キーウのシェルター問題

公園や歩道の修繕も必要だが、しかし、まずは何十万人ものキーウ市民のための避難所が必要だろう。明らかなことは、官僚主義によってその解決策が窒息しているということだ。

執筆:ヤリーナ・スクラチウシカ(キーウ)

写真:ドミトロー・サモイレンコ/ウクルインフォルム

トップ写真:古い開発地域の「ゼロから」作られた防空壕(ザポリッジャ)


7月3日夜。空襲警報がキーウの7月の空に響き渡った。この時は、首都がこの戦争で過去最大級の複合攻撃に直面することはまだ誰も知らなかった。

ベッドタウンの風景は2つに分かれている。一部の人々はゆっくりと地下鉄へと向かい、飲食店の従業員は折りたたみ椅子を秩序立って運んでいた。しかし、その椅子に一晩中座り続けるのは非常に困難だろう。通行人の大半は外にとどまり、広場のベンチに座って静かに会話を交わし、子供たちはブランコの周りで賑やかに走り回っていた。暑さが去った後の典型的な夜の光景だ。その先には、「防空壕」と記された集合住宅管理事務所の建物がある。そこには換気扇、ベンチ、バイオトイレを備えた避難所が整備されているが、その中には誰もいない。1年前には、入り口の警備員が「ここは職員と近隣の住民専用です」と簡潔に言い放ったものだ。しかし、今日は誰もそこへ急いでいない。今では、誰でも入れるにもかかわらずだ。

私たちはさらに離れた集合住宅の中庭へと進んだ。このあたりから地下鉄へ向かうのはもっと大変だ。「シェルター」の看板や表示が、各住宅ができる範囲で整備した地下室へと人々を導いている。ペンキを塗られた廊下にはベンチが置かれ、鉄格子のはめられた扉がある。その先には、2024年に「改修された」ばかりのシェルターの1つがあった。かつて、戦争前には、路面電車の線路脇の通路にある公衆トイレ兼技術室だった場所だ。今では新しい鍵が扉にかかっており、空襲警報が鳴ると、自動的に解錠されるようになっている。

中に入ってみる。白い壁、白い色調、新しい扉、ウクライナ・ルーシの歴史に関するポスター。そして、様々な安全規則に関する掲示物もある。これは官僚的なスラングで言うところの「視覚的アジテーション」と呼ばれるものだ。まあ、それは良いとしよう…。

しかし、ここの訪問者を迎える臭いを心地良いとは呼びがたい。カビ臭さと尿の臭いだ。その原因は明らかで、下水設備と給水の不備に加え、換気の問題があるのだ。中には、住民用のスペースがあり、壁際にはベンチが置かれている。

バイオトイレ付きの洗面所はあるが、水がない。その隣には、接続されていない固定式の洗面台がシートで覆われ、自動手洗い器にはわずかに水が残っているだけだ。そのため、この場所の不快な臭いは避けようがなく、それが空間全体に広がっている。

避難所は1つの部屋だけが明るく、もう1つの部屋は暗い。隅には1人の女性だけが座っていた。ヴァレンティーナと名乗る70歳の方だ。彼女は、このシェルターの常連だと話す。「まだ人が少ないね。夕方だから、まだみんな来てないのよ。」

深夜以降はここに多くの人が来るという。「猫や犬と一緒に来る人もいるよ。皆ベンチに座るのよ。ええ、時には一晩中。だって、家は怖いわ。私は9階に一人で住んでいるし。うちはエレベーターが動かないから、私はまだ(編集注:階段を使って)降りられるけど、下の階の人は家にずっといるのよ…。若い人たちは時々マットを持ってきて、ここで寝ていたりするけど…。」確かに、訪問者が不満を述べるように、地下鉄同様、シェルターの床は夜間の休息に適さない。タイル、そして…悪臭だ。

彼女によれば、最大の問題は水と下水設備がないことだという。耐え難いほどの臭いである。ヴァレンティナは、「でも、これより良いものはないから」と説明する。

私たちが話している間に、住民が数人入ってきた。彼らもシェルターの別の場所の湿気と下水設備の臭いについて不満を述べている。改修の質の低さに不満を抱きつつも、彼らはやはりそこに避難する。なぜなら、そうでなければ、外に立って爆発を待つか、あるいは家に残ることだからだ。

この息苦しく、悪臭のする避難所で、人々はせめてもの安全の幻想を見出そうとしている。これが2025年のキーウだ。「平和プロジェクト」で公園や自転車道を建設し続けているが、いまだに十分な数の真の避難所のネットワークのない都市だ。それとも、あるのだろうか?

