クチマ元ウクライナ大統領、ブダペスト覚書を拒否してもウクライナを戦争から救うことはなかったと説明

ウクライナのクチマ第2代大統領(1994〜2005年)は、1994年にウクライナ領内に残されていた戦略核兵器は、効果的な核抑止力を確保することができるものではなかったと発言した。

クチマ氏がウクルインフォルムとのインタビューの際に発言した(リンク先はウクライナ語)。

クチマ氏は、「1994年にウクライナに残されていた核兵器は、私たちの安全保障を強化できなかっただけでなく、実際には私たち自身に対する危険を生み出していた。1994年のウクライナの核保有は戦略兵器のみで構成されていた。それらは4000〜5000キロメートル以上の巨大な射程を持つミサイルであった。それらの使用命令を出すことができたのはロシアだけであった」と指摘した。

そして同氏は、全部で1240発の核弾頭と176弾中130弾のミサイルを製造・維持管理、つまり戦闘可能な状態あるいは少なくとも安全な状態に維持できたのも、ロシアのみであったと強調した。

同氏はその上で、「私たちにはそのような専門知識も、そのような経験もなかった。そしてこの『管理品』は全て使用期限は切れかかっていた。いくつかの弾頭はすでに、核の専門家たちが言うところの、『息をして』いたのだ」と述べた。

同氏はその他、当時ブダペスト覚書への署名に向けてウクライナに最も強い圧力をかけたのは米国であったと指摘した。

その点につき同氏は、「なぜなら、米国人はウクライナ領内に配置されていた戦略核兵器をウクライナから取り上げることを希求していたからだ。なぜなら、それらがまさに米国に向けられていたからだ」と発言した。

同氏はその上で、ウクライナを救うことができたのは、国が1992年に放棄した戦術核兵器だったとの見方を示した。同氏はその点につき、「問題は、ブダペスト覚書がウクライナから戦略兵器を奪ったことであり、その兵器の状態及び特性ではいずれにせよ核抑止力を確保することはかなわなかったということだ。しかし、私たちの独立の初期には、そのため(編集注:核抑止力)に必要な兵器が私たちにはあった。私たちは約3000発の戦術核弾頭を保有していた。そしてまさにそれらによって、原則的には、当時の私たちはロシアから自衛することができたのだ」との見方を示した。