ウクライナ正教会の独立とロシア正教会の抵抗、その歴史的背景

ウクライナ正教会の独立とロシア正教会の抵抗、その歴史的背景

ウクルインフォルム
ウクライナの正教会の独立が近い。ウクライナの社会はもっぱらその話題で持ちきりである。もし本当に独立するのであれば、間違いなく大きな歴史的出来事となる。

しかし、日本では、「ウクライナ正教会が独立する」と聞いても、何のことかわからない方が多いのではないかと思う。コンスタンティノープルが独立を認めようとしている、ロシアが反発している、ということも含め、それぞれの理由と出来事の重大さを理解するには、その歴史的背景を知る必要がある。

ウクライナにおける正教会の歴史

現在起きていることの事の大きさを理解してもらうために、まず今回の出来事に関わる部分の歴史を簡単に説明したい。392年、ローマ帝国がキリスト教を国教にするが、その後、帝国の領域を5つに分けて、信徒と教会を分割管理するようになった。この時に分割された際の5つの中心地が、キリスト教5本山と呼ばれるものであり、ローマ、コンスタンティノープル、アレクサンドリア、イェルサレム、アンティオキアがそれにあたる。コンスタンティノープルは、その中でもビザンツ帝国の首都にある教会として重視された。特に、そしてキリスト教が東西に分裂した後は、西のローマ、東のコンスタンティノープルとして、コンスタンティノープルは東方のキリスト教世界において最も権威ある教会となった。

現代ウクライナが自らの起源とみなすキーウ・ルーシ(キエフ大公国)がキリスト教を受容するのは、988年である。ヴォロディーミル(ウラジーミル)聖公がそれまでの多神教を廃して、クリミアのケルソネスでコンスタンティノープル総主教庁の司祭から洗礼を受け、キーウ・ルーシの国教を正教会と定め、国内にキリスト教を広めた。これにより、この地は、コンスタンティノープル総主教庁の管轄下にあるキーウ(キエフ)府主教区となり、キーウは東ヨーロッパにおけるキリスト教の中心地となる。

ヴォロディーミル聖公のキリスト教受容を描いたリトグラフ

しかし、その後、モンゴル軍進攻によりキーウが陥落したため、キーウ府主教区の中心はウラジーミルへ、その後モスクワへと移動することになる。キーウ自体は寒村と化していくのだが、しかし、府主教区の名前は変わらず「キーウ府主教区」であり、コンスタンティノープルの管轄下にある事実は変わらなかった。

この状況は、オスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼすことで変わっていく。1448年、モスクワでは、コンスタンティノープル総主教庁に属すキーウ府主教区から、この地の教会が「独立」する。これがロシア正教会のいわゆる「誕生」である。これは、ビザンツ帝国の衰退・滅亡により、コンスタンティノープル総主教庁の影響力が低下する中で起きた出来事であったのだが、しかし、その独立の仕方に問題があった。正教会世界においては、いくら庇護するビザンツ帝国が滅びたといっても、正式な独立は最高権威のコンスタンティノープル総主教庁が認めなければならない。そのため、このモスクワの教会の「独立」は、他の教会からはあくまで自己宣言的なものとしかみなされていなかった。独立のための「トモス(正教会が発行する独立などに関する文書)」は与えられていなかったのである(なお、今日までロシア正教会はトモスを付与されたことはない)。しかし、モスクワの正教会は、国家の成長とともに、着実に勢力を伸ばしていく。そこで、1589年、イェレミアス2世コンスタンティノープル総主教が、このモスクワの正教会を「総主教庁」にまで引き上げることで事態の正常化を行い、その際、モスクワ主教に自らと同じ「総主教」を『名乗る』ことを認めた。繰り返すが、それまでのおよそ140年間、モスクワ府主教区としてのロシア正教会は事実上の存在でしかなかったのである。加えて、イェレミアス総主教は、その際にモスクワ主教は「総主教」と名乗る権利を与えたものの、その条件としてコンスタンティノープル総主教の絶対的上位を認めさせている。この際の、あくまでコンスタンティノープル総主教が上位、という上下関係は、実は正教会世界では今日まで維持されている。

