クラマトルシク、死との追いかけっこの町
この町では、地元住民が、一歩歩くたびに、避難できそうな場所を目に入れながら移動することを勧めている。
全面侵攻の始まる前、クラマトルシクは約20万人の人口を抱えるドネツィク州の発展した工業と文化の中心地だった。現在では、前線が接近してくるにつれて、住民の数は約4分の1に減少しており、町は徐々に「キルゾーン」へと変わりつつある。光学機器を搭載したFPV無人機、シャヘド、グラート、滑空誘導爆弾など、ロシア人は意図的にクラマトルシクを破壊している。ここでは商店やカフェの閉店が相次ぎ、人々は散歩から戻れないかもしれないという考えに既に慣れてしまったと語る。
ウクルインフォルムの記者はクラマトルシクで1週間を過ごし、破壊されながらも屈していないこの町がどのように生きているかを取材した。
執筆者:ハンナ・ボドロヴァ(オデーサ)
写真:ニーナ・リャショノク
傷ついた町々を通り抜けて
私たちはドニプロからパウロフラード、ロゾヴァを経由してクラマトルシクへ向かった。「道は平らでシンプル、傷ついた町々を抜けて……」という有名な曲が車内スピーカーから流れてきた。目的地に近づくほど、道路で遭遇する軍用車両や装甲車が増えた。4時間後、クラマトルシクから約70キロメートルの場所にあるオレクサンドリウカ町に到着した。ここからの道路はすでに対無人機ネットで覆われている。私たちのドライバーはスピードを上げ、「チュイカ(探知機)」のスイッチを入れた。ここから、危険地帯が始まる。
クラマトルシクは、爆発で私たちを出迎えた。町に入った途端、敵のシャヘドがベッドタウンの9階建て集合住宅に着弾したのだ。このような話はここでは毎日、あるいは1日に何度も起こる。少なくとも集合住宅の5つの階が焼け、炎が部屋を焼き尽くした。その損傷した建物の住民に話を聞いたところ、この建物は以前にも爆風の被害を受けたことがあると語った。向かいの学校の建物にも着弾したことがあり、それは人道支援が分配されている時に命中したという。隣接する民間地区にも着弾したという。
6階のアパートのヴァレンティーナさんはこう語る。「私は台所で料理をしていた。無人機の音は聞こえたけれど、そのような音はここではほぼ常に鳴っている。あなたたちはまだ分からないだろうけど、すぐに慣れるよ。その後爆発が起き、ガラスが私の上に降ってきた。廊下に飛び出すと、そこから部屋のベッドが燃えているのが見えた。消そうとしたが炎が大きくなり、火傷を負った。そして外へ飛び出したのだ……。中庭に座り、建物の上階が徐々に炎に包まれていくのを、救助隊が消火しようとしているのを見ていた……。私の部屋の代わりに、今は黒い穴が残っているだけだ。あそこにあった私の持ち物は全て燃えてしまった。」
女性は私たちがどこから来たのか尋ねた。オデーサからだと知ると、かなり長い間南部の町への避難を考えているが、一人で未知の場所へ行く決心がつかないのだと言う。そして、おそらく今はまだクラマトルシクに残り、親戚の家に身を寄せるだろうと付け加えた。
市内の住宅の60%以上が損傷
クラマトルシク市軍行政府の情報によれば、現在、市内の住宅の60%以上が損傷しており、多くの家屋が繰り返し砲撃の被害に遭っているという。また、現在クラマトルシク共同体には5万6800人の住民が留まっており、そのうち2595人が児童だという。
市軍行政府は、避難ペースは安定した水準を維持しており、攻撃の増加から、避難希望者の数が増えていると指摘した。
軍行政府は、「物流ルート、登録・手続き・同行ハブの体制は整っている。活動は州行政府や地方自治体機関の参加のもと、国家レベルで進められている。その点で、慈善団体やボランティアの多大な支援を指摘しておく。彼らは州の危険地域からの住民避難だけでなく、移動先の場所の確保においても住民支援の大部分を担っている」と伝えた。
女性との会話の後、私たちはさらに町中へ進んだ。ここでは空襲警報がほとんど止むことがなく、静寂は何度もサイレンの鳴き声によって切り裂かれる。大半の道路はネットで覆われ、まれに市営交通機関を見かけるが、乗っている人は少ない。同時に、クラマトルシクの清潔さと整然とした景観がすぐに目に飛び込んでくる。公共サービスの職員たちが真面目に働いており、多くの攻撃の傷跡を瞬時に取り除き、木々を剪定し、花壇を手入れしているのだ。
