2019年に私たちを驚かせた12人のウクライナ人

2019年に私たちを驚かせた12人のウクライナ人

ウクルインフォルム
2019年が私たちが学んだことは、本質は未来の中に探さねばならないということだった。

今年、ウクライナ人たちをびっくりさせた人たちを思い返してみたいと思う。2019年は、政権交代の年であった。そして、言うまでもなく今年注目を集めたのは、政権に入った人たちである。多くの人が政権入りしたが、皆が皆驚きをもたらしたわけではない。人によっては失望をもたらすものもいたし、ある者は期待を裏切った(いや、その期待は後で実現されるのかもしれない)。ある者は、全くもって予想通りの言動をとっている。

しかし、中には、私たちを真に驚かせた人たちもいる。多くの奇抜なものに疲れ果て、もう何にも驚くことはないだろうと思っていた矢先に、驚かされることもあった。

政治家から始めるのは止めたい。最初は、ウクライナに帰ってきた人から始めよう。彼の帰還は、私たちにとっては、真の驚きであったのだ。

1:オレフ・センツォフ(クリミア出身映画監督、元政治囚)

そう、彼がロシアの牢獄から解放されたという事実は、本当に奇跡的な出来事であった。ウクライナ海軍軍人が戻ってくることは予想できたとしても、クリミア出身のセンツォフ氏やその他の政治囚ののウクライナへの帰還に対する希望は、ほぼなかった。彼は、遠方のラビトナンギ(ヤマロ・ネネツ自治管区)の収容所に入れられてなお頑強さを維持し、帰還後にウクライナの政治や社会にすぐに注意を向け始めたのであり、驚かずにはいられない。政治的象徴であった彼は、自然に生の人間へと変貌していった。様々な政治勢力が彼を自陣へ引き入れようと努力したが、彼は自分らしさを保っている。

牢屋での苦難を味わったその他の愛国者たちのことも称えようではないか。祖国の地に戻ってきた、ヴォロディーミル・バールフ氏、イェウヘン・パノウ氏、ロマン・スシチェンコ氏、ミコラ・カルピューク氏、オレクサンドル・コリチェンコ氏たちだ。まだロシアの牢屋で苦しんでいる者たちもいる。私たちは、新年を前に、彼らの帰国を待っている。

2:オレーナ・ゼルカーリ(前外務次官)

彼女は、最近まで外務次官を務め、独立を巡る闘いは、武器だけではなく、精神と国際法の一言一句でも可能であるということを、世界に対して示した、勇敢な女性だ。多くの国際裁判における、理論面の中心人物であり、ウクライナの公式代表であった。彼女は、ロシアの法律家・国際関係専門家にとっての、頭痛の種だった。彼女のポートフォリオの中には、ハーグの国際司法裁判所(ICJ)における対ロシア案件の公開公聴会の情報が詰まっている。マレーシア航空機MH17撃墜関連の犯罪の賠償請求、ヴォルノヴァハ、マリウポリ、クラマトルシクの民間人砲撃、ロシアが約30億ドル支払わなければならなくなったストックホルム仲裁裁判所における勝訴。更に、ケルチ海峡沖で拘束されたウクライナ海軍軍人に関する国際海洋法裁判所(ITLOS)の裁判もあった。ゼルカーリ氏は、海洋法条約に従った、ウクライナの沿岸国家として権利に関する案件と、艦船と上院の免責侵害に関する案件は、後任に譲った。

オレーナ・ゼルカーリ氏のチーム離脱を、深刻なマイナスと呼ぶ人もいる。彼女を次の大統領と呼ぶ者すらいるほどだ。

3:マクシム・ネフョードウ(国家関税庁長官)

彼は、過去数年間「専門家のいる政府」という人々の夢を、実際に実現してきた人物だ。彼の生み出した電子公共調達システム「プロゾッロ」は、最近になって不完全だと批判されているが、それでもプロゾッロの実現は、前政府における真の改革の実例であった。今年、ネフョードウ氏は、国家関税庁長官の公募に応募・当選し、「新しいウクライナの関税」という野心的なプロジェクトを発表して、人々を驚かせた。

これまで誰も関税の汚職を克服できなかった。ネフョードウ氏ならきっと、また驚かしてくれる、今度も本当の驚きをもたらしてくれる、そう信じようではないか。彼は自らの動機をこう語る。「国というのは放っておいても変わらない。このままだと私の世代の人々には、教育も職業もなくなってしまう。私はそう理解したのだ。」

