ロシアによる対ウクライナ全面侵略が始まってからの4年間、東野篤子教授は、日本の情報空間における「防衛者」であった。日本で蔓延していた「ゼレンシキーが降伏すれば、多くの人の命が助かる」「たかが領土、人の命の方が大切だ」「そもそもNATOが東方拡大をしたのが悪い」といった主張に対して、彼女は常に何よりもまずウクライナの人々の声に耳を傾けるべき、彼らの望むことを支えるべきだと毎日訴えてきた。日本が今日までウクライナへの支援を継続できているのは、彼女のような真摯に議論を重ねてきた専門家たちのたゆまぬ努力によるところが大きい。
ウクルインフォルムは、ウクライナ研究会副会長も務める東野教授に、日本の言論空間におけるロシア・ウクライナ戦争への見方の変遷、ウクライナへのさらなる軍事支援の可能性、日本の「平和主義」が抱える矛盾、そして日本がウクライナから学ぶべき教訓などについて尋ねた。
聞き手・写真:平野高志(つくば)

クリミア侵略の時に大きく反論しなかったことが、許せなさとして残っている
ロシアがウクライナに対して全面戦争を始めた4年前の最初の日、そして最初の1か月のことを覚えていらっしゃいますか?
最初の日の記憶は、かなり途切れ途切れです。「ずっと恐れていた全面侵攻が、やはり起きてしまった」という悔しさと辛さ。電話が鳴り続けて一瞬も止まなかったことだけよく覚えています。NHKの昼のニュースでは、電話でインタビューを受けながら、自分の声がテレビから聞こえてきました。そのテレビの画面には、攻撃を受けているウクライナの映像が途切れることなく写っていました。
その日は、日本国際フォーラムで「ウクライナで戦争が始まるのか」というオンライン・シンポジウムが予定されており、昼過ぎから夕方まではインタビューを受けられませんでした。今起きていることについては語れることがあまりなく、歯がゆく思いながら、これまでの経緯を整理して聴衆にお話ししていました。
シンポジウム後にNHKへ向かい、ニュース番組に出演しました。それが「地獄のようなテレビ生活」の始まりでした。収録後ただちに、「翌朝の『おはよう日本』にも出てほしい」と言われましたが、「子どものお弁当があるので一度帰ります」と伝え、家に戻って家事をしてから再びNHKへ向かいました。
恐れていた全面侵攻が現実のものとなってしまったショックに浸る暇もなく、電話は鳴り続け、移動中にただ泣いていたことを覚えています。そんな状態が数週間続き、テレビ出演以外に何をしていたのか、正直ほとんど記憶がありません。
最初の1か月間は、まとめて2時間以上眠れませんでした。眠ると、起きた時にウクライナで今よりももっとひどいことが起きているのではないかと思い、体が眠ることを許さなかった。この感覚は、人生で3回目でした。上の子、下の子が生まれた直後の授乳期、そしてこの戦争の時です。
毎日テレビに出演されていたのですか?
毎日です。多いときには一日に数回、複数のテレビ局を移動して出演していました。出演の待ち時間に、テレビ局の控え室で仮眠を取ったりしたこともあります。
当時、特に伝え続けていたコアなメッセージは何でしたか?
「ウクライナには非がない」ということです。当時から、NATOの東方拡大が悪かった、米国や欧州がロシアを追い込んだ、という言説が強かった。しかし、百歩譲ってウクライナのEUやNATOへの接近がロシアを刺激したとしても、なぜ武力侵攻を受けなければならないのか。全く釣り合っていません。ウクライナは、こんな目に遭うようなことは何もしていない、不当だと言い続けました。
背景には2014年のクリミア侵略があります。当時の日本の論調は「クリミアはもともとロシアのものだから、正しい場所に戻っただけだ」というものが圧倒的でした。私は当時、強い違和感を覚えながらも、大きな声で反論しなかった。そのことが後に、自分への許せなさとして残っていました。
1991年の独立時点で、クリミアはウクライナの固有の領土であり、それを不法な占領によって奪取するなど許されないのですが、私はそのことを十分に発信してこなかった。そして、2022年以降、案の定「ウクライナにも侵攻される理由があったのではないか」という主張と闘うことになりました。あの時に力一杯反論しなかったのだから、「今こそやらなければ」という気持ちで発信していました。
トランプの頭の中を探るのではなく、当事者のウクライナに聞くべき
この4年間、東野さんは毎週メディアに出演されてきたと思います。特に、過去1年はどのようなことを話されてきましたか?