ウクライナでは、その後何があったのか。コンスタンティノープル総主教庁は、モスクワ府主教区を認めこそしたが、それはその当時のモスクワ国の領土の範囲に限った管轄を認めただけであった。同時に、1620年、キーウでは、ウクライナ・コサックの棟梁(ヘトマン)であるペトロ・サハイダチニーが、聖職者ペトロ・モヒラとともに、かつてのキーウ・ルーシ時代の繁栄を回復すべく、正教会の再建を進めていた(この頃のキーウには、カトリックの教会しかなかった)。このサハイダチニーの要請を受け、エルサレム総主教のテオファンが、キーウの正教会のためにペチェルシク修道院で聖職者任命の儀式を行った。これがキーウ府主教区を再生するきっかけとなる。これを受けて、1633年には、コンスタンティノープル総主教庁が公式にキーウ府主教区の再生を認めた。改めて、ウクライナの地にキーウ・ルーシ以来の府主教区の存在が再確認されたのである。

しかしながら、再生されたキーウ府主教区が独自の道を歩めたのはわずか50年程度であった。約50年後の1685〜86年、モスクワ総主教庁は、再生されたキーウ府主教区を自らの管轄に編入する決定を行う。このキーウ・ルーシの中心都市であるキーウを吸収する行為は、モスクワ総主教庁を抱くモスクワ・ツァーリ国にとっては、自らを「古代、ビザンツからキリスト教を受容したルーシを継承する国家」の正統性を獲得したとみなすために必要な行為であったと考えられる(そして、同国は、次第にこの「ルーシ」を意味する「ロシア」を国名として使っていくことになる)。

しかし、この「編入の決定」が現在疑義にさらわれており、現在議論の対象となっている。ウクライナ正教会独立問題の論点もここにある。現在、そもそも、コンスタンティノープル総主教庁の管轄下にあったキーウ府主教区をモスクワ総主教庁が編入するということが正教法上正当な行為だったのか、そもそもコンスタンティノープル総主教庁はそれを認めていたのかということが論点として上がっているのである。実際、2016年6月16日、ウクライナ最高会議(国会)は、ヴァルソロメオス1世コンスタンティノープル総主教に対するウクライナ正教会への独立付与を呼びかける決議を採択した際に、この1686年のキーウ府主教区のモスクワ総主教庁編入に関する文書を無効化することを要請している。

結論から言うと、コンスタンティノープル総主教庁は、このモスクワ総主教庁によるキーウ府主教区の編入を認めていなかったのである。つまり、現在のウクライナにあるはずのキーウ府主教区は、モスクワ総主教庁ではなくコンスタンティノープル総主教庁に属しているということになる。ここに、ウクライナ正教会がロシア正教会の承認を得なくても独自にコンスタンティノープル総主教庁に改めて独立を請願する根拠が存在する。

現代:ウクライナ正教会独立に向けた働きかけ

話を現代に戻そう。1991年、ウクライナがソ連から独立すると、ウクライナ正教会はすぐにコンスタンティノープル総主教庁に教会の独立を求め始めている。しかし、ロシア正教会(モスクワ総主教庁)は「自らの管轄下」で勝手な動きをするこれらの教会(キーウ聖庁)を破門とし、自らの影響下にあるモスクワ聖庁のみを正式なウクライナ正教会として認めるようになる。ウクライナ正教会の分裂である。これにより、ウクライナ正教会キーウ聖庁は、正教会世界のどこからも認められず、しかもウクライナ正教会自体は国内では分裂した存在となってしまう。

この状況を解決するため、これまで、ウクライナの教会や政権は、2008年、2016年と何度かコンスタンティノープル総主教庁に積極的に働きかけてきたが、コンスタンティノープル総主教庁の返事は、「まず国内の教会が統一すること、統一すれば我々は独立を付与する」というものであった。ロシア正教会の影響下にあるモスクワ聖庁が、独立を求めるキーウ聖庁と統一することはありえないと、長らく多くの人が考えていた。しかし、2018年になって状況が変わる。ウクライナ正教会モスクワ聖庁の一部の主教が、キーウ聖庁や自治独立派の主教とともに、コンスタンティノープル総主教に請願することに同意したのである。一部といえど、ウクライナ正教会の全3派がそろってコンスタンティノープル総主教に請願したことで、形の上ではコンスタンティノープル総主教庁の求める「ウクライナ正教会の統一」が成立したことになる。これに合わせて、国家の側もより積極的に動き出す。本年4月17日、ポロシェンコ大統領は、コンスタンティノープル総主教に対し、ウクライナ正教会の独立(Autocephal)に関するトモスの付与を要請する呼びかけを準備したと発表、それを受け、4月19日、ウクライナ最高会議(国会)がこの呼びかけを承認した。このような一連の動きを受け、ついにコンスタンティノープル総主教がウクライナ正教会への独立付与に向けて本格的に動き出したのである。