4:ドミトロー・ドゥビレト(閣僚会議相)

彼は、34歳のロンドン・ビジネス・スクール卒業生であり、プリヴァト銀行の元総裁の息子は、ビジネス界にて、巨大な野心と可能性を抱いていた人物だ。彼は、2019年8月時点では、ロンドンに引っ越して、パートナーたちとイギリスでモバイル銀行「Koto」を立ち上げるつもりだった。しかし、代わりに彼は、閣僚会議相のポストに就いたのだ。私たちが、「完全なデジタル化」という言葉を述べる時、そのほとんどがドゥビレト氏のアイデアである。労働手帳や勤労不能診断書の廃止、従来型の国勢調査の廃止(これは、国内の人口学権威エラ・リバノウ氏のヒステリーを招きそうになっていた)、省庁移転、全ての国家登録の統合、闇アルコール市場の「脱闇化」(これにより彼は脅迫を受けるようになり、警護を要請しなくてはならなくなった)…。多くのミッションがまだ実現できていない。しかし、もしかしたら、彼は未来を見ているのかもしれない。

5:アルセン・アヴァコウ(内務相)

過去5年、どれだけの批判が彼に投げかけられてきたことか。驚くべきは、その彼がまだ沈没せずにいることだ。同時に彼は、経験豊富な政治家として、現状を把握しているようだ。アヴァコウ氏は、大統領選挙にて中立的な立場を取り、そして「勝利」した。議会には彼に友好的な(かつての人民戦線党のような)会派はなく、閣僚内にも古い友人はいないのだが、しかし、彼は国家の中で影響力を維持している。ある者は、アヴァコウ氏が「他人にとって不利となる情報の詰まったスーツケース」を持っていると指摘するし、ある者は、彼と志願兵たちとの温かな関係を指摘する。もしかしたら、独自路線を好む彼の性格が幸いしたのかもしれない。現在、内務大臣である彼の名前は、パウロ・シェレメータ記者殺害事件捜査と密接に関係付けられているし、専門家の中には、アヴァコウ氏はかなりリスクのあるキャンペーンに身を投じたと考える者もいる。しかし、思うに、多くの人が今後もアヴァコウ氏に驚かされるであろう。

6:ムスタファ・ナイイェム(国営防衛企業ウクルオボロンプロム社副総裁、前最高会議議員、元記者)

彼は、しばしば矯正のきかない「ユーロオプティミスト」部隊のぼちぼちの青年のようにみなされていた。ユーロオプティミストたちは、ウクライナの現実を理解せずに、ヨーロッパをウクライナに丸写ししたがっていた人たちだ。ナイイェム氏は、調査報道の世界から離れて久しい。同時に、マイダン以降懐疑的な傍観者の立場を取っていた同僚とは違い、彼は、国内の様々な町で新しい警察の立ち上げを主導してきた。彼がウクルオボロンプロム社の副総裁に任命されたことは、単に驚くだけではすまなかった。多くの人が、当初その任命を、彼への「恩賞」とみなしていた。急進党の前議員であるモシーチューク氏などは、その人事を「国家反逆だ」と述べたほどだ。同時に、ナイイェム氏本人が述べる同分野に関する最初の調査結果からわかることは、彼が、そこの現状がどれだけ深刻か理解しているということである。ウクルオボロンプロム社の改革は成功するだろうか?見てみようではないか。

7:オレーナ・ビロゼルシカ

2014年、記者でブロガーだった彼女は、スナイパーに転身して人々を驚かせた。今彼女は、言葉という名の殺人武器を手にしている。通常、戦争に参加した人々の回想録は、無名の作家や記者が書くものだ。ビロゼルシカ氏は、著書「違法兵士の日記」を自ら書いたのであり、内容は真実だろうと期待できる。いつか彼女の著書で子供たちが戦争を学ぶ日が来るかもしれない。

8:セルヒー・ラフマニン(最高会議声党会派長、元「週の鏡」紙記者

長年分析記者をしていた50歳の彼が、突然生活リズムを変えて、公の政界の中で自らを試そうとしたことは、人々を驚かせた。しかし、成功していた記者が成功した政治家になる例は、多くない。質の高いジャーナリズムとは妥協しないことだが、質の高い政治とは妥協そのものだからだ。セルヒーは、そのルールを壊そうとしている。

