ゼレンシキー大統領、ネタニヤフ・イスラエル首相と会談 ホロコースト時の自身の家族の経験に言及

ゼレンシキー大統領、ネタニヤフ・イスラエル首相と会談 ホロコースト時の自身の家族の経験に言及

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ヴォロディーミル・ゼレンシキー大統領は24日、訪問中のイスラエルにてベンヤミン・ネタニヤフ首相と会談した。大統領は、ウクライナの人々はホロコーストの悲劇をよく理解していると述べ、当時のウクライナでウクライナ人に助けられたユダヤ人の話、自身の家族の話の書かれた書簡をネタニヤフ首相に渡した。

ゼレンシキー大統領が、エルサレムでのネタニヤフ首相との会談前記者会見時に発言した。会見の様子は、大統領府のフェイスブック・アカウントにて公開された

ゼレンシキー大統領は、「ウクライナの人々は、第二次世界大戦時のその悲劇、失われたウクライナのユダヤ人たちの大きな数を他の誰よりも理解している。私は、書簡を用意した。この恐ろしい悲劇について書かれた書簡を、あなたと全てのユダヤ人の前で読み上げたい」とし、第二次世界大戦時のウクライナにおけるユダヤ人に関する3つのエピソードが書かれた手紙を読み上げた。

大統領はまず、88人のユダヤ人を救ったクリミア・タタール女性のセイデ・アリフォヴァ氏、キリスト教の洗礼の証明書を600以上出すことでユダヤ人を救った、ウクライナ・ギリシャ・カトリック教会のオメリャン・コウチャ司祭の話を伝えた。

その上で、大統領は、「これらの話は、ある一つのことを伝えるものだ。それは、良い心があり、悪と闘うなら、民族、宗教、年齢、性別、生誕地は意味を失うということだ」と強調した。

大統領はそれから、自身の家族についての話も伝えた。大統領は、自身の先祖のには4人の子供がいたが、そのうち3人は他の家族とともにホロコーストの犠牲となったとし、「ウクライナに攻め込んできたドイツの占領者が彼らを銃殺した」と伝えた。

ゼレンシキー氏は、「残った4男は、その時前線にいたのだが、生きて帰り、第二次世界大戦を生き延び、対独戦、人間に対する憎悪のイデオロギーに対する勝利に貢献したのだ。そして、終戦から2年、彼には子供が生まれた。その31年後には、孫が生まれ、その40年後、彼の孫は大統領になったのだ」と発言した。

大統領は、ネタニヤフ首相にその3つのエピソードの書かれた書簡を手渡した。

これに対して、ネタニヤフ首相は、ウクライナでユダヤ人が救われた感動的な話につき謝意を伝えた。

首相は、「ありがとう。非ユダヤ人がユダヤ人を救ったという、非常に心を動かされる話だ。特に、あなたの家族についてのストーリー、未来のための命のための闘いだ。今日、あなたとここにいられることを、私は大変嬉しく思う」と強調した。

なお、ゼレンシキー大統領は、1月23、24日、イスラエルを実務訪問している。同国では、アウシュビッツ強制収容所解放75周年を祝う、世界ホロコースト・フォーラムに関連する様々な追悼行事が開催されている。

写真:大統領府


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