ここで、ウクライナ国内の状況に目を向けてみよう。ウクライナは、先に見たように、歴史的にキリスト教信者の多い国であるが、中でも東方正教会の信者が多い。最近の世論調査では、国民の約69%が自らを正教徒であると答えている。ウクライナ正教会は、前述のとおり、現在キーウ聖庁、モスクワ聖庁、自治独立派の3つに分裂しているのだが、そのうち存在を公式に認めてもらっているのはモスクワ聖庁のみで、認めているのはロシア正教会である。しかし、自らを正教徒とみなす国民のうち、45.2%がウクライナ正教会キーウ聖庁に属していると考えており、モスクワ聖庁に属していると考えるものは、16.9%だけである。自治独立派へは2.1%、33.9%は単に正教会信者であると考えており、承認されていないながらも、キーウ聖庁の支持は大きい。

一方、相対的に支持の低いウクライナ正教会モスクワ聖庁は、「ウクライナ正教会」と名乗っているが、ロシア政権と密接につながるロシア正教会の影響下にあり、日曜日に教会に集まる信者達にロシア側の「物語」を拡散する役割を果たしている。ウクライナ正教会独立を求める動きは、1991年から続くものであり、現在のロシアの対ウクライナ侵略を発端とするわけでは必ずしもないのだが、ロシア政権がウクライナ正教会モスクワ聖庁を通じてウクライナ国民に自らに有利な情報を広めている点を考えれば、現在ウクライナの現政権がウクライナ正教会の統一・独立を急ぐ理由は十分にある。

ウクライナ正教会独立の意義、あり得る影響

今回のウクライナ正教会の独立が実現すれば、ウクライナは改めて、988年にキリスト教を受容したコンスタンティノープル総主教庁との関係、当時設置された「キーウ府主教区」の存在を再確認することになる。そして、それは同時に、ロシア正教会(モスクワ総主教庁)がウクライナの地に管轄権を有していないことが(大半の)正教会世界で確認されることを意味する。

これの持つインパクトは大きい。ロシア正教会は、自らの5大聖地のうち、3つを「自らの管轄圏内とみなす」ウクライナ国内に持っている。特に、彼らにとって最も重要なのがキーウにあるペチェルシク大修道院だが、今回のウクライナ正教会・キーウ府主教区の独立がコンスタンティノープルに認められてしまうと、この3つの聖地があるのは自らの管轄する領域の外側ということになってしまう。

ペチェルシク大修道院

それをもって「聖地が失われた」とはすぐには言えないのであろう。ペチェルシク大修道院は、現在ウクライナ正教会モスクワ聖庁に属しているが、ポロシェンコ大統領は、トモス付与後も所属替えを行って対立をあおるようなことはしないと述べている。しかし、たとえそうだとしても、ペチェルシク大修道院が自らの管轄下にあるとみなしているロシア正教会にとっては、この出来事は大きなダメージとなる。国家としてのロシアにとっても、ソ連崩壊時のウクライナ独立と同様に、「キーウ・ルーシの継承国ロシア」という大国の正統性の根拠がもう一度挑戦を受ける事件となる。

正にそれが理由で、ロシアは、あらゆる手を使って、このコンスタンティノープル総主教庁によるウクライナ正教会への独立付与を妨害しようとしている。最近では、8月31日、キリル1世モスクワ総主教が直接イスタンブルまで行き、ヴァルソロメオス1世コンスタンティノープル総主教に会い、ウクライナ正教会を独立させないように直談判したが、コンスタンティノープル側の意思は変わらなかった。現在、ロシアのテレビでは、以前にまして、コンスタンティノープル総主教庁の神聖さが如何に低いかを喧伝し、同総主教庁の絶対的上位はすでに失われている、などと伝えるフェイクニュース(偽情報)が過熱している。

