ウクライナ兵士の命を救うロボット
ウクライナ南部ザポリッジャ方面では、ウクライナ軍の防衛者たちが地上ロボット車両(無人地上車)を試験しており、衛生兵たちも輸送用の無人地上車の操作を学んでいる。
無人地上車を実戦条件下で投入する前には、まず開発者自身が、次いで軍人が試験を行う。訓練場での試験は数か月に及ぶが、民間環境であればそれは数年かかることもある。ウクルインフォルムの記者がそのような試験現場を取材した。
執筆:オリハ・ズヴォナリョヴァ
写真:ドミトロー・スモリイェンコ
騒ぎを起こして敵の注意をそらす
私たちと(ウクライナ陸軍)第65独立機械化旅団の兵士たちとはよく知った間柄だ。セルヒー・スキブチク、アンドリー・アンドリイェンコ両広報官の同行の下、訓練場へ向かう。同旅団は既に地上ロボット車両を装備しており、多くの作戦を成功させてきた。しかし、一部の無人車には改良が必要だったため、調整後に全てが正確に機能するかを確認するのだという。
「パヴク(蜘蛛)」というコールサインの兵士が、重機関銃「ブローニング」を搭載したロボットの試験について説明する。これは敵の歩兵や重兵器を撃破するために使用されている。
パヴクは、「人間が活動できない場所がある。そこでの最善の選択肢は、ロボットを送り込み、攻撃させたり、単に注意をそらしたりすることだ。言うなれば、騒ぎを起こして、その間に私たちが自分たちの活動を遂行するわけだ。無人車は鉄の塊だ。確かに金はかかるが、たとえ2、3回の出撃で破壊されたとしても、それは人間にとっては大きなことであり、それは人員を守ることなのだ。以前、4回出撃して破壊された無人車があったが、それは確実に15、16名の兵士の命を救った」と説明する。
彼は、前回の試験で軍は機関銃の動作に関するいくつかの点に注目し、射撃距離に応じた照準プログラムの改良を開発者に依頼したと補足する。
戦争は劇的に変わった
パヴクは、自身の中隊が最初に受け取り、自らが操作を学んだ無人地上車は「ヴェプリク」だったと振り返る。これはウクライナ製の履帯式の無人車で、負傷者の搬送、前線への物資や弾薬の輸送を行うものだ。また、兵士たちが課題遂行のために自費で最初に購入した無人機は「タルハンチク」だったという。
パブクは、「それらは私たちの活動をかなり助けてくれた。戦争は劇的に変わった。かつては無人航空機で偵察し、『マヴィク』から物を投下していたことがあったが、今は全く違う…。非常に多様な無人機が存在する。陣地に入って人員を交代させたり、食料を届けたり、『200』(編集注:戦死者)や『300』(編集注:負傷者)を運び出したりするのは非常に困難で、不可能なことも多い。しかし、私たちはロボットのおかげでそれを実行している。1週間前も、建設資材と弾薬を届けた。ロボットが先に進んで道を切り拓いた。ロシア側が対人地雷『花びら』を撒き散らした区域があり、前に私たちの兵士の1人がそこで踏んでしまった。その際、彼のところへ救出チームを送ったのだ」と語る。
テルノーピリ州出身のパヴク氏は、民間生活時代は運送業者だった。地上ロボット車両の作業に複雑なことは何もなく、何より操作する人間がバンカーに身を隠せるのが利点だと指摘する。
全面戦争の期間、彼はザポリッジャ戦線の様々な区域で戦ってきた。最初はフリャイポレ方面、その後オリヒウ方面へ転戦した。彼の腕には「ロボティネ」(編集注:ザポリッジャ州の自治体の名)と書かれたパッチがある。同自治体を巡る激戦について尋ねると、彼は息を深く吐き、沈黙し、熟考する。仲間と一緒にその戦いに参加したと述べる。
「あそこに入った。多くの血が流れた。こちら側も、あちら側も。陣地に入り、それらを奪還した。私たちの陣地は今のところ維持されていると言おう。まだ一歩も引いていない。…悪いが、これ以上はそのことは話したくない。思い出すのは辛い」と彼は語る。
「ブローニング」搭載の地上ロボット車両に話を戻そう。私たちが話している間に、射撃の準備が整った。
パヴクは、「これは12.7ミリ口径だ。とても面白い『おもちゃ』だ。装甲兵員輸送車や軽装甲牽引車などの装甲車は簡単に貫通するため、(敵の)攻勢を阻止することができる」と指摘する。
その間、訓練場には無人航空機搭載地上ロボット車両、対戦車ロケット砲搭載車両、輸送用車両が現れた。
