「二度と繰り返さない」はこれまでと異なる意味で受け止められる=ゼレンシキー大統領、第二次世界大戦終戦日記念演説

「二度と繰り返さない」はこれまでと異なる意味で受け止められる=ゼレンシキー大統領、第二次世界大戦終戦日記念演説

ウクルインフォルム
ゼレンシキー大統領は、5月8日の第二次世界大戦の終結を記念した「追憶と和解の日」に合わせ、ウクライナ国民へ向けた呼びかけ動画を公開した。

ウクライナ大統領府広報室が伝えた

演説の全文の仮訳以下のとおり。


モノクロの春というのはあり得るだろうか? 「永遠の2月」というものは? 格言の価値がおとしめられることはあるだろうか? 残念ながら、ウクライナはこれら全ての質問への答えを知っている。残念ながら、「ある」。

毎年5月8日は、私たちは、全文明世界とともに、第二次世界大戦の際にナチズムから世界を守った人々を讃えている。何百万人もの命が失われ、運命が切り落とされ、魂が拷問を受け、悪に対して「二度と繰り返さない!(Never again!)」と述べるための何百万という理由があった。

私たちは、この知恵を得るために先人たちが払ってきた代償を知っていた。その知恵を守り、後世に伝えることがどれほど大切かを知っていた。しかし、私たちの世代が、その言葉への愚弄を目撃するとは、そして、その真実が全ての人にとってのものでは全くなかったことを知ることになるとは、思いもよらなかった。

今年、私たちは「二度と繰り返さない」をこれまでとは異なる意味で口にする。私たちは「二度と繰り返さない」を異なる意味で聞いている。そのフレーズは痛みと残虐さを含んで響いている。感嘆符はない。疑問符がついている。あなたは「二度と繰り返さないのだろうか?」と言うことになる。そのように、ウクライナに言うと良い。

2月24日、「二度と(Never)」という言葉が消し去られた。乱れ撃ちと爆撃が行われた。何百ものミサイルが朝4時に全ウクライナの目を覚まさせた。私たちは、おぞましい爆発音を聞いた。私たちは聞くはめになったのだ、「もう一度!(Again!)」という言葉を。

ボロジャンカ。それは、その犯罪の多くの犠牲を出した町の一つだ。私の後ろには多くの証言者がいる。これは軍事施設ではない。秘密基地でもない。単なる9階建てのマンションだ。これがロシア連邦にとって安全保障上の脅威をもたらす可能性があるのだろうか。陸の8分の1から構成され、世界第2の軍を持ち、核兵器保有国に対する脅威を? この質問よりも非常識な質問は存在し得るだろうか? …存在するのかもしれない。

超大国は、この小さな町に250キロ爆弾を撒き散らした。そして、この小さな町は声を失った。この町は、もはや「二度と繰り返さない!」と言うことができない。この町は、もはや何も言うことができないのだ。しかし、言葉はなくとも、ここへ来れば全てのことが理解できる。

この建物を見て欲しい。かつてここには壁があった。かつてそこには写真があった。写真には、戦争の地獄を生き延びた人たちが写っていた。ドイツへ送られ、強制労働をさせられた50人の男性たち。ナチスがここで100軒以上の家を焼き尽くした際に、生きたまま焼かれた人たち。

第二次世界大戦の前線で亡くなった250人の戦士たち。そして、ナチズムと闘い、勝利した約1000人のボロジャンカ住民たち。そのようなことが二度と繰り返すことのないように、子供たちの未来や生活のために戦ってきたのだ。2月24日まで、ここに存在し続けた生活のために。

このアパートの一つ一つに人々が眠っていたということを、想像して欲しい。互いに、おやすみ、と言い合い、電気を消す。愛する人と抱きしめ合う。目を閉じる。何かしらの夢見る。完全な静寂が訪れる。皆が眠りに落ちる。皆が目を覚ますわけではないことを知らずに。彼らはぐっすり眠る。何か楽しい夢を見ていただろう。その数時間後にはミサイルの爆発で起こされる。ある者は、二度と目を覚まさない。「二度と繰り返すことができない」。

そのスローガンから「二度と」という言葉が消えた。いわゆる「特別作戦」の際に切り落とされたのだ。彼らは、心臓に刃物を突き刺して、その相手の目を見ながら「これを行っているのは私たちじゃない!」と述べたのだ。「全てのことが、それほど単純ではない」などと言いながら拷問を行ったのだ。「繰り返すことは可能だ」と述べて、「二度と繰り返さない」を殺したのだ。

