ロシアによる占拠後に拷問所と化したザポリッジャ原子力発電所

ロシアによる占拠後に拷問所と化したザポリッジャ原子力発電所

ウクルインフォルム
ロシアのいわゆる「裁判所」は、ザポリッジャ原発の職員セルヒー・ポティンホ氏にテロリズムと爆発物保有という罪状で「有罪判決」を言い渡した。

執筆:オリハ・ズヴォナリョヴァ(ザポリッジャ)

これは、ウクライナ南部ザポリッジャ州エネルホダル市のドミトロー・オルロウ市長がフェイスブック・アカウントで公開した、ロシアにより一時的に占拠されているのザポリッジャ原子力発電所の職員セルヒー・ポティンホ氏の凄惨な体験の話である。3月26日、ロシアのいわゆる「裁判所」がセルヒー氏を完全にでっち上げた罪状で有罪だとし、厳格収容所への19年収容するという判決を下した。

彼の妻(安全を考慮してこの記事では仮名を用いる)は、セルヒーがどのように連れ去られたか、彼の不屈の精神、ロシアのロスアトム社のために働くことを拒否したことについて語った。

彼女のことは「マリーナ」と呼ぶことにする。彼女もまた、セルヒーと同じく原子力発電所の職員であり、(編集注:発電所の位置する)エネルホダル市に生まれ、これまでの人生をずっと同市で暮らしてきた。ロシア人が彼女をその街から追い出すまでは。

生き延びるために「隣人が隣人を密告する」

セルヒーは、労働安全衛生分野のエンジニアだ。彼は、2014年にザポリッジャ原発で働き始めた。これが彼が大学を卒業してから、最初かつ唯一の職場である。

マリーナは、「彼は、民間人で、普通の原発職員です。戦争が始まってから、ボランティア活動をしていました。エネルホダル市がロシア占領者に制圧されてからも、まだ人道回廊が生きており、私たちのところにはザポリッジャ市から衛生用品、児童用食料品、オムツといった3歳未満の子供たちのためのあらゆるものが届けられていました。それら全ての配送品をセルヒーが受け取り、家族に渡していました。なぜなら、町中のお店は空っぽで、児童用食料品は見つけられなかったからです。彼はエネルホダル市から出ることはできませんでした。彼の母親が重病で、父親はいなかったためで、彼は家族と一緒にいて、一家の稼ぎ手で、全てのことを担っていたからです。私たちの間には、起きていることは全部一時的なことであり、ウクライナは戻ってくるという信念がありました。私たちは、私たちの原子力発電所のような非常に危険な施設が、いつか他国の軍に占拠されることになるなんて、全く信じられませんでした。発電所の職員一同は、(編集注:ロシアの原子力関連企業の)ロスアトム社と契約を締結する者と、締結しない者とに分かれました。セルヒーも私もロスアトム側へは移りませんでしたし、ロシアの身分証明書も受け取りませんでした」と述べる。

占領者は、エネルホダルに、人々が通りを歩くことを恐れるような状況を作り出したという。どんな時にでもあなたの家に誰かがやってきて、拘束され、「警察署」に連れて行かれるかもしれない。単に、親ウクライナ的な立場だという理由だけで。

マリーナは、「人々はとても怯えてしまったため、一人一人の人が、自分の自由のために隣人を密告する用意がありました。占領者たちは、自分の指揮官や上官に対して、ほとんど毎日何かしらの『工作員』を拘束していると報告していました。それは、彼らが前線に配属されないようにするためで、ここ、後衛での仕事を充足させていたのです」と述べる。

ロシア人はセルヒーを尾行し、連れ去るのに都合の良い時を明らかに見計らっていたという。2023年6月、セルヒーが休暇に出ていた時、侵略者たちは彼の配偶者マリーナを連れ去った。

写真:エネルホアトム
写真:エネルホアトム

拷問、そして子供を連れ去るという脅迫

マリーナは、自分の身に起きたことについて、全てを思い出すのは難しいと述べる。その時からもう1年半以上が過ぎているにもかかわらず、彼女は健康を取り戻すために、今も治療を受けている。

