塹壕で読書のウクライナ軍人「機会がある時に本を読むのは普通のことだ」

塹壕で読書のウクライナ軍人「機会がある時に本を読むのは普通のことだ」

写真
ウクルインフォルム
塹壕で読書をしていたら、その写真がソーシャルメディア上で広まり、その本の著者である歴史家ティモシー・スナイダー氏にも拡散される…。そんな経験をしたウクライナ軍人のオレクサンドル・シルシン氏がウクルインフォルムの記者に「塹壕での読書」についてコメントした。

シルシン氏は、「今は、戦前の生活よりも読書量はかなり少なくなっている。なぜなら、単に時間がないからだ。本は色々なジャンルのものを読んでいるが、主に学術・調査文献をウクライナ語、英語、ポーランド語で読んでいる。私は、それ(編集注:塹壕での読書)が人気のあることだとは思わない。私にとってはそれは普通のことだ。私は、その写真には何も特別なものはないと思っている。機会がある時に本を読むのは普通のことだ。それが塹壕だろうと、拠点だろうと、テントだろうと、道中だろうと」と述べた。

また同氏は、自身が塹壕でティモシー・スナイダー著『The Road to Unfreedom』を読んでいた時の写真は、ドネツィク州ヤツィキウカあたりにいた時に撮られたもので、当時同氏はウクライナ空挺軍第80独立空挺強襲旅団に所属していたが、現在は同氏は別の旅団に所属していると伝えた。

そして同氏は、スナイダー氏本人がその写真についてツイッターに書き込んだことについては、友人から教えてもらったと述べた。

同氏は、「友人からメッセージが届いて、お祝いされ始めたのだ。最初は何のことかわからなかった。その後、ツイッターのスクリーンショットが送られてくるようになった。私は、自分の写真がこんなに『ライク』を集めるとは思っていなかった。大切なのは、その写真のツイートがウクライナ語で書かれていたことだ」とコメントした。

その他、シルシン氏が通っていたウクライナ・カトリック大学は、ウェブサイトで、シルシン氏は、2022年2月24日の数日前に第80独立空挺強襲旅団に入隊し、その後戦争に向かったと伝えている。同発表によれば、シルシン氏は7月に怪我をしたが、奇跡的に生き残り、それまでの活躍により勲章をもらうも、怪我が治ったら再び前線に向かったという。

同氏は、南部ミコライウ市出身、1994年6月生まれ。その後家族とともに、クリミアへ引っ越しており、大学はセヴァストーポリの大学を卒業した後、修士過程に入っていた。しかし、同氏の生活は、2014年以降大きく変化したという。ロシアに忠誠を誓わないために、オデーサの大学へと転学し、軍事学部で修学。さらにハルキウで研究を続けていたら、奨学金を獲得し、ポーランドのビャウィストク大学へ転学。2016年にポーランド語で修士号を取得。ポーランドで暮らしながらウクライナの民間人や軍人を支援し、その後ウクライナへ戻り、ドネツィク州の前線の町スヴィトロダルシクでボランティアとして活動を始めた。そこで、シルシン氏は、地元の若者たちと仲良くなり、ボランティアの人々や市民団体とともに、ノヴォルハンシケの古い運動場を改修して、ボクシング場を開設したのだという。

その後、2017〜2019年にウクライナ・カトリック大学で勉強を行い、修学後に配偶者と2人の子供とともにチェルニウツィーへ引っ越していたという。

なお、1月2日、歴史家ティモシー・スナイダー氏は、ツイッター・アカウントにて、ウクライナ語で「著者にとっての最高の栄光は、読者だ」と書いて、シルシン氏が塹壕で本を読む姿を写した写真を紹介していた


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