市民による監視もコントロール下にある?

キーウや他の町に対する一連の大規模夜間攻撃の後、ソーシャルメディア上では再び、地元のシェルターで、私たちが実際にどれだけの安全を期待できるのかという問題が浮上した。そもそも、シェルターの状態について市民による体系的な監視が行われているのだろうか? というのも、こういう状況に影響を及ぼすことができるのは市民だからだ。

テルノーピリ市の交通機関停留所近くの移動式シェルター 写真:https://ternopilcity.gov.ua/

しかし、市民社会側の意見を聞こうとする試みは、そのような市民社会自体が存在しないことから、予想以上に困難だということがわかった。昨年まで積極的にシェルターの調査をしていたほとんどの市民団体やイニシアティブは、現在消滅しているか、活動内容を変更していたのだ。監視活動は、主に一部のオピニオンリーダー、いくつかの地元の団体が行うか、公式報告書に記述されるのにとどまっている。

この問題についての活動をしているグループの1つ「シェルターと防空壕の市民コントロール」のコーディネーターを務める、軍人のアンドリー・ピウトラク氏は、ウクルインフォルムに対して、シェルターの主な問題点について語った。同氏は、「そもそも国が責任を放棄しており、全てを(住宅の)管理者に押し付けている。私たちのところも、イスラエルのように、もっとずっと前に国家建設基準による『安全ルーム』が義務付けられ、代替なしに絶対に建設しなければいけないようにするべきだったはずだ。そして、維持費を稼ぎながら、役立つこともできるような、二重目的の商業シェルターも存在すべきだった。しかし、今の管理者にとっては、シェルターはただの頭痛と出費の原因に過ぎなくなっている。そのため、誰も地下駐車場や他の建築物をシェルターリストに登録しようとしていないのだ」と説明する。

ザポリッジャの移動式シェルター。ただし、これらのシェルターは国家建設基準を満たしていない。写真:https://lokatormedia.online/

もう1つの問題は財政面だという。同氏は、「人々がシェルターに入ろうとするのを拒否した場合の行政罰、さらには刑罰もあるが、しかし、その維持費や警備に関しては、それを補償する仕組みがない。そしてそもそも、私たちは爆弾の直撃に耐えられるような真のシェルター、つまり特殊な建造物は建設しておらず、ただ地下室を住民のための『大丈夫なもの』だと記録したにすぎない。『これがシェルターだ』と」と指摘する。

つまるところ、シェルターの状態に関する責任の問題は未解決のままだということだ。同氏は、「形式的には、領土防衛部隊が国家非常事態庁と共にこの問題に取り組むことになっていた。そのことは国民抵抗法に明記されているのだ。しかしながら、領土防衛部隊は陸軍の支援に回されており、住民の保護どころではなくなっている」と述べる。

なお、ピウトラク氏は、自身のグループはウクライナの様々な町から情報を収集し続けていると述べる。助成金や他の組織から資金提供を受けておらず、その活動は自主的イニシアティブの典型だという。同氏は、「私は2021年に、戦友たちと大戦争が迫っている中で、住民のためには何も行われていないのを目にしていた。だからこそ、このグループを作った。私が今本当に目にしている唯一の変化は、学校や幼稚園の新しいシェルターだ。しかし、そこでもすでにスキャンダルが生じている。新しい『流行の』シェルターが、規則に違反して建設されたために、水浸しになったのだ。シェルターには、最低でも2つの出口と、換気扇、そしてトイレが必要だ。地下構造物のコンクリートの厚さと品質はどうだろうか? しかし、さらに別の問題もある。シェルターは建設されているが、それらは防空壕ではない。それらは同じではない。というのも、防爆扉さえ義務付けられていないのだ」と指摘する。