2025年の発信は、その前の3年間とは全く違っていたと思います。トランプ米政権の成立後、トランプがこのロシア・ウクライナ戦争をどう終結させようとしているのかという点に、メディアから過剰な関心が寄せられました。
私は、トランプ政権に期待するのはあまり得策ではないと思っていましたし、そもそも同政権がこの戦争の本質を正しく理解しているのかについても疑問を呈してきましたし、それ以上に、本来の焦点はそこではないということを言い続けてきました。
つまり、トランプがどう思うのか、どのような解決を自分の力で導こうと思っているのかではなく、3年、今では4年にわたって侵略に耐えてきたウクライナが、この先どうしたいのか。支援を受けて戦い続けたいのか、あるいは戦争を止めるための手助けを求めているのか。それなのに、ウクライナのメッセージを聞かないまま、トランプの頭の中を探る合戦が始まったことに、私は強い違和感を覚えていました。
ウクライナが今後どうしたいのかについては、当事者のウクライナに聞くべきだということを言い続けたつもりです。「ウクライナなしに、ウクライナのことを決めない」というのが大原則でしょう。しかし、2022年、2023年はプーチンの頭の中を探る合戦があり、2025年はそれがトランプに置き換わっただけでした。ウクライナが主語でなくなりかねないこの構図を、私は常におかしいと思い、議論をウクライナに着地させようとしてきました。
日本人の多くはロシアを脅威と認識しており、ウクライナへの同情は確かにある
この4年間で、日本の人々のウクライナに対する見方や関心は変わったと思いますか?
良い変化も、悪い変化もあったと思います。良い変化としては、これまでウクライナを全く知らなかった人たちが、全面侵攻をきっかけに、ウクライナの場所や歴史を知り、ウクライナを「発見」ないし「再発見」したことです。ボルシチがウクライナに由来することや、ヴィシヴァンカのような伝統衣装など、解像度が少し上がった面は確かにありました。
一方で、残念ながら4年が経とうとしている今も、「ドンバスの人々はロシアになりたがっている」「ロシア語話者は本来はロシア人だ」といった単純な誤解や思い込みは、十分に払拭できていません。対米・対欧州批判が、そのまま理不尽にウクライナへ向けられる論調も、日本に今なおあります。
戦争が長引く中で、「ウクライナが降参すれば戦争は終わる」という考え方が、誤った形で定着してしまっていることもあると思います。
日本ではウクライナが降参して終わった方が良いという見方が強いのでしょうか?
例えば、PEWリサーチセンターの調査を見ると、日本人の多くはロシアを脅威と認識しています。ですから、そのロシアから恒常的に攻撃を受けているウクライナへの同情は、確かにあると思います。ただ同時に、どこかで起きている戦争の話題を、これ以上聞きたくないという、非常に自己完結的な厭戦気分、自己中心的な平和主義が根強く存在するのも事実です。
日本人の間に厭戦気分がある、と。
戦争について語る人間、例えば私のような人間が戦争を語ってお金をもらっている、そういう状況を見たくないという人がいます。
日本の世論全体で言えば、ウクライナ支援は正しい、支援すべきだと思う人は、今も多数派だと思います。ただ、それと、私個人にぶつけられている反応は違います。私が「全てはウクライナ人が決めることだ」と言うと、それが曲解されて、「最後の一人まで戦わせようとしている」「停戦に反対している」というように、ネガティブに捉えられることがあります。
戦争を見たくないという感情自体は、よくわかります。でも、これは「どっちもどっち」の戦争ではありません。侵略された側が、侵略されたという事実を受け入れて諦めれば、それで本当に良い世の中になるのか。私は、それを問い続けています。

毎日自分の子供たちの顔を見ると、連れ去られたウクライナの子供たちのことを考えてしまう
全面戦争は間もなく4年ですが、クリミアの占領、最初の侵略からは間もなく12年です。時間が経てば人々の関心というものは薄れます。実際、先の衆議院選挙では、ウクライナ支援や対露制裁は論点になっていませんでした。この状況をどう思っていらっしゃいますか?
