現代ロシアの崩壊はイスラム教徒への圧力が原因で始まるかもしれない=イスラム教指導者
7日、このような考えを、ウクライナのイスラム教徒共同体「ウンマ」の指導者(ムフティー)であるサイード・イスマヒロウ氏が、キーウ(キエフ)市内の「クリミアの家」にて開催されたラウンド・テーブル「ロシアの帝国的言説における南部黒海沿岸地域とクリミア」の際に発言した。
イスマヒロウ氏は、「私たちは、現在、ロシアによる特定の宗教団体に対する政策を目撃している。その政策では、イスラム教の一定の書物が禁書扱いになったり、集会が禁止されたり、信仰や宗教的見方・考え方の自由が禁止されたりしている。つまり、あらゆる圧力が利用されているのである。しかし、イスラム世界は、これまで何世紀にも渡り、このような政策の対象となっており、ある種の免疫を有している。私は、ムスリムたちが自らのアイデンティティを維持していくことを期待しているし、それがロシアにとっての脅威なのだと思っている。なぜなら、私は、現代版『新ロシア帝国』の崩壊は、正にこのムスリム・コミュニティから始まるのだと思っているからである」と発言した。
イスマヒロウ氏は、ロシアはクリミアのイスラム教徒に対しては、クリミア・ハン(1441~1783年)を占領して以降圧力をかけ続けていると述べた。
同氏は、「ロシアは、(18世紀に)ウクライナとクリミア・ハンを占領して以降、クリミア、アゾフ海・黒海沿岸地域に住むムスリムに対してこれらの圧力手段を利用し続けてきた。そのムスリムであるクリミア・タタール人が、(ロシア人と)同化することなく、非常に強固に自らの宗教的、民族的アイデンティティを維持したことから、ロシア帝国は、19世紀からムスリムに対して採用していた攻撃的手段ではクリミアのムスリムは克服することはできないことを理解したのである」と指摘した。
イスマヒロウ氏は、数世紀にわたり存在したクリミア・ハン国には、「非常に強力な宗教的要素」があったと強調した。
同氏は、「当時のクリミアは、欧州におけるイスラム教の学術的飛び地であった。そこには多くのシャイフ(イスラム知識人)、学者、ハーフィズ(クルアーンを暗礁できる人物)が暮らしていた。クリミアでは、宗教が生活の中心にあり、クリミアは、欧州におけるイスラム教の前線防衛地点であった。そのため、ロシアは、暴力的圧力を用いて、ムスリムたちをクリミアから強制的に追放し始めた。この追放により、トルコや黒海沿岸の諸国に、大きなクリミア・タタール人コミュニティが作られることになる。そこで、人々は自らの宗教的、民族的特長を維持しようと努力したのである」と説明した。
同氏は、しかし、単にクリミア・タタール人を追い出すだけではうまくいかないことを理解したロシアは、更にクリミア・タタール民族の文化的、精神的指導者を排除していったと指摘した。
そして、同氏は、ロシアにとってのこの「クリミア・タタール問題」の「決定的解決の試み」となったのが、ソ連のスターリンによる、1944年の「クリミア・タタール全民族のクリミアからの追放」なのだと説明した。
イスマヒロウ氏は、ソ連が崩壊して以降、クリミア・タタール人が再びクリミアにおける組織的コミュニティとして現れたこと、そしてそのコミュニティはロシアがクリミアを占領して以降も存在し続けていることを指摘した。同氏は、「クリミア・タタール人は、組織的コミュニティである。彼らは、ロシア政権やロシアのイデオロギーに支配されない。そのため、現在、クリミアのムスリムに対して、再び、ロシア帝国のエカチェリーナ2世が採択したのと同様の、弾圧、逮捕、禁固、宗教指導者に対する強制的行動といった、あらゆる手段が用いられているのである」と説明した。