1つの家族に5つの棺 ヴォロノウ一家の告別式
ウクライナ南部クリヴィー・リフ近郊のラドゥシュネ村の住民たちがひざまずき、学校の鐘の音が響き渡った。ここで、7月30日未明にロシアのミサイルによって命を奪われた多子家族のヴォロノウ家が最後の告別が行われた。
取材・執筆:オリハ・ズヴォナリョヴァ
写真:ドミトロー・スモリエンコ
人々は早朝からラドゥシュネの学校の近くに集まり始めた。10人の子どもがいたヴォロノウ一家のことは、ここでは誰もが知っていた。村人たちは、彼らが明るくて優しく、親たちは自分の子どもたちをとても愛していたと語る。
上の3人(アウリカ、マトヴィー、ダニーロ)にはそれぞれの家庭がある。アウリカはドイツに、マトヴィーはポーランドに暮らし、ダニーロは軍人としてウクライナ軍の砲兵部隊に仕えている。
悲劇の夜、自宅には両親であるオレーナとアルテムのヴォロノウ夫妻、彼らの子どもであるマルク、ドミニカ、ザハリー、アザリー・イライ、フェデリカ、エミリヤ、ヴィオリカ、そして一番上の息子ダニーロの子どもである1歳半の孫アルテムがいた。
ロシアのミサイルは住宅を完全に破壊した。ヴォロノウ一家のうち5人は現在行方不明とされている。
「私たちの息子はもういない」
学校の校庭には、オレーナとアルテム、そして3人の子ども(エミリヤ、アザリー・イライ、マルク)の5つの棺が並べられた。他の遺体は、DNA鑑定を通じて特定される予定である。
人々は並んで棺を迎えた。花を持って訪れた者もいれば、ぬいぐるみを持って訪れた者もいた。
両親や子どもたちに別れを告げるため、長女のアウリカが外国から駆けつけた。彼女は弟のダニーロとその妻、そして幼いアルテムちゃんの母親であるイリーナと共にやって来た。
イリーナは、祖父母がアルテムちゃんをとても愛しており、できるだけ頻繁に連れてきてほしいと頼んでいたと語った。
イリーナ・ボルハルさんは、「少なくとも1週間は、と言われていました。そして、その1週間が最後の1週間になってしまったのです」と語る。
イリーナさんはミコライウに暮らしている。そこではアルテムちゃんは幼稚園に通う予定だったという。何が起きたかについて、彼女はダニーロから知らされた。
彼女は、「元夫から電話があり、『私達の息子はもういない』と言われました。息子の遺体はいまだに見つかっていません…」と彼女は語る(編集注:DNAによる遺体の特定が終わっていない)。
彼女は、ダニーロさんの新しい妻が自らの息子にとても良く接し、実の子のように愛してくれていたと述べる。
イリーナさんは6歳の娘を育てている。彼女は娘に、アルテムちゃんがもういないことをまだ伝えていないという。
彼女は、「伝えるのが怖いです、傷つけるのが怖くて。辛いです。大人でさえ皆が耐えられるわけではないのに、彼女は幼い子どもです。私は今、ただ娘のために耐えています」と述べる。
「誰か一人でも生き残ってほしいと願っていた」
学校には一家のうち4人の子どもが通っていた。フェデリカは4年生に進級し、アザリー・イライとザハリーは6年生と7年生に、ヴィオリカは9年生になる予定だった。
ラドゥシュネ学校のテチャーナ・ウセンコ校長は、子どもたち全員が非常に活発で、創作やスポーツなど様々なコンテストに参加し、課外活動クラブに通っていたと語る。
ウセンコ校長は2021年から校長の職に就いている。当時、今回亡くなったオレーナ・ヴォロノワさんが給食室の倉庫係であったことを回想する。
ウセンコ校長は、「私達はよく話をしていました。その後、彼女は教育局の経済担当として働くよう招かれ、移っていきました。オレーナにはずっと経理の仕事で働きたいという願望がありました」と振り返る。
また彼女は、エミリヤさんとフェデリカさんをよく知っていた。学校の課外活動クラブで彼女たちと一緒に活動していたからである。亡くなった少女たちは「とても優しく可愛らしかった」と語る。エミリヤさんが全ての絵を家に持って帰っていたことを思い出している。彼女にとっては、描いた絵を両親に見せることが大切だったからだ。
彼女はそして、「ヴォロノウ一家のうち少なくとも誰かが生き残ってほしいと願っていました。しかし、残念ながらそうはなりませんでした。彼らは私たち、学校という家族の一部でした。子どもたちのために最後の鐘が鳴り響きます。9月には、新学期の始まりを告げるはずだった鐘です。しかし今日、その鐘は彼らにとっては、叶わなかった夢となり、書き終わらなかった作文、書かれなかった作文、まだ見ぬ愛の象徴となります」と語る。
悲劇の夜、ウセンコ校長はラドゥシュネにはいなかった。何が起きたかについて、彼女は夜中に知人から知らされた。彼女と彼女の息子のことを心配して電話がかかってきたのである。
ウセンコさんは、「ショックでした。村にミサイルが飛来し、誰かの住宅に直撃したと言われました。同僚たちにメッセージを書き始め、そうしてそれがヴォロノウ一家の自宅だと知りました。朝まで、良い知らせがあることを待っていましたが、そうはなりませんでした」と述べる。
マルクは18歳になるはずだった
17歳のマルクさんは、クリヴィー・リフ国立大学付属工科専門学校の学生で、永久に4年生のままとなった。彼は機関士かその助手になることを夢見ていた。
学校のテチャーナ・ヴィノフラドヴァ講師は、「彼の専攻は『鉄道輸送』でした。マルクの父親はエネルギー産業に関連していたため、彼になぜ電力供給ではなく、鉄道輸送を学ぶことにしたのか尋ねたことがあります。マルクは鉄道で働きたいのだと言っていました」と回想する。
彼女は、マルクさんが礼儀正しい子どもであり、常に自己研鑽に励んでいたと語る。
彼女はまた、「彼が私達のところに来た時の成績は、7〜8点でしたが、その後優等生となり、優秀な成績のために奨学金を受け取るようになりました。彼は常にどんな頼みにも応じてくれました。彼は永久に4年生のままになりました」と語る。
マルクさんは8月20日に18歳になるはずであった。
一家の葬礼は聖母庇護聖堂で行われた。村人たちは、ヴォロノウ一家が信仰深い人々であったと語る。彼らは地元の墓地に埋葬された。
住宅の瓦礫の下から人体の破片が見つかった。鑑定により、ザハリー、ドミニカ、ヴィオリカ、フェデリカ、アルテムの運命が特定されることになる。
村議会では、特定には約2か月かかる可能性があると話されている。つまり、ヴォロノウ一家にとって、本日の告別式は、残念ながら最後のものではない。