マリーナはこう振り返る。「2023年6月18日は、私は休日で、ダーチャのある地区へと向かいました。彼ら(編集注:ロシア占領者)は私の後を車でついてきました。セルヒーを探していたところ、彼をおびき出すために、私を連れ去ったのです。彼らは、私が彼にとって多くの意味を持つこと、彼が連絡してくることを知っていたのです。」

マリーナはいわゆる「警察署」へ連れて行かれた。夫のことを散々聞かれても、彼女は全ての質問に「何も知らない」としか答えなかった。そう答える度に、殴られた。

彼女は、当時の拷問について、「彼らは私を視界を遮った上で殴りました。私は丸まって抵抗しようとしました。すると、私は椅子にテープで固定され、指にこういう『ワニ』(編集注:のようなクリップのこと)を付けられ、電流が流されました。それから、耳たぶも繋げられ、水をかけられました。電流をより強く感じさせるためです。彼らは、首を閉めたり、床に放り投げたりして、また殴打しました。私は、自分がそれをどうやって耐え抜いたのかわかりません」と回顧する。

マリーナが、「あと少しで死んでしまう」と言うと、衝撃的な返事が帰ってきたという。

「『お前の命には全く興味がない』と言われました。私は彼らに、私には子供がいる、と言うと、彼らは私にこう言いました。『お前の人生なんてどうでも良いのだ。子供は、何ならロシアの幼稚園に行かせれば良い。』その時、私から全ての痛みの感覚が消えました。頭では、子供のことしか考えられなくなりました。」

当時、彼女の子どもは、祖母と一緒に国外にいた。占領者がウクライナ人に対して子供たちをロシアの学校に通わせ始めてから、マリーナは子供と祖母を国外に送り出していたのだ。ロシアの学校への通学に反対すると、親権を剥奪すると脅されていたという。

マリーナは約1週間拘束された。彼女は、意識は失わなかったが、拷問は非人間的だったと述べる。

彼女は、「彼らは、私が強いことに驚いていました。何でも、男性が耐えられないのに、私は耐えていると…。かなりの時間が過ぎたのに、私は今も治療を受けています。両目がひどくやられました。電流のせいです。彼らはその時、私に『神経の繋がりを確立している』などと言っていました」と回顧する。

ある日、マリーナを拘束していたロシア人は、彼女の夫のセルヒーを発見し、拘束したとのメッセージを受け取った。マリーナは、彼らはその時、大満足で、感情を抑え切れずにいたと述べる。

占領者たちは、この夫婦に対して「対質尋問」をしたがっていたが、それは実現しなかった。彼らは、セルヒーに対して、彼が言う通りに署名しなければ、彼の目の前でマリーナを強姦すると脅したという。

マリーナはろくに食べ物を与えられないまま、10日間拘束され、彼女が拘束されていた収監室にはトイレの代わりに大型のボトルが置かれていた。彼女は、解放された後も尾行され、携帯電話には通信傍受のための様々なソフトウェアやロシアのアプリがインストールされていた。

マリーナは、「彼らは私に、殴られたことを黙っているように、署には自ら望んで滞在していたと言えと言われました。私には、10枚のA4の白紙が渡され、署名をするよう強制されました。その紙に後で何が書かれたのか、私は知りません。私は、7月1日に(編集注:ウクライナ政府管理地域に)脱出しました」と話す。

拘束されるセルヒー・ポティンハ氏 写真:ドミトロー・オルロウ・エネルホダル市長(ソーシャルメディア)

偽裁判と被拘束者交換への希望

マリーナはまず、ザポリッジャ市に辿り着いた。彼女は、ウクライナ軍人と出会った時に、自分が生きていることにつき感謝を伝えたことを思い返した。それから、子供や親族と会うために国外へ出国。彼女は、あらゆる関連当局に連絡し、申請書を書き、夫のセルヒーに「違法に拘束された人物」の地位を付与させることに成功した。彼女は、彼が2023年6月23日に拘束されたことを知っていた。セルヒーは、当初食べ物も水もないままに拘束され、テーブルの脚を使って打たれ、重傷を負っていたという。マリーナは、セルヒーと同じ収監室に拘束されていた男性と話したことがあるとし、その男性は、セルヒーのおかげで生き延びられたのだと語ったという。

