ゼレンシキー宇大統領、ドラパーティー総司令官、スキビューク参謀総長を任命

ウクライナのゼレンシキー大統領は22日、ミハイロ・ドラパーティー氏を軍総司令官に、イーホル・スキビューク氏を軍参謀総長に任命し、オレクサンドル・シルシキー氏とアンドリー・フナトウ氏をそれぞれの職から解任する大統領令に署名した。

ウクライナ大統領ウェブサイトに関連大統領令が掲載された。

ゼレンシキー大統領は、大統領令第627/2026によりシルシキー氏をウクライナ軍総司令官から、第629/2026によりフナトウ氏をウクライナ軍参謀総長から解任した。

大統領令第628/2026により、ドラパーティー氏をウクライナ軍統一部隊司令官から解任した。

さらに、大統領令第630/2026には、「ミハイロ・ドラパーティーをウクライナ軍総司令官に任命する」と記されている。

また、大統領令第631/2026により、スキビューク氏をウクライナ軍参謀総長に任命した。

これに先立ち、21日、ゼレンシキー大統領は、ウクライナ軍の新総司令官にドラパーティー氏が就任するとし、さらにウクライナ軍参謀本部の体制が刷新されると述べていた。

ミハイロ・ドラパーティー少将は、ウクライナ軍統一部隊司令官(2025〜2026年)、作戦戦略部隊集団「ドニプロ」指揮官(2025年)、ウクライナ陸軍司令官(2024〜2025年)、作戦戦術部隊集団「ルハンシク」指揮官(2024年9月〜11月)、作戦戦術部隊集団「ハルキウ」指揮官(2024年5月〜9月)、軍人訓練担当参謀副総長(2024年2月〜11月)、作戦戦術集団「ヘルソン」指揮官(2022〜2024年)、第58独立独立自動車化旅団指揮官(2016〜2019年)を務めた人物。

2014年5月9日のウクライナ東部マリウポリをめぐる戦闘の際には、ドラパーティー氏の歩兵戦闘車が分離主義者が設置したバリケードを吹き飛ぶように突破した映像が広く知られている。

1982年11月21日、フメリニツィキー州カムヤネツ=ポジリシキー生まれ。高校卒業後、ハルキウ戦車兵学校の士官候補生となった。2004年に教育課程を修了した後、ドラパーティー氏は第72独立機械化旅団で軍役を開始した。

2017年6月、ウクライナ国防大学で修士課程を修了。2017年7月から、バフムート幹線方面で第58独立自動車化旅団を指揮した。

2019年4月、大佐の階級を獲得。2019年8月、第58旅団を別の指揮官に引き継ぎ、イヴァン・チェルニャホウシキー記念ウクライナ国防大学の受講生として2年間の学習を開始した。

2014年にロシアの対ウクライナ侵略が始まった際、ドラパーティー氏は、第72独立機械化旅団(ビーラ・ツェルクヴァ拠点、A2167基地)の第2機械化大隊長だった。同年4月中旬には、第72独立機械化旅団は全編成でウクライナ東部に配備され、防衛課題を実行する準備ができていた。同旅団第2大隊の部隊はマリウポリ市の周囲に配備。5月9日、武装したロシアのテロリストが同市警察署の占拠を試みた。その際、第72独立機械化旅団第2大隊に対し、テロリストの襲撃を受けていた他の部隊を支援し、人質を解放する目的で、装甲車両でマリウポリ市内に突入する命令が下された。その際に、作戦を率いたのは当時大隊長のドラパーティー(当時)少佐だった。その際、扇動された親ロシア派地元住民が市の通りにバリケードを設置していたことで状況が複雑になっていたところ、4台の車両からなる車列が課題を遂行した後に、市の内側から外側へ向かって戻っていた際に、バリケードの1つが道を塞いでいたところ、ドラパーティー氏が乗っていた先頭の歩兵戦闘車がそのバリケードを「飛び越えた」。その映像は、世界中で閲覧されることになった。マリウポリでの出来事の後、テロリストたちはこの部隊を「黒い旅団」と呼び始めた。

2014年6月7日、同第72旅団の第1、第2大隊はロシアとの国境に沿った襲撃に向かい、アムウロシーウカ、ゼレノピッリャ、マリニウカ、ドウジャンシキーの集落周辺の国境地帯の支配を回復し、サヴール=モヒーラ、チェルヴォノパルティザンシキー(検問所)を確保。彼らの当時の課題は、国境に到達し、ロシアからの補給からテロリストを遮断することだった。その際、テロリスト集団の支援のため、ロシア領内から多連装ロケットシステム「グラート」及び「ウラガン」使ったウクライナ部隊への砲撃が始まった。第72旅団、第79旅団、第24旅団及び国境警備隊の部隊が、敵の砲火包囲網に陥った。とりわけ、ロシア領からの砲撃には応戦することができないし、反対側からは親露テロリストが自治体に身を隠しながら放火を浴びせていた。

その際、ドラパーティー氏は、イズヴァリネ及びチェルヴォノパルティザンシキーの地帯からの部隊撤退を担当、第72旅団の攻撃班を率いた。8月4日、車列は第79独立空挺機動旅団及び第24独立機械化旅団が位置していたゼレノピッリャに到達。彼らとともに8月7日にかけての未明、第72独立機械化旅団の兵士たちは、「イズヴァリネ包囲網」から脱出し、主要戦力へと合流する2回目の重要な突破作戦を実行した。同包囲網からは、30台以上の車両とともに第72旅団第2大隊の兵士260名が脱出。3日間の突破で大隊長が失った兵士は1名だった。

その後、ドラパーティー氏の大隊はヴォルノヴァハ方面の戦闘区域へと戻り、ドラパーティー氏自身はウクライナ国防大学への教育へと送られ、中佐の階級が付与された。同氏は、その後通信教育へと転籍し、反テロ作戦(ATO)戦域へ復帰。第30独立機械化旅団内で、2016年の夏の終わりまで本部長兼旅団第一副指揮官のポストを務めた。

2016年秋、ロシア捜査委員会はドラパーティー氏に対する刑事事件を開始している。

イーホル・スキビューク少将は1976年、スーミ州コノトプ市生まれ。オデーサ陸軍大学及び国防大学を卒業した。スキビューク氏は空中機動小隊長から旅団副隊長兼ウクライナ軍高機動強襲部隊独立空挺強襲旅団空挺サービス長などを経験。コソボにおけるウクライナ平和維持部隊の特別中隊特別小隊長を務めた(2001〜2002年)。

ロシア・ウクライナ全面戦争期には、第80独立空挺強襲ハリチナ旅団を指揮し、その後空挺強襲軍司令部を率いた。

2025年6月からは、ウクライナ軍参謀副総長職を務めていた。

写真:大統領府