私たちは、町の中心通りの1つでロシアの攻撃による破壊の跡を片付けていた公共サービス職員の女性に話を聞いた。バフムート出身のヴァレンティーナさんだ。
女性は、攻撃被害を片付けるのは心理的にきついと語る。
「人々の悲しみを見ることになるのだ。あらゆる形の悲しみだ。悲劇が毎日起きている。人々が傷つき、建物が壊されている。それでも私たちは自分の仕事をしなければならない。」
彼女は、今後町を立ち去る必要性について、否定しなかった。
「運命がそう決めたのだ。もしかしたらクラマトルシクからも立ち去らなければならなくなるかもしれない。でも、今はまだ私はここにいる。脳の半分でそのことを考え、もう半分で私たちの軍人や、私たちを平和へと導いてくれる人々を信じている」とヴァレンティーナさんは言う。
クラマトルシク市軍行政府が指摘するように、ロシア軍は公共サービスの車両や緊急作業班をわざと狙っている。残念ながら、職員の中に負傷者が出ている。
行政府は、「公共サービスシステムは戦時下でも稼働しており、常に敵の攻撃にさらされている。しかし、業務は続けられており、全員が強化された体制で働き、住民にあらゆる必要な公共サービスを提供するよう努めている」と伝えた。
ロシア軍は無人機でウクライナ国旗を3度攻撃
かつての町のシンボルの1つだったのが、ユヴィレイニー公園だ。ここにはウクライナの国旗(長さ24メートル、幅16メートル)が掲げられた80メートルの柱がある。その青と黄の巨人は遠くからでも見える。それは人影のない緑地の上に誇らしげにたなびき、まるで占領者たちに「全てはウクライナになる」と言い聞かせているかのようだ。ロシア人はすでに3度無人機でこの国旗を損壊させたが、市が何度も何度も旗を掲げ直した。現在、ユヴィレイニー公園の柱には、5月の敵の一連の攻撃の後にキーウ市から贈られた国旗がひるがえっている。一方で、数年前に独立記念日にキーウで掲げられたのは、ウクライナ防衛戦力の全ての旅団の代表者たちの署名が入ったクラマトルシクの旗だった。時計は17時頃を指しているが、公園には私たち以外に人の姿はない。その考えに少し恐ろしくなる。
私たちは、市内で最も古い公園「ベルナツィキー公園」も訪れた。入り口には小さなカフェがあり、路地には花壇が咲き誇り、空気にはシナノキの優しい香りが満ちている。女性が数人その薬用になる花を集めながら、人生について語り合っている。戦争はこの緑の一角には到達していないかのように見えるが、さらに奥へ進むと、草が生い茂ったサッカーグラウンドやテニスコートが目に入る。ここでは長い間試合が行われていない……。公園自体は、砲撃数が他より多い町の古い地区に位置している。公園の近くにはカゼンニー・トレツィ川の川沿い遊歩道がある。ここにも花があり、豪華なバラの植え込みがある。
次に私たちは、町の中心地である平和広場を見に向かった。前線に隣接する町においてその名称は特別な響きを持つ。広場自体の見た目も同様だ。全面侵攻前の2018年に広場は改修され、ウクライナ最大級の巨大な「光の噴水」が設置された。その面積は700平方メートルで、色とりどりにライトアップされる55本のノズルが水の模様を作っていた。しかし全面侵攻が始まってからは、噴水は稼働していない。かつて人気だった場所が、今では死に絶えたように見える。噴水と、窓に合板が打ち付けられた文化会館の向かいには、壁の残骸に反露的な書き込みのされた、破壊された家々が並んでいる。
すぐに隠れられるように移動しなければならない
地元住民と話すことへの希望を失いかけながら車へ向かう。徐々に夕方が近づいている。その時間帯は、FPV無人機の攻撃に最も好まれる。突然、広場近くの公園の木々の間を素早く歩く女性の姿が見えた。彼女は私たちの呼びかけに足を止め、会話も拒まなかった。名前はオレーナ。1年前にコスチャンティニウカからクラマトルシクに引っ越してきて、現在は商店で販売員として働いている。彼女の食料品店は19時まで営業しており、今は家に帰るところだという。
オレーナさんは、「あなたたちは歩いている時にとても落ち着いていて、すぐに地元の人ではないことが分かる。その歩き方は非常に危険だ。クラマトルシクでは、砲撃があった場合に身を隠せるよう、一歩一歩を計算して歩かなければならない。木から木へ、あるいは建物の近くを通り、入り口に逃げ込めるように。一歩進んで避難所、一歩進んで避難所だ。ここでは突如着弾がある。これは冗談ではない。家を出た時には、また戻ってこれるかどうか分からない。死との追いかけっこなのだ」と説明する。