ある兵士が、「そう、お前たち、まだ焦りすぎるなよ。操作と無人車そのものに慣れて、条件を感じ取れ。まずは低速に設定し、それから速度を上げろ。それら車両は戦闘可能な状態だという。作業し、習得するんだ」と仲間に話している。
無人機で運び出し、後方で応急処置を行いたい
輸送用地上ロボット車両の操作を習得しようとしている者の中には、第128独立重機械化旅団「ディーケ・ポレ」の衛生兵たちの姿もあった。2022年から前線にいる2名の志願兵だ。
その1人のウラディスラウは、ダニーロ・ハリツキー記念医療大学の学生だ。全面戦争の開始時に休学届を出した。当初は対戦車部隊に所属し、後に衛生兵に転じた。
同氏は地上ロボット車両の操作を試み、数分後には扱い方を理解していた。彼は、基本的に難しいことは何もないと述べる。
彼は、「ラジコンカーの操作に似ている。少し経験が必要なだけだ。今日初めて無人車を操作したが、数週間もあれば(実戦で)作業できると思う」と語る。
ウラディスラウは、2025年10月までは、避難支援チームはピックアップトラックで陣地に入り、夜間に負傷者を収容することが可能だったと述べる。当時はまだ、ロシア側の「待ち伏せ無人機」やFPV無人機がこれほど多くはなかったという。
そして彼は、「今はピックアップトラックでは入れない。リスクが大き過ぎる。(負傷者の)避難の必要性はあるが、実現手段がない。だからこそ私たちはここで学んでいる。無人車で(負傷者を)運び出し、後方で応急処置を施した上で、負傷者をさらに避難させたい。それは迅速かつ比較的安全な方法だ」と付け加える。
ウラディスラウは、これまでにドネツィク方面とザポリッジャ方面で戦ってきた。特にピスキー、チャシウ・ヤル、フリャイポレで戦い、多くの困難な搬送を経験してきた。彼は、その中の1つを語る。
「2022年11月のドネツィク州でのことだ。28人を避難させなければならなかった。2両の歩兵戦闘車が同行したが、そのうち1両が爆発し、乗員全員が死亡した。私たちは軽装甲牽引車に乗っていたが、対戦車地雷を踏んで爆発した。仲間の衛生兵は死亡し、操縦手は重傷を負った。彼は意識を失ったが、私は彼を担いで救い出し、初期応急処置を施した。その功績で『三等勇敢勲章』を授与された。その仲間は今は元気だ。サシュコー、もしお前がこの記事を読んでいるなら、やあ! 彼とは今も連絡を取っているよ。」
救護所の衛生指導官のアントン(コールサイン「コシチェイ」)も、すぐに無人車の操作を把握した。
アントンは、「一見、複雑なことは何もない。しかし、サイズ感を掴み、操作に慣れる必要があるし、地上ロボット車両に乗るわけではないので、周囲は見えず、前しか見えないという特徴にも慣れなければいけない。ミスが非常に高くつくことを理解すべきだ。だからこそ、操作を学び、訓練を積まなければならない」と、送信機を握ったまま説明する。
アントンは2022年3月7日から軍にいる。民間生活では看護師・准医師であり、メチニコフ記念病院の敗血症集中治療室で6年間勤務した。全面侵攻前にも爆発物による負傷の治療を行った経験があった。軍人になることは一度も想像したことがなかったが、軍でこそより役立てると理解したと語る。
彼は、「小隊の衛生兵から始めた。部隊の全ての出動に同行し、陣地で活動した。ハルキウ州の反転攻勢が始まった時、私たちの中隊を中心に志願兵の襲撃グループが編成された。私の大隊は第92旅団に配属され、共にクプヤンシクとその周辺の集落を掃討した。後に襲撃グループが作られた際、私はそこに衛生兵として加わり、襲撃行動に参加した。当時はピックアップトラックや『ブハンカ』で移動していた。しかし、今は空が無人機で埋め尽くされているため、徒歩で移動しなければならないことが増えた」と語る。
彼の話では、全面戦争の開始当初は10キロメートルの距離から陣地入りすることは稀だったが、今ではもうそれが当たり前になっているという。
「荷物を背負うことよりも、陣地に出入りすることの方が大変だ。約50キログラムの装備、ボディーアーマー、小銃、弾薬、食料、様々な道具が入ったリュックサックを背負っている。そして、ただ直進するのではなく、走り、伏せ、援護しながら移動するのだ。」
彼は、1つのグループに輸送用無人車が1台同行するだけでも、活動が楽になると指摘する。ロボットに荷物を渡せば、自分はボディーアーマーと武器だけを携帯すれば良いからだ。2023年の冬にも、兵士たちは同様のことを行っていたが、当時は無人機ではなく、普通の「ソリ」を使っていたという。
