ゼレンシキー大統領、約100年前のウクライナの若者とソヴィエト軍の戦いを喚起

ゼレンシキー大統領、約100年前のウクライナの若者とソヴィエト軍の戦いを喚起

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1月29日の1918年のソヴィエト軍と戦ったウクライナ人民共和国の学生たちを称える「クルーティの英雄追悼の日」に、ウクライナのゼレンシキー大統領は、キーウ(キエフ)市内のクルーティの英雄追悼十字架に献花し、追悼を行った。

ウクライナ大統領府広報室が伝えた

発表によれば、ゼレンシキー大統領ら政権幹部が追悼碑に献花を行ったという。

さらに大統領府は、同日ゼレンシキー大統領は、キーウ軍事学校を訪れ、ウクライナの様々な軍事学校の学生たちと面会したと発表した

ゼレンシキー氏は、100年以上前、クルーティの英雄たち、現在のウクライナ軍人と同様、模範となって、次世代のウクライナの戦士たちを鼓舞したと発言した。

同氏は、「104年前、私たちの大地、チェルニヒウ地方にて、自由で独立したウクライナを巡る闘いおける偉大な英雄的行為、勇気、不屈の精神の象徴として私たちの国家の歴史に残る戦闘が生じた。本当に若い、まだ経験のない、準備の終わっていない学生たちの活躍だ。彼らは、それでも、ウクライナを守るために立ち上がり、自らの命を代償に、兵力も装備も何倍も多い敵を止めたのだ」と発言した。

ゼレンシキー氏は、そのため今日自身はクルーティの英雄たちを、「将来ウクライナ軍に加わるべく軍事を学んでいる」ウクライナ全土の軍事学校の学生たちと共に称えると発言した。

さらに同氏は、「ウクライナにて戦争が始まったとき、あなた方の多くは10〜12歳だった。非常に困難な時期、あなた方は軍人の道を選んだ。それは、勇敢で大人びた行動だ。私は、ウクライナがそのことを知っている、見ている、称えているということを、あなた方に知っておいて欲しいと思っている」と強調した。

大統領府はまた、「クルーティの戦い」の説明文を掲載している。

説明によれば、1918年1月29日、クルーティという名の鉄道駅の近くにて戦闘が発生。ウクライナ側の兵力は、キーウ軍事学校の学生などを加えた約1000名だった。これに対して、侵攻してきたボリシェヴィキ軍の兵力は、約6000人だった。

戦闘は、ウクライナ側の組織された鉄道での撤退にて集結した。ウクライナ側とボリシェヴィキ側の損耗については、研究により数字が異なる。ウクライナ側は80名から100名、敵の損耗は最大で1500名だとする研究があるという。


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