ウクライナ東部デルハチ ロシアから30キロの町の「諦め」と「希望」
ウクライナ東部ハルキウ州の国境に隣接する共同体の中心都市デルハチは、2022年には一度ほとんど無人となっていたが、今では全面戦争開始前よりも人口が増えている。
この3年半で、デルハチ共同体の住民は、残念ながら「シャヘド」や滑空爆弾の飛来が常態化する新しい現実に適応してしまっている。国境沿いにあるいくつかの自治体は、滞在がほぼ不可能となっている。これは、「慣れた」ロシアの兵器に加えて、今年の夏は、光ファイバー接続の無人航空機が加わったためだ。それでも、そこにはまだ人々が残っている。その中で、避難する人々は、大体は共同体の中心都市であるデルハチか州都ハルキウを選ぶ。デルハチの市民たちは、この最前線の町で現在どのように生活しているか、ウクルインフォルムの記者に語った。
執筆:ユリヤ・バイラチュナ(ハルキウ)
写真:ヴヤチェスラウ・マジイェウシキー、デルハチ市議会
取り除けない「隣人ロシア」
デルハチを経由して、州都からゾロチウ共同体へとT2103号線が通っている。この共同体に加わる村々は、ロシア連邦と国境を接する。かつては、この道路をロシアの小さな町グライヴォロナからハルキウまで、1日に3回バスが運行していた。そのバスは、もちろんウクライナの乗客も利用していた。そして今、この道では、デルハチの端から端までの最後の家まで、「隣人」や「訪問者」(編集注:ロシア侵略者)がもたらした破壊が見られる。破壊された産業企業、住宅、行政庁舎。広場には、壁面に刺繍模様が施された、損傷した文化会館がある。周囲の建物の一部は、窓の代わりにOSBボードがはめられている。そして数十メートル先には、9月に新しく舗装された道路ときれいな歩道がある。
町の中心部で、「コフヴェ」という皮肉混じりの名前のカフェのそばに立ち寄り、店員のソーニャとリーザと知り合った。
店員たちは、「ピザやホットドッグを出しています。他には、色々なコーヒーも。人は多いですよ、お客さんは十分来ています」と言う。
リーザは、「実は、3日ずつの交代で働いているんです。私は今日はたまたま立ち寄っただけ」と笑顔で説明する。
2人とも、他の大半の住民と同様に、自治体にとって最も困難な時期であった2022年に避難していたが、避難生活はもう繰り返したくはないと述べる。
2人は、「外国、ポーランドに行って、そこで3か月滞在しました。それからウクライナに戻った。さらに3か月をハルキウで暮らして、それから反転攻勢(編集注:2022年9月)の後、デルハチに戻ったんです」と口をそろえて話す。
生活がどのように変わったか、前線に隣接する町でこれからどのように生活を築いていくのかという質問に対して、2人は、「慣れました。私たちはここで大丈夫です」と短く答えた。
ボランティアの人手が必要
私たちはデルハチで地元ボランティア、ユリヤ・スシュコ氏とも知り合った。彼女もまた、住民たちが国境方面から聞こえる砲撃音や爆発音に慣れたと述べる。
スシュコ氏は、「ある夜、犬と散歩していた時のことです。花火が打ち上げられているような音が聞こえたんです。誰がこんなことを思いついたのだろう、と思って、数歩進んだら、花火だなんてとんでもない! それは『シャヘド』が迎撃されている音だったんです。つまり、私たちには、そういうことが全部が普通のことのように見えるのです…。滑空爆弾が100メートル先に着弾した時も、確かに、私たちは少し揺さぶられ、窓が吹き飛び、扉が歪みました。でも、10軒の家が破壊されたことに比べれば、私たちのようなことは些細なことです。それは娘の誕生日のことでした。私たちはバーベキューをするつもりでした。そして、実際バーベキューはしました。ただし、その前に近所の人と一緒に窓ガラスを片付けましたが」と語る。
全面侵攻開始後、スシュコ氏は軍を支援し始め、故郷を離れることはなかった。
