ザポリッジャ市にて東部で死亡の軍人の告別式開催

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30日、ウクライナ南部ザポリッジャ市にて、東部ドネツィク州にて戦闘課題遂行中に死亡した第74独立情報旅団所属の軍人アンドリー・ヴィスクレベツィ氏の告別式が行われた。

ウクリンフォルムの記者が伝えた。

ヴィスクレベツィ氏は、8月27日、ドネツィク州スラウネ町にて戦闘課題遂行中に敵狙撃兵からの攻撃を受け死亡した。

写真:ドミトロー・スモリイェンコ/ウクルインフォルム

作戦戦術部隊「スヒード(東)」の作戦司令部指揮官臨時代行を務めるウラディスラウ・クロチコウ旅団将校は、「私たちは今日、真の戦士、愛国者、国民、父、兄、子である人物を追悼するために集まった。彼は、自らの命をウクライナの平和と安寧のために捧げた。私たちがこの侵略を展開したのではないが、戦いは続いており、神は最善の者たちを連れ去っていく。私たちが彼の命を救えなかったことにつき、私は、軍幹部、陸軍司令部に対して許しを乞う。歴史が全てを正しい場所に据えるであろう。私たちの子供、私たちの未来のために、私たちは、良き兵、戦士、愛国者のことを覚えておくことを約束しなければならない」と発言した。

ヴィスクレベツィ氏が配属されていた第A1035基地の副司令官を務めるエドゥアルド・コロヴィン中佐は、この3日間で、同旅団は2名の軍人を失ったと伝えた。コロヴィン氏は、ヴィスクレベツィ氏につき、「彼は、民への奉仕者の真の模範者だった。彼は、2015年から軍役に就いていた。(中略)私たちの旅団の活動が楽なものでないことは誰もが知っているだろう。しかし、彼は、名誉と誇りをもって任務に就いていた。家族の方々に許しを願う。私たちが彼を守れなかったことを、どうか許して欲しい」と発言した。

アンドリー・ヴィスクレベツィ氏は、1982年4月28日、ザポリッジャ市生まれ。ザポリッジャ建築技術学校を卒業した後は関連分野での仕事をしていた。2015年3月になり、ウクライナ軍に動員され、第26火砲旅団に配属。動員期間が終わった後、軍と3年間の契約を結び、第55火砲旅団「ザポリッジャ・シーチ」に入隊、ウクライナ東部にて戦闘課題を遂行していた。その後、2019年からは、契約にて、第74独立情報旅団に入隊。対戦車砲撃支援小隊のオペレーターを担っていた。