野営テントの教会? ハルキウ州住民が作った自分達の教会

野営テントの教会? ハルキウ州住民が作った自分達の教会

ウクルインフォルム
ハルキウ州ボホドゥヒウ市では、最近作られたウクライナ正教会所属聖ドゥヒウ教会にて聖体礼儀が行われ始められた。教会の土地は、住民が集めたお金で購入したものである。

この聖ドゥヒウ教区の歴史は、今後、ウクライナ正教会誕生の歴史に加えられるかもしれない。この小教区で起きたことは、ウクライナ人がどのように教会の独立を勝ち取ったか、そのためにどれだけのことを行う用意があったのかを示す実例となっている。

この小教区の住民は、この場所を「教会」と呼ぶのは大きな誇張だと述べる。そこにあるのは、大きな軍用野営テント。しかし、このテントは、彼らにとっては、これは自らの努力と愛で建てた、世界最高の教会なのである。この教会での最初の聖体礼儀は、1月7日に行われ、約100人の人が訪れた。誰もが、統一されたウクライナ正教会の誕生を夢見ていた人たちであった。

まず、ボホドゥヒウ市について話そう。1917年のボリシェビキによる革命が起こるまでは、かつてオフティル・コサック連帯の中央陣営があったこのボホドゥヒウには、正教会の教会が7つあった。しかし、それらはすべてソ連時代に失われてしまった。

ウクライナが独立し、ウクライナ正教会キーウ(キエフ)聖庁が作られると、ボホドゥヒウ市の住民は、自らの信仰の伝統を再生しようと努力を始めた。

彼らは、教会をまず一つ建て、しばらくしてもう一つの教会を建てた。しかし、これらの教会に掲げられた「ウクライナ正教会」と書かれたパネルの裏には、隣国ロシアの宗教組織が隠れていたことが判明する。「人々は、だまされたのです」。新設された聖ドゥヒウ教会宗教コミュニティの長であるオレフ・ドゥレンボウさんはそう述べる。こうして、人口2万人のボホドゥヒウ市には、長い間、ウクライナ正教会モスクワ聖庁の教会が二つあるだけであった。

ドゥレンボウさんは、「多くのボホドゥヒウ市民が、自らの教会ができることを夢見ていました」と語る。「特に、2014年以降、この気持ちと望みは、いよいよ激しくなりました。モスクワ聖庁所属の教会へは通う気になれない私たちは、キーウ聖庁所属の教会へ通うために、近くの村へ行くか、ハルキウ市まで行かなくてはなりませんでした。そして、ウクライナ正教会モスクワ聖庁の反ウクライナ的レトリックにより、人々はモスクワ聖庁からますます離れていきました。人々は、普通のウクライナ人のため、自らの民族のため、国のため、自らの命を賭してウクライナの地を守っている戦士のために祈りを捧げたかったのです。ウクライナの自由を奪おうとする侵略者のために祈りたかったのではないのです」。

ドゥレンボウさんは、こう続ける。「こうして、活動家、モスクワ聖庁の元信者、反テロ作戦(ATO)参加者は、自らの小教区を登録することを決めました。当時のウクライナ正教会キーウ聖庁のハルキウの主教(現在は、彼は統一されたウクライナ正教会の主教である)が、新設宗教コミュニティの登録を支援してくれました。次は、教会を建てる場所の土地が問題となりました。私たちの町は、どんな場所も歴史的な意味を持っています。私たちは、お金を集め、教会の土地を買いました。なぜなら、割譲だと、手続きの時間がかかりすぎるからです。私たちは長い時間待ちたくはありませんでした。そして、数か月かけて、数千ドルを集め、一般人から土地を購入したのです。」

このコサック時代からの由緒ある土地は、20世紀の間数世代にわたり、自らのウクライナの教会を持つことがなかった。しかし、彼らは、自らの教会を求め、長い時間をかけて登録を行い、土地購入のための資金を集め、そしてまた、教会に必要な物品購入のために必要なお金も集めた。購入された土地に野営テントが建てられると、信者はキーウに行き、5万フリヴニャで教会に必要なものを購入した。そして、現在、人々は、司祭が暮らすためのアパート賃料を集めている。

この新しい教会にて、ヴァシーリ司祭により、すでに聖体礼儀が2回行われた。聖体礼儀は、今後定期的に行われていくことになる。十字架もすでに成聖されている。

人々は、外が氷点下の気温でも、この野営テントの中にはだるまストーブがあるから暖かいという。

最初の聖体礼儀の日には、親に連れられ、多くの子どももやってきた。信者たちの目には涙が浮かんでいたという。

「私たちの教会には、90歳のおばあさんも来ました。杖をつきながら、でも一人でやってきたのです。」ドゥレンボウさんは、最初の聖体礼儀を振り返る。

東部の戦闘に参加していたドミトロ・メイラフさんは、この新しい教会についてこう語る。「この教会を建てることができて、私はうれしいです。私は、従軍時、西ウクライナ出身の仲間と戦争で一緒だったんですが、彼らは、私が教会に行かないことにとても驚いていました。どうして行かないんだと。私は、『私たちのところでは、神父はレクサスに乗って移動し、東部の戦争は、【兄弟殺し】の戦いであり、防衛戦ではないなんて言うんだ。そして、キーウ聖庁で洗礼を受けた者は祈りの際に名前を呼んでもらえないんだよ』と答えました。彼らは驚き、西ウクライナでは、司祭は、人々の命、国のために働いているよ、と言いました」。

「その後、私は家に帰ると、ボランティアや活動家とともに、そんな教会を自分たちのところにも建てようと決めました。私は言いたいんですが、私は、最近、教会の存在を実感するようになったんです。もしかしたら、私が、祈りを母語(編集注:ウクライナ語)で行うようになったからかもしれません。そして、ウクライナについての祈りが行われる教会の設置に参加でき、私は幸せです」。

野営テントでの聖体礼儀。この出来事は話題になり、地区行政府や地区議会の代表者たちも、クリスマスの日の聖体礼儀に参加した。

カラジン記念ハルキウ国立大学の教員であり、ハルキウ州議会議員であるヴィクトル・キシリさんは、「これは、ウクライナ東部全体の意義ある出来事だ」と述べる。「そして、私たちは、今後もこのプロセスを注意深く見守っていきます」。

キシリさんは、ボホドゥヒウ地区では、他にもウクライナ正教会の宗教共同体が2つ誕生したと述べる。「私たちは、ウクライナ正教会の再生と統合を歓迎しています。不幸な『ロシアの世界(ルスキー・ミール)』後に起きたこのプロセスは、私たちの地で今後も続いていくでしょう」。

ヴォロディーミル・クラウチェンコ


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