エリツィン露政権時代ですらクリミアへの脅威を感じていた=クチマ元ウクライナ大統領
ウクライナのクチマ第2代大統領(1994〜2005年)は、ロシア政権はエリツィン大統領の時代もウクライナ領クリミアについて攻撃的な姿勢をとっていたとし、ロシアの政治家たちの大部分がウクライナに対して領土的要求を突きつけていたと回顧した。
クチマ元大統領がウクルインフォルムとのインタビューの際に発言した(リンク先はウクライナ語)。
クチマ氏は、「(編集注:クリミアに関する)脅威は間違いなく感じていた。ロシアで権力を握っていたのがエリツィンであった時でさえ、あそこの政治家たちの大部分はその意味において極めて攻撃的だった。ロシア議会は、1954年のクリミアをウクライナへ移管する命令を『破棄』してみせ、『セヴァストポリのロシア地位』を承認するなどといった挑発的な決議を採択していた。このような立場をとっていたのは、非主流派の国家主義勢力だけでなく、ルシコフ・モスクワ市長ののような、いわゆる『穏健派』の一部の者も含んでいた」と発言した。
同氏はまた、自称「クリミア大統領」として知られるユーリー・メシュコフの分離主義政権がロシアから思想的、財政的、人事的な支援を受けていたことを喚起した。
そして同氏は、「当時のクリミア政府は主にロシア国民で構成されていた。しかも、そこにおける全ての治安機関はロシア人の手の中にあった。それは、1995年3月17日に私がメシュコフの憲法違反の役職を廃止する法律に署名し、同人のロシアへの国外追放に関する命令を下したその瞬間まで続いていた」と述べた。
写真:大統領府