モスクワ総主教庁は17世紀にキーウ府主教区を転覆的手段で奪った=コンスタンティノープル全地総主教
ヴァルソロメオス1世コンスタンティノープル全地総主教が、ブルガリアの通信社BGNESへのインタビューにて、ウクライナ正教会への独立付与の理由と根拠について説明する際に発言した。28日、グラフコム通信が報じた。
ヴァルソロメオス全地総主教は、「周知の通り、コンスタンティノープル全地総主教が、988年のヴォロディーミル公とキーウ国家の洗礼後、キーウ府主教区を創設したのである。1589年にモスクワ総主教庁(編集注:ロシア正教会)が設立された後でさえも、このキーウ府主教区は、教会法上、コンスタンティノープル総主教庁に属していたのである。1685年、モンゴルのくびきからウクライナの土地が解放された後、モスクワ総主教のヨアキム(1674~1690年)は、教会法上コンスタンティノープル全地総主教庁に属していたキーウ府主教区の教区に侵入し、ゲデオン主教をキーウ府主教に選出したのである。このように、988年から700年間続いていたキーウ府主教区の教会組織は、転覆的手段で変更されたのである。その変更は、聖なる教会法に違反し、モスクワ総主教庁に利し、コンスタンティノープル全地総主教庁に害する形で行われたのである」と強調した。
同全地総主教はまた、しかしこの変更にも関わらず、キーウ府主教区は教会法上一度たりともモスクワ総主教庁に明け渡されたことはないことを説明し、同府主教区がコンスタンティノープル総主教庁からモスクワ総主教庁に所属変更されたことを認める公式文書は一つもないことを強調した。同全地総主教は、よく知られるディオニシー4世コンスタンティノープル総主教の書簡もまた、単にモスクワ総主教にキーウ府主教の任命を教会法上許可することを示したものに過ぎず、同書簡以降もキーウ府主教区はコンスタンティノープル総主教に属し続けていたのだと説明した。
そして、ヴァルソロメオス全地総主教は、「その時から、2018年4月にコンスタンティノープル総主教庁がウクライナ正教会に独立を付与することを決めた時まで、ウクライナは、ロシアからの宗教的独立を得ようと数多くの試みを行っていたのだが、しかし、どの試みも成功しなかった。それには、モスクワ総主教庁が完全な責任を負っている」と発言した。
全地総主教は、ウクライナでは、これらの宗教的独立の試みが成功しなかっただけでなく、前世紀、主にロシア正教会がウクライナの教会的独立を認めたがらなかったために、教会の分裂も存在したことを指摘した。
同全地総主教は、これに関し、最近までウクライナには3つの正教会が存在していたことを喚起し、その1つはモスクワ総主教庁の傘下で、オヌーフリー府主教率いる自治を持つウクライナの教会(ウクライナ正教会モスクワ聖庁)、1つは自称総主教のフィラレート氏が率いるキーウ「総主教庁」(ウクライナ正教会キーウ聖庁)、もう1つは自称府主教のマカーリー氏率いるウクライナ自治独立教会であったと指摘した。そして、全地総主教は、2018年10月11日、コンスタンティノープル全地総主教聖会議が、ウクライナの正教会に独立を付与するトモス(正教会の公布文書)を付与する決定、またフィラレート氏とマカーリー氏の破門を解き、彼らの権威を認める決定を採択したのだと説明した。同全地総主教は、こうして、フィラレート氏とマカーリー氏は、同年12月の統一会議に参加し、同会議が新しい独立ウクライナ正教会の首座主教として、エピファニー氏を選出したのだと喚起した。
ヴァルソロメオス1世コンスタンティノープル全地総主教は、続けて、「私たちは、コンスタンティノープル全地総主教庁が、一切の教義上の理由なく教会の外に置かれていた数千万の人々の教会法上の立場を回復できたことを、神の偉大な祝福だとみなしている。神に栄光あれ!こうしてわかるように、全地総主教がウクライナに独立を与えることになった決定的要因は、分断の解決と教会的団結の回復だったのである」と強調した。
これまでの報道にあるように、2018年12月、キーウではウクライナ正教会の統一会議が開催され、その際、統一されたウクライナ正教会が創設され、当時のフィラレート・ウクライナ正教会キーウ聖庁総主教の補佐的役割を担っていたエピファニー主教が首座主教に任命されていた。
新たに統一されたウクライナ正教会には、それまで存在していた同正教会のキーウ聖庁、自治独立派、及びモスクワ聖庁の2名の聖職者が合流した。
これを受け、2019年1月、コンスタンティノープル全地総主教庁が新たに創設されたウクライナ正教会に独立に関する文書(トモス)を付与した。