歴史の教訓と戦時下教育 ウクライナで愛国心を教えることはできるのか?

歴史の教訓と戦時下教育 ウクライナで愛国心を教えることはできるのか?

ウクルインフォルム
ウクライナの現在の状況で、子どもたちに歴史を教えることは非常に難しいことだ。ウクライナでは、戦争に不可欠なプロパガンダを恐れてパニックになる者もいる。しかし、問題はそこではない。

執筆:スヴィトラーナ・シェウツォヴァ(キーウ)

トップ写真:インフォシチ・ハルキウ(infocity.kharkiv)

「歴史とは何か知っているかい?」教師は最初の授業で5年生の生徒に尋ねた。「知っているよ」と、生徒は自信満々に答えた。「恐竜についての科学だよ!」

これは、一見すると笑える答えだが、同時に状況を正確に反映してもいる。生徒は、歴史とは、実際には何なのかをこれから知ることになるというわけだ。

ウクライナの学校の授業では、「なぜ」そして「どのように」歴史は教えられているのだろうか。愛国心なるものは現実的なのだろうか。歴史がイデオロギー的な教化の手段であった過去の罠におちいることなく、子どもたちに国民としての尊厳の感覚を植え付けるにはどうすれば良いのだろうか。

教育科学省によって2016年に導入された「新ウクライナ学校」改革は、特に歴史教育において、旧ソ連的なアプローチを克服することを目的としていた。ソヴィエト時代、歴史科目はプロパガンダの主要な手段の一つであった。そのことは、次の有名なソヴィエトのアネクドートによく表れている。「生徒の皆さん、『あなたの好きな歴史上の人物』という作文を書きなさい。そして、その人物がなぜレーニンなのかを書きなさい」…。歴史の教科書は1つしかなく(時折書き換えられたが)、教師は厳密に定められた枠組みの中で教えなければならず、生徒は年表を丸暗記し、教科書に書かれていることや授業で教えられたことを復唱せねばならなかった。とはいえ、真に歴史に興味を持つ人々が自分の見解を持ち、他の本を読み、興味のあるテーマについてさらに学ぶことを妨げるものではなかったが。誰が、どのように歴史を教えていたかということも、少なからぬ役割を果たしていた。もし教師が創造的な人物であれば、生徒がその科目を理解し、好きになるチャンスはあった。

誤りのない考えや人物はいない=「新ウクライナ学校」の歴史教育

ウクライナ教育科学省が導入した新しい教育方法論によれば、学校での歴史教育はイデオロギー的な特徴を完全に取り除くこととなっている。手本とされたのは欧米型の「民主主義的モデル」である。それは歴史やその他の人文科学は「教えられる」というよりも、子どもたちに批判的に思考する方法を教え、間違いのない考えはなく、誤らない人物などいないということを理解させるための方法として使われている。そして、ある歴史的出来事や歴史上の人物を再検討したり、批判したりすることはごく普通のこととされている。ある「用意された真実」を丸暗記するのではなく、コミュニケーションとディスカッションが主な焦点となる。この批判的思考のパラダイムこそが、イデオロギー的関与に代わる新しい選択肢として機能してきたのだ。しかしながら、長年戦争状態にあり、敵からの激しい情報圧力にさらされているこの国にとって、そのソフトな歴史教育モデルは受け入れられるのだろうか。他方で、厳格な「イデオロギー教育」志向を選ぶなら、私たちは、歴史教育が徹底した「個人崇拝」と「味方か敵か」という白黒の二分法に基づいている侵略国と似た存在になってしまう…。

過去のない未来は想像できるか?

