠されようとしてきた「意味の問題」だと指摘する。

オリハ・ポパディネツ氏 写真:本人提供
オリハ・ポパディネツ氏 写真:本人提供

自身のソ連時代との連想について尋ねると、ポパディネツ氏は「記憶にあるのは赤い『8』が描かれた白い絵葉書だけだ」と告白する。しかし同氏は、専門家として、3月8日が「ソ連の祝日」であるというテーゼを断固として否定する。「私はこの祝日が、本来の意味においてソヴィエトのものであったとは考えていない。ソ連があらゆるものを歪めたからといって、女性の権利のための闘いの日がソ連のものであったことにはならない。かつては医療もソ連式だったし、結婚も当時の伝統に従っていた。今やソ連は消滅したのだから、それに固執すべきではない」と彼女は説明する。

同氏は、女性の権利から「春と美の祭典」へと力点を移したのは共産主義者の発明ではなく、全体主義体制としての家父長制の戦略だと主張する。家父長制にとっては、女性を権利のために闘う主体としてではなく、ステレオタイプのプリズムを通して見る方が都合が良いのだ。この傾向は、彼女の観察によれば、欧州でもイスラエルでも存在するが、旧ソ連圏において最も激しかったという。

ポパディネツ氏は、もう1つの有名な神話を解き明かす。それは、ウクライナ国外では誰も3月8日を知らず、祝ってもいないという説だ。彼女は、英国の女性運動はこの日の系譜をメアリ・ウルストンクラフトまで遡ることができ、後の日付の形式化はその事実を固定したに過ぎないと指摘する。「これは国家レベルの祝日ではなく、普遍的な女性のレベルの祝日であり、他国と比較しても私たちの状況は全く悪くない」。

ウクライナにおけるこの日の未来について、ポパディネツ氏は、形式的な休日ということから実質的な内容へと焦点をシフトすることを提案している。具体的には、学校での啓発プロジェクトや、本の読書会、フェミニズム的内容のプロジェクトやアイデアの議論を提案することだ。そして、現代における3月8日のあり方として、ポパディネツ氏は、プレゼントの伝統は残しつつも、それに対する革命的なアプローチを支持することを提案する。「企業が女性に対し、専門家としての価値を高めるような贈り物を贈る伝統があれば素晴らしいと思う。例えば、自動車運転講習、専門的ツールのサブスクリプション、研修だ。それは単なる『成長』ではなく、歴史的な格差と不平等を克服するためのものだ。差別を認め、それを実行的に減らしていくことは、大企業の政治的な意志であるべきだ」。

戦争は常に、「ベレヒーニャ(守護女神)」や「防衛者」といった、家父長制的なナラティブを強化する。しかし、現在のウクライナにおける戦争は異なる、新しいタイプのものだ。ソーシャルメディアや、侵攻前から続いていた闘いのおかげで、女性軍人やボランティアの人々の声はかつてないほど可視化されている。女性たちはもはや沈黙しておらず、これこそが勝利の後に彼女たちを「台所に追い返そう」とする試みに対する主要な対抗手段となる。

祝うどころではない

次の話相手は、オクサーナ・レウコヴァ氏だ。彼女は現在、目に見えない巨大な女性の力と痛みに関わる仕事をしている。ボランティアとして、戦争によって静寂の中に置き去りにされた人々、つまり軍人の母親、妻、未亡人、そして行方不明者の家族のためのサポートツアーを組織している。彼女の視点はウクライナの地方に向けられており、そこでは祝祭そのものが痛みと非常に苦しい感情によってかき消され、意味を失っている。

オクサーナ・レウコヴァ氏 写真:本人ソーシャルメディアより
オクサーナ・レウコヴァ氏 写真:本人ソーシャルメディアより

レウコヴァ氏は、自身の3月8日に対する認識が、ハンガリーから遠く離れたハバロフスク地方に至るまでの、軍駐屯地の禁欲的な雰囲気の中で形作られたことを回想する。世界を回る軍人の家族にとって花は珍しいものであったが、3月8日には父が欠かさず母と娘にチューリップを買ってきていた。しかし、当時からレウコヴァ氏には、女性が年に一度だけ注目され、それ以外の時期は彼女の言葉を借りれば、ただ「がむしゃらに働く」だけであるということ奇妙に思えていたという。もしかしたら、20世紀初頭の著名な作家であり女性解放の思想を持っていた作家オリハ・コビリャンシカの作品を読みふけっていたことや、オデーサ州出身の祖母の話も影響していたのかもしれないと同氏は語る。

今日のレウコヴァ氏にとって、3月8日は日常の仕事の傍らを通り過ぎていく「背景」に過ぎない。フェイスブックに膨大な数のフォロワーを抱える彼女のもとには、多くの贈り物が届くため、3月8日にも、しばしば郵送で「強引に」送られてくるような贈り物の嵐を予想している。同氏は、そうした「お祝い」は通常、他の人に譲ってしまうと語る。しかし、彼女にとってのこの日の真の意味は、今では、「花」にあるのではなく、ウクライナ国内を移動する中で目にする光景にあるという。

「私が気付いているのは別のことだ」とレウコヴァ氏は述べる。「私は常に、地方へ行くべきだと考えている。キーウで私たちが何不自由なく暮らしているのは、クリヴィー・リフ近郊の村々や、スーミ州、フメリニツィキー州で起きていることとは比較にならない。小さな村を訪れ、そこに50人もの未亡人がいるのを見れば、人々はお祝いどころではないことを理解する。ここ数年で私は、数千人の人々と対話してきた。信じてほしい、心から祝っている人など一人もいない。」

レウコヴァ氏は、3月8日が「春の日」から「権利のための闘争の日」、あるいは単に現実を認識する日へと変容しつつあるのは、国を覆っている深い鬱状態と災厄が背景にあるからだと考える。同氏は、ウクライナの深部では、今や人々はいかなる祝祭も拒んでいると指摘する。それは誕生日であれ、お祝い事抜きで迅速な婚姻届のみが主流となっている結婚式であれ、同じだという。

同氏は、「ウクライナは血を流しており、誰が何を祝えるというのか、ましてや3月8日など、と私は思う。人々は災厄に縛り付けられている。これほどの悲しみに囲まれている中で、何が春だというのか」と言う。

レウコヴァ氏と、彼女と共に働く女性たちにとって、この日は暦の上の1つの日付に過ぎなくなった。それは大都市のマーケティング上の喧騒と、ウクライナ地方部の無言の痛みとの間にある深淵を強調するだけの日だ。地方部における女性の見えない力は、今や受け取った花束ではなく、失ったものの重みに耐え抜く能力によって測られている。

そして、レウコヴァ氏の返答は、私たちの調査結果を裏付けている。ここで、次のような論理的な問いが生じる。社会学者や回答者たちは、「祝う」と「記念する」、「祝日」か「1日」、「花か権利か」、「美しい性」か「対等で自由な存在」かという、これらの概念の違いに気付いているのだろうか? 

いずれにせよ、この問いこそが、旧来の意味が危機に陥り、「新しくて古い」意味を模索していることの現れなのだろう。2つのイメージの対立が建設的なものとなり、花が花壇へ戻され、権利が女性に権取り戻されるのだろうか? その問いは、今のところ未回答のままである。


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