同氏は、「要望は(編集注:手を頭の上まで上げながら)こーんなに沢山! 迷彩ネット作り、タイヤ、部品、スターリンク、バッテリーのための恒常的な募金、何も変わっていません。2022年2、3月にここデルハチ地区に残っていた人たちを助けています。残念ながら、皆が生きているわけではないですが」と語る。
同氏によれば、地元企業の経営者がボランティアグループを支援しているという。1人は家賃を取らずに場所を提供しており、もう1人は迷彩ネットの材料を買い入れてくれているのだという。
「そうでもなければ、私はもう耐えられなかったでしょうね。何度か、全てを投げ出したい気持ちになりましたよ! でも、それはできない」と同氏は首を横に振る。
そしてスシュコ氏は、軍の支援活動に新しい人が加わってくれないことに心を痛めている。
同氏は、「私の『ガール』たちがいなかったら、何をしていただろうか分からないです! 彼女たちのことをそう呼んでいるのです。皆60歳以上ですけどね! ウクライナ正教会の一員で。彼女たちが私の呼びかけに応えてくれて、彼女たちが(支援の)『核』になったんです。毎朝、雨、雪、氷点下、何があろうと、彼女たちは来てくれている。背中が痛くても、畑を耕した後でも、ここに数時間は来てくれるんです! もちろん、人数は減りました。約20人だったのが、今は7人が継続的に参加していて、週末だとさらに数人が来てくれています。でも、新しい人はゼロなんです! 知り合いは沢山いるし、皆私が何をしているか知っているのに。来てみてほしいと何度誘ったことか」と述べる。
様々な速度で進む復興
デルハチの中心部から、復興された区へと向かう。2023年には、砲撃で甚大な被害を受けた18棟の集合住宅が、国、州、地方予算からの共同出資により復興された。そして昨年には、歩道、花壇、ベンチ、公園なども整備された。建物は現代的な見た目で、当然ながら、町の中で目立っている。
3月には、再建された診療所が再開した。これは実質的に全く新しい建物であり、2階部分が増築されている。というのも、古い建物は砲撃を受け、ごくわずかな、土台と内壁だけしか残されていなかったからだ。この施設には、侵略被害の清算を目的とする基金から6800万フリヴニャ、地方予算からさらに約400万フリヴニャが充てられた。
夏の間、デルハチでは道路の一部、駐車場が修理され、1つの小地区と町の中心部で集中給水網が交換された。市軍行政府の情報課長であるオレクサンドル・クーリク氏は、ブロヴァリ市議会の資金により、2つの水源が整備されていると伝えた。同氏は、それは「連帯:団結するコミュニティ」プログラムの一環で行われているプロジェクトだと説明する。団体「DESPRO」の資金のおかげで、3棟の集合住宅の窓と屋根が修復され、さらにもう1つの施設でも作業が続いている。
クーリク氏は、「私たちは、復興の機会を常に探しており、慈善基金、パートナーたちに働きかけています。なぜなら、共同体自体にある資金は非常に限られているからです。完全に破壊された企業もあれば、設備を他の場所へ移した企業もあります。一部の企業は、ここでは活動していないものの、登記は変更していません。それによって私たちの予算は何とか保っているのです。戦争中、復興したのではなく、新規に開かれた製造業者は1つしかありません。農業部門では、27社のうち、完全に、ないし部分的に活動しているのは4社だけで、いずれもデルハチに近いところに位置しているものです」と説明する。
生徒たちのオフライン学習への準備
現在、市内で建設されている大きな建物と言えるのは、ある学校の放射線防護シェルターである。市行政府によると、主な作業はすでに最終段階にあるという。学校は2交代制で1500人の生徒を受け入れることができるようになるという。10月には混合形式での学習が始まることが見込まれている。子どもを持つ家族がこれをとても待ち望んでいる。
10歳の孫を持つ年金暮らしをするナジーヤ・ミハイリウナ氏は、「私たちの近所には、子どもを持つ隣人はもう全く残っていません。皆避難しました。コミュニケーションが不足しています」と言う。「シェルターはとても必要です。子どもたちが勉強したり、創作的な活動をするためです。戦争の前は、孫娘をレッスン、ダンス、絵画のサークルに連れて行っていました。発表会やコンサートなどがあると、それらは私にとってのお祭りでした」。