知人の女性教師(5年生と恐竜の話をしてくれたのも彼女である)は、キーウのシュリャウカ地区にある公立学校の一員で、子どもたち、特に上級生は歴史の学習に無関心になりがちだと述べた。「幼い子どもたちは、何らかの鮮やかな物語で興味を持たせることができるが、上級生の子どもたちは無理だ。彼らは自分たちの情報バブルの中を生きており、彼らに関心を持たせるのは極めて難しい。授業中に自分の興味あることについて大声で話しながら、評価の頃になるとやってきて『なぜ私の評価はこんなに低いのですか?』と不満を述べるのだ」という。親の圧倒的多数は、歴史を非常に重要性の低い、注意を払う価値のないものだと考えており、子どもたちも自動的に類似の視点を受け入れているようだ。「過去なんてない! あるのは現在と未来だけだ、それだけだ!」これは、ある生徒のロシア語を話す父親が教師を説得するために言い放った言葉である。そして、私たちの「今日」は私たちの「昨日」であり、「明日」とは「今日」であると、彼に言ってみると良い。20年間の教職経験で彼女を驚かせることはほとんどないが、それでも時々衝撃的な出来事に出くわすことがあるという。ホロドモールをテーマにした公開授業で、当時のことを知っているかという質問に対し、ある生徒が「うーん、あの頃は人が犬みたいに死んでいたらしいね」と答えたのだ。そして、これもまた、私たちの今日の現実、文化、知識、道徳、適切さ/不適切さの感覚の水準であろう。

この教師は、歴史の授業は生徒たちの愛国的な視点の形成にほとんど影響を与えていないと考えている。「市民教育」という科目の方がもう少し反応があるという。その授業では、生徒たちは、たとえ一瞬であっても、「私は誰か?」「『ウクライナ人』であるとはどういう意味か?」を考えることになる。しかし、その点についても彼らは自分の意見を持っている。「そう、私たちはウクライナ人だ。でも、今の世界でそのことがそれほど重要だろうか。どこでも暮らせるし。言語? 大切なのは英語を知っていることだ」と。彼らに愛国心を教える? 「私のスリッパを笑わせないで!」(編集注:何をバカなことを、の意)と彼女は言う。

この教師は、「問題が生じるのは望まない」として、実名を明かすことを拒否した。

国民の尊厳は育まれるべき

テルノーピリ州ザリシチキウの教師のヴァシリ・ジャキウ氏 グローバル・ティーチャー・ウクライナ賞授章式 写真:ヴォロディーミル・タラソウ/ウクルインフォルム
テルノーピリ州ザリシチキウの教師のヴァシリ・ジャキウ氏 グローバル・ティーチャー・ウクライナ賞授章式 写真:ヴォロディーミル・タラソウ/ウクルインフォルム

西部テルノーピリ州ザリシチキ市の公立ギムナジウムで歴史と市民権を教えている教師のヴァシリ・ジャキウ氏は、2020年の「グローバル・ティーチャー・ウクライナ賞」の優勝者だ。彼は、自分自身を指導者でありコーチであると考えている。「個性だけが個性を育てることができる」というのが彼の教育活動の大方針だ。彼の授業では、子どもたちは自覚を持った市民へのなり方を学ぶ。例えば、クラスのリーダーを選出する選挙は、選挙活動、投票箱、秩序を監視する委員会といった、国政選挙と同じシナリオで行われた。また、「私のコミュニティの歴史」コンテストが行われ、生徒たちが観光ルート、情報掲示、市内の歴史建造物のための看板を作成した。そして、数多くの類似のプロジェクトが実施されている。さらに、ジャキウ先生の教え子たちは、軍事愛国ゲーム「ソキル」(「ジュラ」)に積極的に参加している。

愛国ゲーム「ソキル」の際のヴァシリ・ジャキウ氏と生徒たち 写真:Vasyl-Zal
愛国ゲーム「ソキル」の際のヴァシリ・ジャキウ氏と生徒たち 写真:Vasyl-Zal

しかし、変化に気づかないわけにはいかない。現在の「アルファ世代」(2010年以降に生まれた子どもたち)は、学習においてこれまでとは異なるアプローチを必要としている。彼らは非常に感情的でダイナミックであり、何か1つのことに長く集中することが難しく(最大で9秒!)、彼ら自身がすでに「ゲームのルールを指示」しているのだ。彼らに国民としての尊厳の感覚を育むのは容易だろうか? ジャキウ先生は、「尊厳とは、人と一緒に生まれ、家族や社会によって築かれる価値観」だと指摘する。「尊厳とは、嘘のことではないが、同時に嘘についてのことでもある。なぜなら、権力が社会や特定の市民に対して嘘をつく時、一体どのような尊厳への敬意があり得るだろうか? 確かに、私たちは毎年尊厳について語っている。確かに、この国には『尊厳と自由の日』がある。確かに、生徒たちはロシア・ウクライナ戦争の犠牲者、英雄『天国の戦士たち』、自由に関する重要な話を聞いている。…しかし、何千年もの間、占領者や地元の悪人の圧力の下で形成されてきた価値観に、子どもたちの心は開かれているだろうか? 尊厳とは勇気であり、尊厳とは自分自身だけでなく、社会と国家に対する義務でもある」とジャキウ氏は語る。