左:キリル1世モスクワ総主教、右:ヴァルソロメオス1世コンスタンティノープル総主教

しかし、一方のコンスタンティノープル側は、キリル総主教との会談後、9月2日のイスタンブルでの主教会議で、主教達がコンスタンティノープル総主教は他の同意がなくても独立を付与することができるとの決定を採択しており、ロシアの反対をまったく意に介していない。つまり、ロシアがどんなに反対しようと、歴史的経緯から正教会に関する重要な決定を行う絶対的権限は、原則的にコンスタンティノープル総主教にあるということなのである。

ウクライナ正教会にとっては、今回の独立の付与は、信者にとっての長年の悲願が達成されることになるだけでなく、ロシア正教会との繋がりが絶たれ、「教会上のロシアからの独立」が実現し、今後はコンスタンティノープル総主教庁が正式にウクライナ正教会の「母なる教会」となることを意味する。加えて、今回の独立承認は、キーウ府主教区の連続性の確認、つまりキーウ・ルーシと現在のウクライナの宗教面での直接的繋がりが確認されるとも言える。これにより、ウクライナの国家アイデンティティが強化されることが期待できる。なお、請願に参加しなかったモスクワ聖庁の残りの主教達は、「ウクライナ正教会モスクワ聖庁」ではなく、「ウクライナにおけるロシア正教会」とみなされることになるという。その点に関し、ウクライナ政権側は、対立が生じないように最善を尽くすことを明言しているが、それでも、ウクライナ領内のロシア正教会から新たなウクライナ独立正教会へ少なくない信者が鞍替えする可能性はあろう。

ロシア正教会は、今後どのような反発を示すだろうか。最近のロシアの報道から推測するに、ロシア正教会がコンスタンティノープル総主教庁の独立付与の決定を認めないと宣言する可能性は容易に想像できる。また、現時点でわかっているところでは、アンティオキア総主教庁とセルビア正教会もウクライナ正教会独立を認めない意向を有しているとのことである。同時に、ロシア正教会が、これらの他の正教会をつれて、コンスタンティノープル総主教庁を筆頭とする現在の正教会世界からの分離独立を宣言する可能性も否定できない。その場合、正教会世界が二分することになる。

コンスタンティノープル総主教庁の立場から見ると、彼らのトルコ国内での信者数は限られたもの(2000~3000人)だが、人口の多いウクライナ国民の約70%がコンスタンティノープル傘下の教会に属することが再確認されれば、管轄化の信者数の点からもコンスタンティノープル総主教庁の正教会世界での影響力が増すことになるし、それは同時にウクライナ正教会を失うロシア正教会の影響力の低下も意味する。いずれにせよ、ウクライナ正教会の独立を契機に、正教会世界の力関係が大きく変わる可能性があるのである。

この出来事が直接現在のウクライナ・ロシア間のクリミアや東部紛争の情勢やその他の国際関係にどの程度影響を与えるかは、未知数である。現在のロシア政権にとって、ロシア正教会は、軍事力やエネルギーと並び、影響力行使のツールとして用いられており、ロシアにとっては、その影響力の低下は深刻な問題なのである。今回の独立を受けて、例えば、東部情勢解決を議論する三者コンタクト・グループの会合やドイツ・フランス・ウクライナ・ロシアからなるノルマンディ・フォーマットの協議等でロシアの態度がさらに硬化する可能性は否定できないし、そもそもロシアが東部の戦闘そのものを激化させるおそれや、ウクライナ国内の信者間の対立をあおる可能性も完全には否定できない。なお、ウクライナ側は、ウクライナ国内での信者間の対立や、外部からの挑発行為を防ぐため、最大限の努力をすることを主張している。そして、長期的視野、ロシアとウクライナのそれぞれの国家史の観点に立って考えれば、このウクライナ正教会への独立付与が両国の歴史にとって一つの決定的な出来事になることは疑いがない。

9月7日、ヴァルソロメオス1世コンスタンティノープル総主教は、自らの総主教代理を2名派遣している。この総主教代理は、ウクライナ正教会の独立付与プロセスを総主教に報告するために任命されており、すなわち、独立付与が間近に迫っていることを意味する。いつコンスタンティノープル総主教庁がウクライナ正教会の独立に関するトモスを発出するのかは、憶測が飛び交っており、聖会議の開かれる10月か11月、遅くても年内という情報こそあるが、現時点では正確なことはわかっていない。しかし、「近い将来」との言葉が出ているのは確かであり、歴史的瞬間はもう目の前に来ていると考えてよいだろう。

平野高志、ウクルインフォルム


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