日本では、これまでどの政権も「世界の中の日本」「日本が世界にどう貢献するか」を語ってきました。そうである以上、現在進行形で続くロシアによるウクライナ侵略をどう止めさせ、ウクライナの国防をどう支えるのかは、本来、最大の関心事であってもおかしくないと思います。
岸田政権の時には、新しい枠組みでの支援を打ち出し、岸田総理自身がキーウを訪問し、ゼレンシキー大統領を広島サミットに招き、発電機などの越冬支援でも先陣を切っていました。
けれども、石破政権、高市政権になると、今までに決まったことは続けるものの、新たな強いコミットメントを打ち出したり、自らキーウを訪問したりすることはなくなりました。高市総理は、有志連合の会議などに参加しているため、全く関心がないわけではないと思いますが、日本では政治や安全保障が選挙の争点になりにくく、その分野が切り落とされ続けていると思っています。
現在、日本の人々の間で、ウクライナに関して関心が高いテーマは何でしょうか?
良くも悪くも「トランプ効果」に引きずられていると思います。トランプ大統領が何か発言したり、大きな動きがあると、一気に報道が増え、関心が高まる。他方で、ウクライナ側で重要な動きがあっても、米国、とりわけトランプ大統領と結びつかない限り、報道はあまり増えません。
例えば、ウクライナと欧州が昨年5月に停戦案をまとめた時はほとんど注目されなかったのに、8月に米露首脳会合が行われた際には大きく報じられました。日本の関心の大部分は、ウクライナそのものというより、「トランプが何を言ったか」に左右されているのが現状だと思います。
同時に東野さんは、メディアでロシアによるウクライナ児童の連れ去り問題を忘れないようにと、繰り返し提起されていますよね?
ロシアによる子供の連れ去りが初めて報じられた際、何日間も眠れなくなりました。すでに述べたように、私には2人の子供がいます。根っからの子供好きでもあります。子供は親にとって宝であり、命にかえても守りたい存在だと思っています。その子供が自分の元から連れ去られ、行方も分からなくなっているとしたら、私は自分の精神を保てる自信がまったくありません。ロシアによるウクライナ侵略の直接的な結果として、そうした親御さんや家族がウクライナにまだ多く存在すると事実が、私には耐えられません。
毎日自分の子供たちの顔を見ると、「この子たちがもし外国の軍隊に連れ去られたら」と考えてしまいます。そういう母親としての感覚が、子供の連れ去り問題について発信を続ける一つの原動力になっているのかもしれません。とにかく、一人でも多くの子供が一刻も早く、家族の元に戻れるように、毎日祈っています。
平和を守るためにどういう兵器が必要なのか、という発想が今の日本では完璧に欠けている
日本は平和国家を標榜していますが、同時にロシア・ウクライナ戦争では自衛隊車両の供与を含め、一定の軍事支援も行っています。現在の戦争を通じて、日本の人々の「戦争と平和」観や、軍事支援に対する考え方に変化は生じているのでしょうか?
変化があったとしても、ごくわずかだと思います。日本では、「軍事支援は良くないものだ」「軍事支援は人を殺すためのものだ」というイメージが強すぎるのだと思います。
私は、ウクライナへの防空システムの提供の重要性を繰り返し訴えてきました。それは病院や学校、ショッピングモールが攻撃されるのを防ぐための支援ですが、日本では「防空」という概念自体が、あまり理解されていないと思います。平和を守るためにどういう兵器が必要なのか、という発想が今の日本では完璧に欠けている。少しでも人を殺すのに転用することが可能であれば支援すべきではない、という空気が今も強いと思います。
では、そもそも日本はなぜウクライナを支援しているのでしょうか?