女性は町での苦しい生活、絶え間ない砲撃、最近頻度が増している水や電気の供給停止について不満を漏らす。また、戦争が追ってくると感じるのは苦痛だと語り、ほぼ破壊されたコスチャンティニウカでの過去や、そこで亡くなった親しい人たちのことを思い返す。クラマトルシクが同様の運命をたどることを恐れていると述べるが、今はここから避難する予定はないという。仕事があるからだ。別れ際に彼女は、彼女の計算では「もうすぐ始まる」から、早く家に帰るよう私たちに勧めた。
その勧めを無視せず、私たちは車に乗り込む。
階段の下の夜
クラマトルシクでの最初の夜は、私たちに忘れられない印象を与えた。あらゆる種類の兵器の音が聞こえたようだった。とりわけ不快だったのはFPV無人機の『羽音』で、まるで巨大な蚊の群れが自分の建物のすぐ上を飛び回っているかのように感じられた。その音は近づいたり遠ざかったりするため、夜の一部を建物の階段の下で過ごしたが、眠ることができた。疲労が勝ったのだ。
朝、公式チャンネルで夜間の攻撃に関する情報を読んだ。産業地帯や住宅街への滑空爆弾の着弾、無人機によって焼かれた自動車、損傷した集合住宅。死者が出ている。クラマトルシキー大通りにある被害を受けた建物の1つへ向かった。大通りのある地区のベッドタウンは、絶え間ない攻撃のために町で最も危険な場所の1つとなっていることが分かった。
被害を受けた建物の窓は、長い間休業している幼稚園に面しており、近くには学校もあった。戦争はこの町からずいぶん前に「子供時代」を奪ってしまっている。集合住宅の入り口の前で、公共サービスの職員たちがすでにガラスや破片を片付け終えていた。
7階のアパートで女性が死亡した。その住居で私たちは、女性の元夫に会った。元夫婦は友人関係を続けていたという。彼が最初に遺体を見つけたのだ。
残念ながら、この町では毎朝がそのように始まる。しかし、ここでは日中でも命を落とすことがある。
その日、少し時間が経つと、ロシア人は今度は公共交通機関の停留所をクラスター弾で攻撃した。女性が、バスから降りたばかりのところで、死亡した。軍人がいない町の公園の近くで攻撃は行われており、無差別に放ったかのように思える。自動車整備工場も攻撃され、そこでは18歳の青年が死亡した。
ロシア軍は町のあらゆるインフラを攻撃している。商店、医療施設、ガソリンスタンド、何もかもだ。攻撃に最も好まれる場所の1つが市場でもある。しかし、市場は営業を続けている。店舗の一部は閉鎖され、一部は修理中だ。販売員たちの話によると、最近の砲撃で中央パビリオンの屋根が貫通したが、すでに修理されたという。
ルハンシク州、コスチャンティニウカ、クラマトルシク、そして次は……
販売員の1人からパナマハットを購入する。自分のものを家に忘れてきたからだ。
女性の名前はスヴィトラーナ。ルハンシク州が占領されてから、彼女はコスチャンティニウカに引っ越した。そこで自分のビジネスを始め、販売するための服を買いにトルコへ行ったことなどを語ってくれた。スヴィトラーナさんは小さな店を持っていた。しかし、それはもうない。家もなくなり、彼女は現在、政府プログラム「イェ復興」を通じた給付金の受け取りを期待している。
彼女は、「またゼロから生活を築かなければならない。クラマトルシクもコスチャンティニウカの運命を辿るかもしれない。住宅のお金を受け取ったら、さらに先へ行く。ここでは商売がほとんど成り立たず、市場にいるのは危険だ。私はまだ運が良い方で、知人から部屋を安く、わずか5000(編集注:フリヴニャ)プラス光熱費で借りている。ここでは住宅の価格が宇宙規模に高いのだ。町に軍人が多く、彼らに住む必要があるのを見て、価格をつり上げている人がいるからだ。明日自分のアパートに着弾するかもしれないのに、なぜお金を取るのだろうか?」と言う。
町での私たちの日々は似通っていた。夜間の攻撃の傷跡の撮影、地元の人々との会話、あらゆる音に耳を澄ませること。私たちが話したボランティアの女性の1人の話をとてもよく覚えている。「私は、ドネツィク州が好き。クラマトルシクが好き。この町では、人は嘘をつかず、行動しているから」。これ以上に正確な描写を思いつくのは難しい。クラマトルシクはまるで加速の中を生きているかのように見える。ここではあらゆることが素早く生じる。車は通りを「飛び抜け」、大半の人は、特に夕方が近くなると、駆け足で移動し、公共サービス職員はずっと何かを修理しており、軍人は1本の電話で飛び上がり、カフェに飲みかけのコーヒーを残して去っていく…。