マリーナは、「私の夫は、彼に食べ物を分けていたのだそうです。彼には食べ物がなかったらしくて」と述べる。

セルヒーは、ロシア人が言うところの「テロ組織情報総局」との繋がりと、何らかの爆発物の所持の罪で19年拘禁が言い渡された。

マリーナはこう言う。「私には、何の話だか理解ができません。セルヒーは、全くの平和な人間です。その断罪はまやかしです。いわゆる司法捜査なるものは、2024年12月から行われています。セルヒーは、判決に同意せず、控訴しました。今彼は、(編集注:ロシア領)ロストフの予審拘置所に入れられています。」

彼女は、セルヒーの姿を「法廷での審理」なる時の写真で見たという。また彼女は、セルヒーに複数回手紙を書いて、彼からも何通か手紙を受け取ったと述べる。

手紙のやり取りについて、マリーナは、「当然ながら、全部検閲を通されます。書けるのは大体、天気のようなことだけです。セルヒーは手紙に、自分の心は不屈だと書いていました。彼は、母親を応援し、私たちを元気付けようとしてくれています」と述べる。

今年4月18日、セルヒーは誕生日を迎える。彼は33歳となる。彼は約2年間拘束されていることになる。

マリーナとセルヒーに近しい人々は、彼が被拘束者交換用のリストに掲載されることを信じている。彼らは、世界中に対して、セルヒーは普通の原子力発電所職員であること、21世紀にこのようなことはあってはならないということを伝えようとしている。

またマリーナは、そんな状況の中でもセルヒーが自由のために闘っていること、自分が外で彼の声を代弁しているということを示したがっている。

彼女は、自分の強さがどこからくるのか、どうしてあきらめずにいられるのか、自分でもよくわからないと、正直に述べている。しかし、彼女は、セルヒーができるだけ早く家に戻れるように、できることは何でもする、それ以上のことでもやる準備があると確信している。

補足情報:2022年3月4日、ロシア軍は、ウクライナの国家警護隊との戦闘と重火器での砲撃の後に、欧州最大のザポリッジャ原発(ザポリッジャ州エネルホダル市に位置)を占拠した。その時、同原発には、1万1000人の従業員が働いていた。

ロシア軍は、占拠された原発をすぐに軍事基地に変え、そこに爆発物や軍用品、武器を持ち込み、数百人の占領者が入ってきた。

ロシアの原子力関連企業「ロスアトム」との契約を拒否した従業員は、「地下」に入れられ、そこで殴られたり、電流での拷問を受けたりした。

2022年7月、ドミトロー・オルロウ・エネルホダル市長は、ザポリッジャ原発の潜水士、アンドリー・ホンチャルークが市内で拷問を受けて死亡したと報告した。市長の話では、ロシア占領者たちは、ホンチャルーク氏に冷却用水池に飛び込めと要求したところ、彼が拒否すると、占領者たちは彼を殴り殺したのだという。

オルロウ市長によると、合計で1000人以上の原発従業員が拘束され、拷問を受けたという。現在、14名の同市市民がロシアの裁判ですでにいわゆる「判決」を受けたか、あるいは彼らに対する「裁判」が最終段階にあることがわかっている。

ウクライナの団体「トルース・ハウンズ」は、現在ザポリッジャ原発を支配しているロスアトムが把握した上で行われている、同原発職員への拷問についての報告書を公開した。彼らは、2023年9月19日にウクルインフォルムで報告書の発表を行った

ザポリッジャ原発職員の半数、約5000人は、原発隣接の町エネルホダルから脱出した。ウクライナの原子力関連企業エネルホアトム社は、その内約2000人を同社の指揮部門やその他の部署で再雇用した。その内700人は、スウェーデンの支援を受けてネチシン市の仮設住宅で暮らしている。

ロスアトムは、ザポリッジャ原発では、約5000件の労働契約を締結したと発表している。

エネルホダルには、2022年の時点で5万2000人が暮らしていた。


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