キーウのシェルターの扉 写真:ティ・キーウ

次の対話の相手は、キーウ研究家で地下研究者である、キリロ・ステパネツ氏だ。彼も扉について言及する。ステパネツ氏は、長年キーウの防空壕とシェルターを研究しており、大戦争4年目となる2025年、特に都市の民間施設への砲撃が激化している中での状況にコメントした。同氏は、「多くの古い防空壕で扉が交換されていることに気づいた。以前は、爆風に備えて『ソ連製』の頑丈な装甲扉が設置されていた。しかし、今は薄い金属製のものが設置されており、叩いてみると鍋のようだ。古いものがもう使えなくなったのかもしれないが、しかし、それは誤った節約か、あるいはよくある『資金洗浄』に見える。見た目は良くなったかもしれないが、機能性には大きな疑問符が付く」と指摘する。

ステパネツ氏はまた、都市の真の「防空壕」とはどのようなもので、なぜそれが利用できないかについても語る。「キーウのアカデムミステチコのような地区には、ソ連時代に科学研究機関や工場の地下に大規模な防空壕ネットワークが建設されていた。これらは非常口、換気シャフトを備えた巨大な資本の投入された構造物で、アゾフスタリの要塞の品質と非常によく似ており、直撃にも耐えられるだろう。しかし、それらは全て、現在ほとんど稼働していないそれらの研究所の管轄下にある。警報中も人々のために開放されることはなく、キーウのシェルターマップにも掲載されていない。住民はただ『アカデミステチコ』駅や『ジトーミルシカ』駅の地下鉄構内に群がるだけだ。」

同氏は、このような状況はアカデミステチコ地区だけでないとし、「キーウ全体では、主に古いソ連時代の民間防衛施設が改修されている。新しい真の防空壕はほぼ建設されていない。トロイェシチナ地区のような住宅地では、真の防空壕は全く計画されていなかった。同地区のシェルター地図には、主に駐車場が記載されている。しかし、もし万が一そこに何かが飛来すれば、それらの駐車場の価値がどれほどのものか、皆が目の当たりにするだろう。それらは破片からの保護しかできず、それ以上のことには役立たない」と指摘する。

ピウトラク氏も同様のことを語る。「たとえ何かが建設されたり修理されたりしているように見える場所でも、ほとんどの場合、『形式的なだけ』の最低限のことしか行われていない。真の防空壕は、2つの出口、換気、トイレ、防爆扉を備えた複雑なシステムだ。しかし、私たちはしばしば外観を修理し、それをシェルターとして提示しているのだ。」

ステパネツ氏は、改修された古い避難所でさえ、本来の目的が考慮されていないことが多いと強調する。「修理するのではなく、誰も中に入らないようにと、換気シャフトを溶接して閉じてしまったのを見たことがある。しかし、それらは非常口だったのだ! ソ連の技術者は、化学兵器や核兵器の攻撃の可能性さえ計算に入れていた。フィルターや遮断設備など、あらゆるものがあった。今は完全に溶接されてしまっており、おしまいだ。それらは包括的に点検する必要があるものであって、単に白く塗って掃除するだけではだめなのだ。」

イヴァノ=フランキウシクの防空壕 写真:https://blitz.if.ua/

同時に、ステパネツ氏は、より責任感のあるアプローチが取られた事例もあると指摘する。同氏は、「病院の状況は良い。そこにはソ連の設計に基づいて防空壕が以前からあった。そして、それらは確かに修復された。ディーゼル発電機、暖房システム、下水設備を目にした。つまり、その防空壕では自律性が考慮されたのだ。しかし、それは例外的である」と述べる。