そのようなことが起きた。化け物が再現を始めた。恐ろしい占領を経験した私たちの町は、またも占領者を目にすることになった。占領のことを忘れるには80年では十分ではない。そして、歴史で2度目の占領を受けることになってしまったのだ。いや、マリウポリのように、町によっては3度目だ。2年間の占領期間でナチス占領者たちは1万人の民間人を殺したが、ロシア占領者たちは、2か月間の占領で2万人の民間人を殺している。

第二次世界大戦後から数十年が経過して、闇がウクライナへ戻ってきたのだ。それはまたしてもモノクロだ。またしても! 悪が戻ってきた、またしても! 形を変えて、別のスローガンで、しかしながら、同じ目的を引っ提げて。ウクライナに血塗られたナチズムが再建された。当時の政権の狂信的な再現である。その思想、行動、言葉、シンボル。細部に至るまでマニアックな残虐行為と、その悪に聖なる目的があるかのような「アリバイ」作りが再現されている。当時の犯罪が繰り返され、さらにはその「師」を超えようとすらし、人類史最大の悪を玉座から引きずり下ろそうとすらしている。外国人嫌悪、憎悪、レイシズム、引き起こし得る被害者数にて、新たな世界記録を打ち立てようとしている。

二度と繰り返してはならない! それは懸命な人間の讃美歌であった。文明世界の歌であった。しかし、誰かが改ざんしてしまった。「二度と繰り返さない」を、疑念の楽譜で歪ませてしまった。黙らせて、悪と死の戦慄を奏で始めたのだ。ナチズムの凄惨さをその目で見てきた全ての国にとっては、それは明白なことだ。今、彼らは恐ろしい既視感を抱いているだろう。「再び」目にしていることだろう!

「三流」の烙印を押され、自らの国を持つ権利、あるいはそもそも存在する権利を奪われた奴隷として扱われた全ての民が、ある民族を讃えながら、他の民族を軽々しく消し去る声明を耳にしている。「あなたは実は存在しない」「あなたは人工的に作られた」のだから、あなたには権利がない、と述べている。誰もが悪の言葉を聞いている。またしても。

そして、共に「私たちは1世紀すら耐えられなかった」という辛い真実を認めるのだ。私たちの「二度と繰り返さない」は77年だけだった。私たちは、悪を見逃した。悪は再生された。またしても、この瞬間に。アゲイン・アンド・ナウ。

今、ウクライナを支援する全ての国、全ての民がそれを理解している。新たな獣の覆面を被ろうとも、皆がその正体に気付いている。なぜなら、幾人かを例外に、人々は、先人が何のために戦ってきたかを覚えているからだ。1つ目と2つ目を混同しない。すり替えない。忘れていない。

ポーランド国民も忘れていない。ナチスは、彼らの大地で行進を始め、第二次世界大戦の最初の発砲を行った。彼らは、どのようにして悪があなたを断罪し、挑発し、侵略者呼ばわりし、その後、4時45分に侵攻し、さらにそれを「自衛」と呼んだのかを、忘れていない。彼らは、それが私たち(ウクライナ)の大地でどのように再現されたかを目にしてきた。彼らは、ナチスに破壊されたワルシャワを覚えている。そして、マリウポリで何が行われたかを見ている。

英国民も、ナチスがコヴェントリーを41回爆撃して、どのように地表から消し去ったかを忘れていない。11時間連続爆撃を行ったドイツ空軍の「月光のソナタ」がどのように響いたかを覚えている。それが歴史的な町の中心部、工場、聖ミカエル大聖堂をどのように破壊したかを。そして、彼らは、ハルキウがミサイルでどのように破壊されたかを目にしてきた。ハルキウの歴史的な中心部、工場、生神女就寝大聖堂がどのように歪められたかを見た。彼らは、ロンドンが57夜連続で爆撃されたことを覚えている。ベルファスト、ポーツマス、リヴァプールにどのようにV2ロケットが落とされたかを。そして、ミコライウ、クラマトルシク、チェルニヒウへどのように巡航ミサイルが飛んできているかも見ている。彼らは、バーミンガムがどのように攻撃を受けたかを覚えている。その姉妹都市であるザポリッジャがどのような攻撃を受けているかも見ているのだ。