最初の岸田総理による「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」という、安全保障がシームレスに繋がっているという認識が、ある程度の説得力を持ったことが大きかったと思います。
また、日本の平和主義には判官贔屓なところもおそらくあり、一方的に侵略されているウクライナを支援し、侵攻しているロシアに制裁を行うという構図がある程度受け入れられました。
問題は、その支援を継続することに関して、なかなか大きなコンセンサスが形成されにくいことです。日本では能登地震などもあり、国内にもっとお金を使った方が良いという意見が出てきました。それは当然ですが、ウクライナ支援をすると国内支援ができなくなるというわけではありません。
しかし、両方をいかに効率よく行うか、ウクライナ人たちの辛い生活をどれだけ緩和できるかという議論が十分に行われていない。そのため、最初は勢いで支援できても、その後の継続のための理屈づけ、政策ロジックが十分に組み立てられていない印象があります。
私はロジックは単純だと思っています。ロシアが侵攻をやめない以上、ウクライナの人々の状況は悪化し、死者は増え、学校に行けない人、手足を失う人も増え続ける。そうであれば、支援の額が上がってしかるべきです。
しかし、その議論が行えていないため、現地の状況と結びつけて支援を増減させる議論がうまくいっていないのだと思います。
「感謝されること」が支援の動機になるべきではない
同時に、日本の支援はドナー別で見ると7位であり、日本の支援は非常に大きいと思いますが、その点はどのように見ていらっしゃいますか?
確かに総額で7位というのは、誇るべき数字だと思います。ただし、対GDP比で見ると、エストニアやポーランド、リトアニア、フィンランドといった国々と比べて見劣りするのも確かです。ロシアに近く、小さい国々がGDP比で約3%を拠出している一方で、日本はG7の一員でありながら、GDP比では0.2〜0.3%程度で、順位も30位前後です。
支援では総額も大事です。しかし、その一方で、この0.何%の支援で、「能登に回すお金がなくなる」という話が出てくるのは、雑な議論だと思います。GDP比を十分に検討しないまま、あたかもウクライナにだけ多くのお金を使っているかのような印象論が広がってしまっているのは、平和国家を標榜する日本としてどうなのだろうかと思います。
同時に、多くのウクライナの人々が日本の人々に感謝を伝えたいと述べています。その感謝は日本に伝わっているのでしょうか?
日本は感謝されるために支援しているわけではないと思っています。侵略国が勝つような世界になれば、日本も生き残れないのだから、侵略国に対して制裁を行い、侵略された国が潰れないように支援しているのです。
私自身、日本では「ウクライナ人に感謝されているか」という議論はしませんが、海外に行くと全く違います。欧州の安全保障会議に参加すると、ウクライナの人々も、他の欧州の参加者も、「欧州と日本は」という言い方で日本を明確に含めて語っています。その場合、韓国やシンガポール、台湾が同列に語られることはありません。国際社会では、日本の支援は非常によく認知されていると思います。
ただ、日本国内では、その国際的な評価自体にあまり関心を払っていないことはあるかもしれません。感謝が伝わること自体は良いことですが、「感謝されること」が支援の動機になるべきではないとも思っています。

ウクライナへの地雷除去機材の支援数は圧倒的に足りていない
衆議院選挙後、日本のウクライナに対する軍事支援のあり方は変わっていく可能性があるでしょうか?