彼の中には、まだジャーナリスト時代からの人々を驚かせたいという願望が残っているようだ。最高会議演壇で独特な比喩表現をしてみたり(大統領弾劾法をチューインガムの「Orbit」と比べてみせた)、厳しい事実を突きつけたりしている(彼はウクライナ・ロシア戦争を止める最適な手段は『紛争の凍結』だと指摘した)。しかし、もしかしたら、そこにこそ新しい政治があるのかもしれない。声党は、彼を最高会議内の同党会派長に任命した。ジャーナリスト出身議員でそのような役割を担う者は珍しい。

9:ダヴィド・アラハミヤ(最高会議人民奉仕者党会派長)

彼が人民奉仕者党会派に入ったこと自体が多くの人を驚かせたし、彼が信頼を得て同党会派長に選出されたのは更に驚きであった。2014年からボランティアとして活動し、国防相の顧問や国防省直轄ボランティア会議の議長を務め、勲章も授与された彼は、別の某政治勢力が欲しがっていた人材であった。その某政治勢力の中には、今でも彼の行動を「裏切り」のように捉えている者もいる。また、彼は、人民奉仕者党の中でも、皆から「仲間」だと思われているわけではない。しかし、それでも彼は現状を維持している。

彼は自分を「はちゃめちゃな人間」だと称し、政界に入りたいのではなく、政治に影響を及ぼしたいだけだと明言したことがあるし、またしばしばその外見から彼は単純な人物だと思われがちだが、しかし、本当はそうではない。アイデア豊富な元ビジネスマンであり、ビジネス・コーチを務め、人々を鼓舞することが得意な彼は、未来を描くことができ、長く険しいながらも正しい道の提案ができる人物だ。彼が政治に飽きることがなければ、彼はそこで多くのことを達成できるであろう。

10:ユリヤ・ティモシェンコ(祖国党党首)

彼女はまたしても運命に逆らい、人々を驚かせた。強烈な選挙運動を開始したが、大統領選の決選投票にはあと少しで出られなかった。その後は、首相ポストを提案されることを待ち望んでいた。結局、待ち切れなくなり、慣れ親しんだ野党という環境に飛び込み、今は議会一番のバイオリンの役割を担っている。政界での活動の長さで彼女と競えるのは、メドヴェチューク氏(野党生活党)ぐらいかもしれないし、彼女が用いる革命的表現に至っては、彼女の右に出るものはいない。若々しい情熱で人々を驚かして止まない。今彼女は、その情熱をもって農地市場や与党の提案に反対して闘っている。

11:アンドリー・シェウチェンコ(サッカー・ウクライナ代表監督)

多分、このリストの中で、唯一政治と関係のない人物だろう。ただし、2020年にサッカー欧州選手権が開催されるスタジアムにて、ウクライナの国旗がはためき、ウクライナ国歌が鳴り響くことを考えれば、それもまた政治のようなものなのかもしれない。

シェウチェンコ氏は、ウクライナ代表チームを率いて、欧州チャンピオンのポルトガルに勝利した。スタジアム全体が「シェウチェンコー!」と叫び、胸に手を当てて感謝を示したのだ。その日の彼は、難しいシンフォニーの演奏が終わった後のオーケストラの指揮者のようであった。あれこそ奇跡と呼べるものではないだろうか?

12:ヴォロディーミル・ゼレンシキー(ウクライナ大統領、元俳優)

そして、最後は、私たちを今年単に最も驚かせただけではなく、数々の驚くべき出来事の連鎖を生み出した人物だ。俳優業から、国家元首への転身。選挙での圧倒的勝利。スタジアムでの討論会。「弱々しい大統領」との見方に反して、最高会議を解散してみせ、ウクライナ史上初の単独与党を作り出した。そして、ノルマンディ4国首脳会談、プーチンとの一対一の会談…。

新しい行動スタイル。あらゆるステレオタイプと既存の政治ルールの破壊。対抗者は新しい大統領の目的と戦術的行動を理解できずにいる。そして、それら全てが、ウクライナの政界を再編に向かわせており、政治家たちは適切な対応を模索せざるを得ず、創造的に行動せざるを得なくなっている。


1年が終わろうとする中、世界はこれまで以上に未来の予想が難しくなっている。私たちは、ひょっとしたら、既知の現在や過去の中だけではなく、予想不可能な未来のビジョンの中に、本質を模索しなければならないのかもしれない。たとえ、その未来が、奇妙で、信じがたく、しばしば今の私たちにとっては、破滅的に思えるものだったとしても。

イェウヘン・ヤクーノウ、キーウ


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