リスクは様々なものがあるが、それでもこの家族にデルハチを離れる予定はない。
ナジーヤ氏は、「ええ、ずっと恐怖と共に暮らしています。昨年、再び飛来や轟音が始まった時、孫娘は耐えられず、『おばあちゃん、クラスノフラード(編集注:ハルキウ州の現ベレスティン)に行こう!』と言いました。私たちはそこに1年間避難していました。そして2024年に、嫁と孫娘が再び2か月ほどそこで暮らしました。でも、今はもうここにいます…。もうなるようになるでしょう…。私の家族は私に『どうしてそんなにニュースを見ているの?』と言います。でも、私は1つのことを待っているのです。テレビをつけて、『戦争が終わりました』と聞けることを」とため息をつく。
デルハチ市軍行政府のクーリク情報課長によれば、学校では約4000人の生徒が遠隔で学んでいるが、しかし、物理的に共同体内に残っている児童の数は1400人だという。
クーリク氏は、「そのうち1000人はデルハチ市内におり、生徒と未就学児を合わせた数です。放射線防護シェルターが開設すると、町に住む全ての生徒が混合フォーマットに移行して勉強できるようになります」と指摘する。
国境隣接地域の状況は悪化
デルハチには現在、合計で約2万人が住んでいる(全面侵攻前は約1万8000〜1万9000人だった)。3300人の避難民が登録されている。
クーリク氏は、「ここの住民は入れ替わりました。最も危機的だった時、2022年3月のような時期には、ここに残っていたのは4000人です。それをどうやって数えたか? 人道支援物資の配給によってです。他の方法では不可能でした。何も機能していない時に、皆が支援を受け取りに来ていたのです。その後、共同体が解放される(編集注:2022年9月)までの期間、デルハチには6000人から8000人が暮らしていました。脱占領後には、人々がもっと活発に戻って来始めました。そして今、元の住民の一部は他の地域や国外から戻ってきていなくても、この共同体の北のルシカ・ロゾヴァ、コザチャ・ロパニ、プロホディや州内の他の地域、他の前線地域から人々がやって来ており、それでここの人口は増加しています」と説明する。
また同氏は、ロシア軍がハルキウ州北部に再侵攻した際、多くの人が再び出て行ったが、2週間経つと戻ってきたと伝える。
同氏はその際、「最初はパニックでした。『リプツィやヴォウチャンシクを攻撃している、ここにも来るだろう』といった具合に。しかし、ここでは、(編集注:ロシア軍は)成功しませんでした。しかし、共同体の治安状況は改善していません。光ファイバー接続の無人機がいよいよ多く使用されています。コザチャ・ロパニでは、すでに『蜘蛛の巣』が張られているほどです(編集注:光ファイバー接続無人機対策の網のこと)! ツピウカやドゥビウカでは、(編集注:ロシア軍が)何らかの車がやってくるのを道路で待ち伏せしています。そこの状況は住民にとってすでに危機的です。負傷や死亡の脅威が極めて大きいです。最も厳しいのはコザチャ・ロパニのスタロスタ地区です。フラニウ、ヴェテルィナルネ、シェウチェンカは全てが破壊されてしまいました」と述べる。
軍行政府のヴヤチェスラウ・ザドレンコ氏が示す統計によれば、今年9月は前月と比較して航空爆撃の回数は減少したが、多連装ロケットシステムやFPV無人機の使用は増加している。ザドレンコ氏は、「占領軍はスラティネ、プルジャンカ、コザチャ・ロパニ、ノヴァ・コザチャ、その他の共同体の他の集落を攻撃して、5人を殺害し、6人を負傷させ、34軒の家屋と付属施設を破壊し、少なくとも4台の民間車両を破壊しました。残念ながら、9月のデルハチ共同体でのロシア軍の砲撃による死者数は、2025年で最悪です」と報告した。
9月中に国境隣接地域から避難したのはわずか23人。約1000人がロシアと国境を接するスタロスタ地区に依然として留まっている。彼らは避難するよう勧告されている。