まず、軍事支援が単線的に拡大していくとは正直思っていません。日本には軍事支援に消極的な政党もあり、内政上の合意形成や宥和が優先されると、こうした支援は進みにくくなる。これは日本政治の定石だと思います。
自民党と維新の連立条件として5類型の撤廃が掲げられましたが、原則としては良い考えだと思っています。ただ、5類型の撤廃に対する社会的な抵抗は非常に大きい。撤廃すれば無制限な軍事輸出が生じ、日本が軍事大国に向かって邁進するのではないか、という否定的な印象を持っている人たちがいます。国際貢献をより効率的に行うために必要だという前向きな議論は、一般の方からはほとんど聞きません。
私は専門家として、「5類型を撤廃したからと言って、防衛装備品の移転の歯止めが完全に利かなくなることは絶対にない」とは言えません。撤廃のリスクは冷静に議論すべきでしょう。しかしその一方で、5類型に当てはまらないという理由だけで、本来できたはずの有益な支援が制度的に不可能になるケースも多く想定できます。重要なのは、5類型に合致するかどうかではなく、個別案件ごとに是々非々で判断することだと思います。
制約は必要です。しかし、「どの類型に入るか」という形式論に縛られ続けると、日本の先進的技術で国際貢献できる機会を失うことを懸念しています。
ウクライナに関して言えば、現行の5類型の枠内でも、地雷除去などの重要な支援は可能です。5類型が撤廃されなくても、類型を活用してもっと支援すべきだと思っています。私は地雷除去を最も重視してきましたが、ウクライナへの地雷除去機材の支援数は圧倒的に足りていません。
ただし、復興段階や、日々変化する戦場環境の中で、新しい技術や支援ニーズが生まれた時に、日本が本来なら実施できる支援が5類型のどれにも当てはまらない可能性はあります。そういう時に制度が足かせとなって支援できなくなる事態は避けるべきです。
本当の「安全の保証」は、ロシアの再侵攻を防ぐことと再侵攻時にウクライナを守る能力
高市首相は有志連合の首脳会合に参加しています。現在、ウクライナの将来の安全の保証を巡る議論が進んでいますが、日本はどのような形で関与できるのでしょうか?
日本は北大西洋条約機構(NATO)加盟国ではありませんが、ルッテNATO事務総長が「日本も安全の保証の一部である」と発言したことに対し、日本国内では戸惑いや否定的な反応がありました。
私は、本来の意味の「安全の保証」は、それはロシアの再侵攻を防ぐこと、また再侵攻時にウクライナをどれだけ守れるかだと思っています。そのため、日本が直接軍事対応をするのでなければ、厳密な意味での安全の保証にはなりません。
ただし、再侵攻が起きた際の即時の経済制裁や、ウクライナへの即時支援スキームの発動といったことには、日本は経済的に参加できますし、それには漏れなく参加すべきだと思っています。
欧州で議論されている安全の保証は、停戦後の英・仏軍の駐留などを含むものです。日本はその「中核」ではなく、2022年9月にラスムセン元NATO事務総長とイェルマーク氏が合同で打ち出した「キーウ安全保障コンパクト」案でいう国際パートナー国の立場になるでしょう。その中でも、日本は再侵攻時に率先して制裁や財政支援を行う「国際パートナー国の中核」であった方が良いと思います。
しかし、本来であれば、ウクライナのNATO加盟が最も確実な安全の保証です。今の議論がロシアが再侵攻してくることが前提になっていることを大変残念に思っています。私は、そうではなく、有志連合諸国には、再侵攻を防ぐ議論にもっとこだわって欲しかったのですが、その段階は大きく過ぎてしまいました。今後は、再侵攻が起きた場合に、どうやって早期に相手の意思を挫くかを考えるべきだと思います。
ロシアは、ウクライナの強い抗戦能力と意思、そして長期の国際的な支援を見誤った
ウクライナにはロシアとの戦争で得られた経験が多くあると思いますが、その中で、何が日本にとって役に立つと思いますか?
いくつかあると思いますが、まずは抑止の重要性に帰着すると思います。ただ、抑止は十分な軍事力を持っていれば達成されるわけではない、というのがウクライナの教訓です。ロシアは、ウクライナがこれほど強い抗戦能力と意思を持っていることも、国際的な支援がこれほど続くことも見誤りました。
要するに、(ウクライナと国際社会が)舐められたから侵攻されたのだと思いますし、そこから日本が得られる教訓は、日本が舐められないようにすることです。ただ、舐めてかかってくる国の心情をコントロールすることはできず、その課題は残り続けます。それでも、相手の認識を変えるくらいの見せ方やプレゼンも含めた強い抑止が重要です。
もう1つは、ウクライナの人々が示した抗戦の意思が国際世論を変えたという点です。当時、「(ウクライナは)侵略されたら終わりだ」という見方もありましたが、ウクライナ人が自分たちの国を自分たちで守るという意思を示し、ゼレンシキー大統領が逃げなかったことで、それが国際支援に結びついたと思います。今も抗戦が続き、国際的支援が続いているのは、当然の成り行きではありません。ウクライナの人たちがそうした意思を見せていなければ、こうはならなかったと思います。
しかし、日本が同じような場面になった時に、同じように動けるかは分かりません。
また、ウクライナは日本にとって国防上の最大のパートナーになり得ると思います。これだけ辛い経験の中で、自国で兵器を開発し、提供された兵器を効率的に使い、4年間国を保たせてきたということは、驚くべき経験だと思います。ウクライナの方々も、最近は、自分たちが一番実践経験がある、自分たちから学んでください、と言うようになっています。
だからこそ、日本としては、ウクライナの経験をしっかり学ぶことが非常に大事です。この認識は2022年の前と後で大きく変わりました。ウクライナと日本は非常に重要なパートナーになれているので、ウクライナの経験をどのように吸収するかということは、日本自身の課題だと思います。
ウクライナがこの悲惨な状況からできるだけ早く抜け出してほしい
全面侵攻が始まって以降、東野さんはウクライナを訪れましたか?
