ポーランド大統領、ウクライナとの歴史問題を解決すべきと発言
ドゥダ大統領がTVPインフォ局出演時に発言した。ポーランド・ラジオが伝えた。
ドゥダ大統領は、「ヴォリーニの犯罪、ポーランド人殺害、第二次世界大戦と戦後に関係する全ての出来事だ。ウクライナ人が私たちにもたらした損害は甚大であり、それは筆舌し難い。しかし、ウクライナ人もまた、私たちに対して様々なクレームがあるのであり、本件は相互の問題である。私たちは、それを解決しなければならない。そう、かつてドイツとの間の問題を解決したようにだ。たとえ、歴史というものが二度と繰り返さないための個々の喚起として記憶され、解釈されるものだとしても、その友好と協力は可能である。私たちは、ここでもそれを希求している」と発言した。
大統領はまた、未来の世代のことを考えなければならないと指摘した。
なお、ドゥダ大統領は、8月24日、キーウ(キエフ)にてウクライナ独立記念日の式典に参加していた。
ウクライナとポーランドの間では、1943〜45年のヴォリーニ地方と東ハリチナ(ガリツィア)地方で起きた出来事に関して異なる見解がある。ポーランド下院は、ヴォリーニの悲劇を「ポーランド民族に対するジェノサイド」だと決定したが、ウクライナの歴史家はこれに反論している。
ポーランドの歴史家は、ヴォリーニにおける民間人殺害の責任は「ウクライナ民族主義者組織(OUN)」とウクライナ蜂起軍(UPA)のみにあるとしているが、ウクライナの歴史家の大半は、同犯罪はポーランド側とウクライナ側の双方に罪があると主張している。ポーランド側は、民族浄化の結果、10万人以上のポーランド人と5000〜1万人のウクライナ人が死亡したと主張するのに対して、ウクライナ側は数万人のポーランド人と最大2万人のウクライナ人が死亡したと主張している。
1944〜46年、ポーランドとソ連の間の「相互住民交換」合意により、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国へと48万人以上の民族的ウクライナ人が移送された。共産政権は、その際に、粛清、弾圧、資産接収、人権の制限といった手段を行使している。
1947年、ポーランド共産政権は、「ヴィスワ作戦」を実行。これは、14万人以上のウクライナ系住民を元の居住地から国の北部西部へと強制的に移送するものであった。
ソ連、ポーランド人民共和国の民族浄化政策は、ウクライナ人の多い地から、1945年までドイツに属していた地に移動させることを目的としたもので、歴史文書によれば、その強制移住は「ポーランドにおけるウクライナ人問題の最終的解決」を目的としていたことがわかっている。
写真:大統領府