陣地で163日間を過ごしたイタリーイェツ
「彼こそが私たちの英雄で、インタビューすべき人物だ」と衛生兵たちが言うのが、第128独立機械化旅団の「イタリーイェツ(イタリア人)」というコールサインの歩兵だ。彼は陣地で163日間を過ごした。
イタリーイェツは小柄で細身、寡黙な人物だ。自身のことを話すよう頼んだ。
彼は、「とても厳しかった。正直、(生きて)出られるとは思っていなかった。相棒も同じだ」と語る。
彼にとって、最も苦しかったのは展望が見えないことと(編集注:敵からの)連日の攻撃だったという。
「文字通り毎日だ。全く眠れないこともあった。最長で10日間、睡眠がなかった。敵は次から次へと攻めてきた。天候が悪かろうが良かろうがは彼らが攻めてきたし、『鳥』(編集注:無人機)が飛んできた。敵までは700メートルだった。」
彼らは今年2月に命令を受けて陣地を離脱したという。
イタリーイェツは、「朝の4時15分に出て、18時に救護班に収容された。13キロメートルを踏破した。這い、歩き、無人機が通り過ぎるのを待った。恐ろしかったよ…。周りには多くの遺体があった。無人機から隠れるために、それらの横に横たわらなければならなかった。水も食料もない状態で抜け出した」と語る。
陣地では甘いものが無性に欲しかったという。「この期間にどれだけ体重が減ったか分からない。入院している時、お菓子とジュースをもらった。その後、自分でピリジキ(編集注:惣菜パン)とペリメニを買った。」
彼は今、無人地上車の操作を学びたいと考えている。「それが私の夢だ。全ての希望は無人機にかかっているからだ。そうすれば、私や仲間たちがあのような陣地に行く必要はなくなり、バンカーに座って無人地上車を操作し、敵を倒せるようになる。」
歩兵がいなければ前線は維持できない
第128独立機械化旅団の小隊長で、中隊の副隊長を兼務するコールサイン「キラ」氏は、前述の陣地からの脱出作戦は非常に困難なものだったと語る。
キラは、「私たちへの主な攻撃はFPV無人機によるもので、銃撃戦もあった。彼らはロシア兵のすぐ近くを通り抜けた。イタリーイェツは、私の目には英雄に映る。陣地に留まっている間、彼は1人で24人の敵兵を倒した。それは近接の銃撃戦だった。私たちは常に連絡を取り合い、近親者からのメッセージを伝え、彼らからの返事を受け取っていた」と振り返る。
また、イタリーイェツと相棒は負傷していたが、他の兵士たちが助けに陣地へ入ることは不可能だったという。医薬品は無人航空機で投下された。
キラは、自身の部隊に地上ロボット車両を導入することを提案している。それは「兵員の最大限の保護、補給、避難」になるからだという。
彼は、「訓練を受ける兵士の選抜を始めた。まず選んだのは、歩兵とは何か、戦争とは何かを知っている者たちだ。私は、彼らこそが、無人地上車と無人航空機の両方の最高の操縦士になると思っている。彼らには塹壕での経験がある。どんな学問もそれに代わることはない」と語る。
彼は2014年から戦争に従事しており、数回の負傷経験がある。かつて歩兵だったことから、兵士たちの気持ちをよく理解している。
キラは、「彼らの中には、私を『お父さん』と呼ぶ者もいる(笑い)。兵士は、指揮官が自分のそばにいて、修正し、助言し、支えてくれていることを知っておく必要がある。人間なしには戦争に勝つことはできない。無人機やあらゆる機材をどう操縦し、どこへ向わせるかを判断するのは人間なのだ。砲兵は『戦争の神』と言われる。しかし、最高の戦争の神は歩兵だ。歩兵がいなければ何も維持することはできないからだ。たとえ多くの地上ロボット車両があっても、それでも歩兵は必要だ。しかし、ロボットは交代を容易にし、援護することができる」と話す。
その間、訓練場では次々とロボット車両の試験が行われている。絶えず「注意! 発射」という声が響く。設計技師のデニス自らが試射を行っている。
彼は、「正確に射撃できるよう、最大限の距離を取るようにしている。私たち自身が訓練場に来て試験を行っており、確実に月に2回は実施している。兵士たちからのフィードバックは常に受けている。それは重要だ」と語る。
実戦経験のある軍人たちにとって、無人地上車がどのように機能し、製造者が何を改善すべきかを理解するには、数時間あれば十分だった。