訪れていません。
次に訪れたら、まず何をしたいですか?
難しいですね…。
…訪れたいですか?
訪れたいです。毎年機会を狙っていますが、国立大学勤務者は外務省の危険情報には従わないといけませんので、行けていないです。ただ、行っている人がいないわけではないので、私は行きたいと思っています。
行ったら、ウクライナで非常に人気だと言われているラーメンや寿司を食べてみたいです。ピンクの卵は一度も食べたことがありませんし(編集注:日本ではラーメンに加えられる卵の色はピンクではない)。私のウクライナの友達が日本に来ると日本のお寿司が食べたいと言うんですけど、逆に私はウクライナのお寿司を食べたいなと思っています。
あとは、今までキーウにしか行ったことがないので、ドンバスも含めて、地方都市、この4〜5年間をどのように過ごしてきたのかを自分の目で確かめて、ウクライナの方々と直接お話をしたいと思っています。
好きなウクライナ料理はありますか?
実は、ウクライナに縁が出来る前、ずっとイギリスに住んでいたのですが、そこでチキンキーウに出会いまして、一時期はメニューで見つけたら必ず食べていました。なぜだかイギリスでは、チキンキーウは人気の料理なのです。あの、とろけるハーブバターがたまらないですね。あとはキノコのスープです。どこで食べても美味しいと思います。ボルシチも好きですし、緑のボルシチも飲みますが、選べるならキノコのスープですね。それから、ウクライナはどこに行っても紅茶が美味しいと思います。
ウクライナは支援されるべきであり、ロシアは撤退すべき。その象徴としてのヴィシヴァンカ
今日もですけれど、東野さんはメディアに出られるとき、ウクライナのヴィシヴァンカ、刺繍のあるドレスを着ていることが多いですね。そこにはどのような思いが込められているのでしょうか?

パッと見て、ウクライナを応援・支援しているというメッセージを伝えることが大事だと思っています。でも実は、家族の中には、学者は中立的に見えるべきだという意見もありました。「どちらの側でもない」というような顔で解説するのが学者の役割だ、という考えです。
ところが、私は侵略初日から、ヴィシヴァンカを着ているか、そうでない時は絶対にウクライナのバッジをつけたり、青や黄色のものを身につけたりしてきました。私は、国際政治学者ですが、「どっちもどっち」という中立の立場ではなく、不当な目に遭わされている側に立つというメッセージを伝えていきたい。単に分析するだけでなく、ウクライナは支援されるべきであり、ロシアは撤退すべきだという価値判断まで示さなければならないと考えていますし、その象徴としてヴィシヴァンカを着続けています。
ウクライナ寄りだと見られることは、むしろ歓迎であり、むしろ光栄です。
東野さんにとって今ウクライナはどのような存在でしょうか?
家族の次に大事で、毎日その幸せを願う存在です。この悲惨な状況からできるだけ早く抜け出してほしい。
以前は国際政治学者はある国に愛着を持つべきではないと思っていましたが、今は違います。ウクライナが一刻も早く侵略から抜け出して、長く辛い復興を乗り越えて、戦争を過去のものにできる、その時が来るまで、私はウクライナの立場に立ち続け、応援し続けると思います。
幸せを願う対象であり、常に頭から離れない、そういう存在です。