愛国心は、盲信的ではなく、意識的でなければならない

ウラディスラウ・クロンハウズ氏 写真:イェウヘン・ヘルトネル/ススピーリネ・ハルキウ
ウラディスラウ・クロンハウズ氏 写真:イェウヘン・ヘルトネル/ススピーリネ・ハルキウ

ハルキウの第3専門学校で歴史を教え、教科書作成にも携わっているウラディスラウ・クロンハウズ氏は、「グローバル・ティーチャー・ウクライナ」賞の2024年の決勝戦進出者であるだけでなく、ウクライナの優秀な教師トップ10にも選ばれており、地元若者の間でほぼカルト的な地位を築いている。彼はAIや3Dモデリングを使って歴史の課題を子どもたちに出している。授業は鮮明で、子どもの記憶に残るように、何らかの印象が残るようにすべきだと考えている。ハルキウ情勢は非常に不穏で、常に敵の攻撃にさらされる中、クロンハウズ先生はピウニチナ・サルチウカという地区(編集注:2022年にロシア軍の激しい砲撃を受けた地区)に住んでいるにもかかわらず、地下鉄学校で子どもたちに歴史を教え続けている。歴史教育について、彼は次のようにコメントした。

ハルキウの地下鉄学校で写真:イェウヘン・ヘルトネル/ススピーリネ・ハルキウ
ハルキウの地下鉄学校で授業を行うクロンハウズ氏 写真:イェウヘン・ヘルトネル/ススピーリネ・ハルキウ

「『新ウクライナ学校』の導入段階では、誰もそれが全面侵攻の状況下で実施されることを予期していなかったため、『新ウクライナ学校』と戦争課題の間でバランスを保つ必要があることは明白だ。『新ウクライナ学校』は児童自身と批判的思考を中心に据えるものだ。そして、それらは失ってはならない価値である。なぜなら、批判的思考こそが生徒をプロパガンダや印象操作から生徒を守ることになるからだ。同時に、戦争は自らのアイデンティティの認識を求める。自分は何者なのか、どこから来たのか。自分の民族の歴史を知らない子どもは、敵のナラティブに対してより脆弱である。第二に、はっきりしているのは、『英雄崇拝』ではなく、『価値の指針』が基本となるべきだということだ。私たちは、英雄が手の届かない理想的な人物として描かれるような崇拝を避ける必要がある。代わりに、英雄の人間性、彼らの悩み、痛み、弱さの中の勇気を示すべきである。そうすれば、子どもたちは『唯一の正しい』手本を押し付けられるのではなく、鼓舞されるような例を見ることになる。第三に、文化と言語を通じたアイデンティティについて多く語ることだ。国民の尊厳の育成は、スローガンではなく、行きた経験、つまり民謡、現代文学、ボランティア活動の例、地域社会の歴史を通じて行うことができるものであり、またそうすべきであるということを考慮しなければならない。例えば、子どもが自分の文化空間の中で喜びと『美』を感じる時、アイデンティティは外部からイデオロギー的な教示ではなく、彼ら自身の「私」の自然な一部となる。そしてもう一つ。難しいテーマについて話し合うことを恐れてはいけない。子どもたちに質問するための空間、疑うための空間を与えることが大切だ。もし教師が生徒に『なぜ私たちは戦わなければならないのですか?』と尋ねることを許し、その質問を無価値なものと断定せずに、穏やかに説明する。そして、それこそが全体主義的思考に対する最も強力な対抗策なのだ。そうすることで批判的思考と愛国心が結びつく。愛国心が盲信的ではなく、意識的なものとなる。そして最後に、重要な問題を定める際の、合理的な中間点を維持する必要がある。戦略は、3つの柱に基づいて構築されるべきである。それは、(1)プロパガンダからの予防接種としての批判的思考、(2)尊厳、共感、連帯などの例を示す価値観教育、(3)スローガンではなく、文化の美しさと経験を通じた文化的アイデンティティだ」。

愛国心とは、実用主義だ!