キーウ研究家でジャーナリストでもある彼は、「スターリン様式」の建物は戦時基準で建設されており、信頼できるシェルターを備えているので、住民はそれを利用すべきだとしつつ、同時に、「しかし、当時建設された防空壕は非常に少なく、キーウには数千しかない」と語る。

結局のところ、この問題は構造的に未解決のままである。ステパネツ氏はこう断言する。「責任の押し付け合いが続いているのだ。キーウ市行政府は軍行政府のせいだと言い、軍行政府は市行政府のせいだと言う。明確な基準も、統一されたプログラムもない。その結果、ソ連時代の遺産が多少でも残っている地域は生き残るだろうが、それ以外の地域はどうするのだ?」

ピウトラク氏は、これらのこと全てが、特に地下鉄や地下道のない大型住宅地にとって、非常に危険な状況に繋がるだろうと指摘する。同氏は、「何もない地域がある。まともなシェルターも防空壕もない。もしそこに何か飛来すれば、人々には行く場所がないのだ。これが最も痛ましい問題だ」と述べる。

ステパネツ氏も同じ意見だ。「トロイェシチナ地区(編集注:キーウ市内北東の地区)を例にとってみよう。50万人の人口のいる地区だ。そこではソ連時代に真の防空壕が全く建設されなかった。80年代にできた地区で、大型企業はなかった。学校のシェルターは、それを必要とする全ての人々を守るものではない。ましてや、学校も攻撃されているのだ。」

活動家たちは口をそろえてこう言う。最も喫緊の問題は、地下鉄がない場所に防空壕が不足していることだと。キーウの多くの地区では、地下鉄だけが砲撃時の唯一の現実的な大型シェルターとなっている。そして、これは交通機関の不便さだけでなく、リスクも意味する。

ピウトラク氏は、「警報中に地下鉄の駅が人でごった返すのは、単に不便なだけではなく、潜在的に危険でもある。直撃やパニックが発生した場合、恐ろしい結果を招く可能性がある」と指摘する。同氏はそして、「私たちには、防空壕ネットワークの発展に関する統一されたプログラムが一つもない。そして人々は、問題に個々人で立ち向かわされている」と述べる。

移動式シェルター問題の責任は誰にあるのか

実際、キーウにおける移動式シェルターの建設状況は、全面戦争が4年目に入っても、市民の安全に関する問題が、軍行政と民行政の間で「熱いジャガイモ」のように投げ回されていることを如実に示している。

キーウの防護建築物は、全体で4千以上の防護施設から構成されている。それは、防空壕、地下室・半地下室、地下駐車場、地下鉄駅、地下通路からなる。法律によれば、これらの施設を適切に維持管理するのは管理者の義務である。キーウ市行政府は、施設が私有物である場合、「状況に完全に影響を及ぼすことはできない」と指摘している。

最近マスメディアにて、キーウ市民の助けもあって浮上したもう1つの痛ましい問題が、全面戦争4年目になっても首都に現れない「移動式シェルター」だ。具体的には、キーウ市軍行政府のティムール・トカチェンコ長官が、首都にモジュール式シェルターがないことを公に表明し、市当局に責任があると述べた。彼は、3年半の戦争にもかかわらず、公共交通機関の停留所や子供の遊び場の近くにそのようなシェルターがなく、その設置へのイニシアティブは市役所によって妨害されていると主張した。

「キーウに最初の試験的なシェルターが設置された」2023年 写真:グラヴコム.ua

これに対し、キーウ市行政府安全局長のロマン・トカチューク氏は、この見解を厳しく批判し、実際の問題は国家の規制メカニズムと法改正の欠如にあると訴えた。彼によると、特別な規制がなければ、市は移動式シェルターの設置に予算を正式に支出したり、それらを防護施設登録簿に登録したりすることができないという。

トカチューク氏は、「実際に予算を使って移動式シェルターを購入・設置することは可能だが、公式には稼働させられず、防護施設の地位も得られず、関連する市の基金にも登録できないのだ」と説明した。