それは、オランダ国民も覚えている。ナチスが97トン爆弾を投下して全壊を被った最初の町がロッテルダムだった。

フランス国民も覚えている。ナチス親衛隊(SS)が500人の女性と子供を生きたまま焼き殺したオラドゥール=シュル=グラヌを覚えている。トゥーレでの集団絞殺刑、アスク村での大量殺人。占領下リールでの数千人の講義。彼らは、ブチャ、イルピン、ボロジャンカ、ヴォルノヴァハ、トロスチャンカで何が行われたかを見てきた。彼らは、ヘルソン、メリトポリ、ベルジャンシク、その他の私たちの町がどのように占領されてきたかを見ている。そこでは、住民は降伏していない。何千人もの人々が平和な抗議を行っている。占領者に屈せず。占領者ができることは、住民を銃撃することだけだ。

チェコ国民も忘れていない。ナチスは1日足らずでリディツェを壊滅させ、集落を灰塵と化してしまった。彼らは、(ルハンシク州)ポパースナをどのように滅ぼしたかを見てきた。ポパースナには、灰すら残っていない。大量殺人と全土の銃撃、封鎖、大飢餓を経験したギリシャ国民も忘れていない。

米国民も覚えている。彼らは悪と二つの前線で戦った。パールハーバーとダンケルクを同盟者と共に乗り切った。

そして私たち皆が、新たな、当時と遜色のない闘いを経験している。

ホロコーストを経験した人皆が、一つの民族が他の民族をどれだけ強烈に憎むことができるかを覚えている。

それはリトアニア人、ラトビア人、エストニア人、デンマーク人、ジョージア人、アルメニア人、ベルギー人、ノルウェー人、その他、自らの大地でナチズムに苦しんだ多くの人々が忘れていない。皆が、反ヒトラー連合の中でナチズムに勝利したのだ。

残念ながら、これら全ての犯罪を経験し、勝利の戦いのために何百万の人を失って、それを勝ち取ってなお、現在、彼らとその功績の記憶を冒涜する人々がいる。

私たちの先祖と共に、自分の領土からウクライナの町々を砲撃することを許す者がいる(編集注:ベラルーシのこと)。その町は、彼らの先祖と私たちの先祖がともに解放した町なのに。

ブチャで拷問した人と並ぶことで、「不死身の連隊」の顔に唾をかける者もいる。

そして、人類全体に挑戦を投げかける者もいる。しかし、その者は大切なことを忘れている。どのような悪も終わる時は同じだということを。悪は終わるということを。

親愛なるウクライナ国民よ!

今日、追憶と和解の日において、私たちは、祖国と世界をナチズムから守った全ての人たちの前に敬意を表している。私たちは、ウクライナの人々の偉業と、反ヒトラー連合の勝利への貢献を称える。

爆発、銃撃、塹壕、傷、飢餓、爆撃、封鎖、大量銃殺、懲罰作戦、占領、強制収容所、ガス室、黄色い星、ゲットー、バービン・ヤール、ハーティン、拘束、強制労働。人々は、私たち一人一人が、それらが何を意味するかを、各自が経験するのではなく、本から学べるように、亡くなったのだ。しかし、別のことが起きた。その人たちにとっては、これは不正義である。しかし、真実は勝利する。私たちは全てを克服しよう。

その証拠の名前は「ヴェアヴォルフ」でなければならない。それは、(ウクライナ中部)ヴィンニツャの近くのかつてのヒトラーの大本営の名前だ。そこに残っているのは、いくつかの石だけだ。廃墟だ。自らを偉大で不敗だと思っていた人物の瓦礫である。それは、私たち皆と未来の世代にとっての標石である。先人たちが何のために戦ったのかを、そして、一切の悪が責任を回避できないことを証明した。悪は地下に隠れ切ることはできない。悪からは何も残らない。だから、私たちは全てを克服する。私たちはそれを確実に理解している。なぜなら、私たちの軍人、私たちの人々皆が、ナチズムを克服した人々の子孫なのだから。だから、もう一度勝利する。

そして、もう一度平和が訪れる。ようやく、もう一度!

私たちは、冬を克服する。2月24日に始まり、5月8日時点でまだ続いている冬を。しかし、それは必ず終わりを迎え、ウクライナの太陽に溶かされることになる! そして、私たちは、国全体で夜明けを迎えよう。親戚、愛する人、友人、近しい人が再び一緒になるのだ! ようやく、もう一度! 一時的被占領下の町々、村々には、私たちの旗がもう一度たなびく。ようやく、もう一度! そして私たちは一緒に集まる。そして平和が訪れる! ようやく、もう一度! そして、二度とモノクロの夢は訪れない。訪れるのは、青と黄の夢だけだ。ようやく、もう一度! そのために、先人たちは戦ってきたのだ。

ナチズムに抵抗した人皆に、永遠の栄光を!

第二次世界大戦に亡くなった全ての人に永遠の記憶を!


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