キーウ国立大学前のマリヤ・ヴォロティロ氏 写真:ヴォロティロ氏提供
キーウ国立大学前のマリヤ・ヴォロティロ氏 写真:ヴォロティロ氏提供

歴史教師のマリヤ・ヴォロティロ氏は、公立学校と私立学校の両方で歴史を教えた経験がある。彼女はタラス・シェウチェンコ記念キーウ国立大学の歴史学部4年生のときに公立学校で教職を始めた。彼女は「気難しい」「問題のある」生徒たちのために授業をしなければならなかったのだが、彼らと良好で信頼できる関係を築くことができた。しかし、ヴォロティロ氏は、頑迷な枠組みと行政側からの完全な管理に悩まされていたと述べる。ものによっては、衝撃的ですらあったという。現在、彼女はキーウの私立学校で教えており、そこで多くの計画や案を実現するための広い裁量を与えられている。なぜなら、彼女は極めて創造的でエネルギッシュな人物だからだ。加えて、ヴォロティロ氏は、様々な問題について公の場で自分の意見を表明することを恐れない数少ないウクライナの教育者の1人でもある。

マリヤ・ヴォロティロ氏は、現代の子供たちは「読むことと書くことが苦手」だと指摘する。彼らは短く内容のあるメッセージと鮮やかな画像を重視している。彼らが興味を持っているのは日付ではなく、非常に実用的なこと、例えば、学校や医療はかつてどのようなものだったか、パルチザンとはどういう人々か、などだという。彼らを感動させ、興味を持たせなければいけない。「歴史は見なければいけない。戦いのあった野原を歩き、かつて舞踏会が開かれたホールを歩き、ウクライナのヘチマンが見た窓から街を見てみるのだ」。彼女は時折、生徒を集めて、ウクライナ国内を旅し、生きた歴史を見せて回っている。今回のこのコメントを彼女が私たちに提供した時は、彼女は片手で電話を持ち、もう一方の手で、エキスカーション中にいたずら好きな生徒たちが谷に転がり落ちないように彼らを捕まえていた。

旅行中のヴォロティロ氏と生徒たち 写真:マリヤ・ヴォロティロ(フェイスブック)
旅行中のヴォロティロ氏と生徒たち 写真:マリヤ・ヴォロティロ(フェイスブック)

ヴォロティロ氏はこう語る。「歴史とは、過去の人々の行動を分析することを可能にする科学だ。私たちの任務は、誰かを『英雄』にすることではない。私たちには、彼らが陥った状況について冷静に話し合う機会がある。そして、彼らがどのような選択肢を持ち、どのような選択をし、それがどのような結果をもたらしたかを冷静に議論することができる。それによって、私たちは現代において他者の過ちを繰り返さないことができるのだ。同時に、私たちはうまくいった判断にも注目し、それを模範として取り入れることができる。それらの人々は偶像ではなく、私たちと同じ現実の人間だ。今、戦争がある。そして、私たちはそれを無視することはできない。愛国心には何も悪いところはない(編集注:なお、そのような暗示が私たちの中に存在することは事実だ)。歴史のおかげで、私たちは過去に、他の国の一部で、先祖たちがどのように生きていたかを分析することができる。そして、ウクライナ人にとって、独立ウクライナで暮らすこと、つまり自分たちの未来を自由に決めることができる時代を生きることが、最善なのは明らかだ。愛国心とは、愚かさでも時代錯誤でもない。それは徹底した実用主義なのだ。歴史はそれを上手に分析することを可能にする。そして、歴史は、もし私たちが戦いをやめたらどうなるかを示しているのだ。」

単純な答えのないジレンマ

まとめると、現在のウクライナにおける歴史教育は、2つの極の間で揺れているのである。「愛国心の育成」と「批判的思考の形成」である。歴史とは、無視されなければ、武器にもなり、盾にもなり、尊厳の源泉にもなり得るものだ。

しかし、大切なことは、歴史教育が「恐竜についての授業」ではなく、「過去のない未来は想像し得ない」ということを、生徒が理解するのに役立つ、生きた経験であり続けることであろう。


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