同氏は、市はこの問題を立法レベルで解決するよう何度も内閣に要請していると指摘した。その上で、キーウ市の「行動の不在」に関する非難は印象操作だと述べ、2022年にはすでにそのようなシェルターの設置可能な場所を定め、製造業者との会議も行ったと述べた。しかし、これら全ての計画は、法的ギャップの存在のために宙に浮いたままだという。

このような公の場での論争は、権力機関間の調整不足がいかに治安上極めて重要な決定さえ麻痺させるのかを鮮やかに示している。キーウで新しい公園や自転車道が開設される度に、住民は皮肉を込めて問う。「なぜ同時に本格的なシェルターネットワークが建設されないのか? なぜ2つの出口や換気の問題が、依然として最大要求として提示されるのか? 現在の現実は、考え抜かれた構造、適切な壁の厚さ、水、衛生設備、通信、そして空襲警報の鳴る夜を一晩中横になって過ごせる機会を要求しているにもかかわらずだ。」

同時に、市当局は定期的に新しい施設について報告している。例えば、市行政府のヴァレンティン・モンドリーウシキー副長官によると、2025年、キーウ市は、23の二重目的施設(放射線防護性能付き)の建設完了に資金を割り当てた。これは教育機関(幼稚園や学校)のシェルターの話である。当初全くシェルターを持たなかった37の施設のために、2024年に作業が開始されたものだ。

公式データでは、36の施設で設計・積算書類が準備され、27の施設で建設契約が締結されている。2025年半ば現在、23か所で作業が活発に進められている。すでにダルニツィキー地区とオボロンシキー地区の3つの施設で建設が完了している。

しかし、その速度は多くの疑問を抱かせる。人口約300万人の都市(編集注:なお、これは公式数値であって、実際にははるかに多い)にとって、年間23の施設というのは極めて謙虚な数字である。学校や幼稚園だけに限っても、キーウには700以上あるのだし、さらに何百もの別の公共空間には一切防護がない。比較として、たった一晩のミサイル攻撃だけでも、シェルターの必要性は、数十ではなく、何万もの安全な場所が必要なことから計算できよう。つまり、23の新しい施設は、問題の真の解決策というよりは、象徴的な行為にすぎない。

これらのシェルターの建設は、2024年~2026年のキーウの経済社会開発プログラムで定められている。しかし、すでに現状で、建設の速度とアプローチが現在の課題に合致していないことは明らかであろう。

したがって、予算に数億フリヴニャが計上されているにもかかわらず、地下鉄駅、地下室、集合住宅の共同空間での避難を余儀なくされている多くの住民、そしてとどまることを知らないミサイルと無人機によるジェノサイドの脅威に直面する中で、現代的なシェルターシステムの構築という問題は、官僚主義、野心的な計画と決定の欠如、そして様々なレベルの政府間の相互非難の人質となり、吊し上げられたままなのだ。

今後はどうなるか?

しかし、速やかな和平への期待とは裏腹に、この戦争は続いていく。花壇の花々、新しいベンチ、自転車道、それらは全て素晴らしいものだ。しかし、それらは後だ。最優先課題は「安全」である。なぜなら、攻撃されている時に隠れる場所がなければ、ベンチも必要がなくなるからだ。

これは不愉快な話題である。なぜなら、ソーシャルメディアやランキングですぐに良い結果を出せるものではないからだ。よく言われるように、非難する対象を探す方が何かを築くよりも簡単である。しかし、この問題を今解決しなければ、払わざるを得なくなる代償は、命である。

結局は、全てのことがとても単純なことに帰結するのであろう。カビ臭いシェルターのベンチで夜を過ごす70歳のヴァレンティーナは、戦争が続いていることを理解している。自分の最も重要な課題が生き残ることだということも。その際、生き残るのは、一人でではなく、誰かと一緒にだ。そしてそのためには、国、市、隣人、身内の人々が、私たち一人一人を助けなければいけない。そうしなければ、キーウは、戦時中も、戦後も、安全に暮らせる場所にはならない。


ウクルインフォルムは、首都以外でも、シェルターに関する状況を引き続き取材している。今後も関係者との対話を期待している。