2人の天使の注文したコーヒーが救った命
ところで、クラマトルシクにはコーヒーに命を救われた女性がいる。私たちは彼女と偶然知り合った。町を散歩していてカフェに立ち寄ったところ、入り口の立て看板に「コーヒーは熱くなければ、モスカリ(編集注:ロシア人の蔑称)は冷たくなければ」という爽やかな言葉が書かれていた。オーナーはオリハさん。彼女は、スーツを着てハイヒールを履き、髪をびしっと整えて、メイクをしている。
女性は私たちに親しげに微笑み、コーヒーにするかレモネードにするか尋ねる。
オリハさんは、「地元住民はコーヒーを飲まない。高いからだ。若者もほとんどいない。ここに来る大半は軍人なので、飲み物の他に自動車用の商品も購入できるようになっている。彼らは、心理カウンセラーのところに来るかのように、私のところで話をする。彼らには温かい言葉、人間的なコミュニケーションが足りていないのだ。その後、キスをして抱きしめ、『また明日ね』と伝える。それだけで、彼らはもう気が楽になるのだ」と語る。
軍人の絶え間ない交代のために常連客を維持することが不可能で、ビジネスは死につつあると付け加える。自分のことを「教会のネズミのように貧しい」と自嘲する。彼女は、「常連」全員のコーヒーの好みを知っていると述べる。
彼女は、「ある男性がいてね。彼はコーヒーは好きではなかったけれど、私からなら毒でも受け取ると言っていた。ラテを注文していた。ある日、彼が亡くなったとの知らせがあった。心臓が止まったかのようだった。それは、私たちのところではかなりよくある話だ。歩いていて、それからドカンっとなれば、それで終わりだ」とため息をつく。
オリハさんは、カフェでの仕事のほかに、ボランティア活動をし、献血をし、家なき動物「ギャング」たちの世話をしている。クラマトルシクとその住民に関する無数の話を語ってくれた。どれも面白く、温かさに満ちている。その時知ったのだが、彼女は7歳のときにこの町にやって来たが、生まれたのは沿海地方(編集注:ロシアの極東)だった。
「母はウクライナを非常に恋しがり、愛していた。当時、私の祖母がクラマトルシクに住んでいて、(編集注:極東まで)小包みを送ってくれていた。覚えているのは、ある小包みの中に種が入っていたことだ。(編集注:それがクッション材になり)何も壊れないようにだ。手でそれをかき分けると、中には赤いリンゴがあった。私は尋ねた。『お母さん、こんなことがあるの?』と。私はそれまで缶詰の中の果物しか見たことがなかったからだ。そのとき私は、地球のどこかには楽園があって、それがウクライナなのだと思った。そこには何でもあるのだろうと。母は、花のこと、祖母の庭のことを話してくれた…。私が自分の目でその庭を見たとき、本当にそう感じたのだ、『ここは楽園なんだ』と」とオリハさんは語る。
しかし、子供時代の温かい思い出の代わりに、苦痛に満ちた今日の現実がやってきている。オリハさんは、5月5日の町への攻撃を、恐怖とともに思い返す。当時、ロシア人はクラマトルシクの中心部に3弾の榴弾航空爆弾を投下した。6名が死亡。その中にはオリハさんの親友が含まれていた。
「寒かったが、その日は太陽の光が出ていた。私たちは友人と集まって暖まり、カクテルを飲んで談笑していた。2人の天使がやってきて、コーヒーを、エスプレッソを2つ注文した。時計は17時01分を指していた。私がカフェの中に入った瞬間に着弾した。まるで飛行機が落ちてきたかのような音がした。恐怖で体が動かず、死が飛んでいるのだと、頭では分かりながらも、何もできなかった。私は爆風で吹き飛ばされ、ガラスの破片で切り刻まれ、歯が少し欠けた。昼が夜になった。自動車が燃え始め、炎が次から次へと燃え移った。通りへ飛び出すと、その人生の半分を知っていた私の友人のスヴェータが、腕1本をもぎ取られた姿で倒れていた。そしてセルヒーは、意識があり、目を瞬かせていたが、それらはすべて埃で覆われ、彼の頭の下からは濃い血が流れていた。私は彼の目を拭い、通り全体に響く声で『助けて』と叫んだ。第93旅団の医療班が駆けつけた。セルヒーは連れて行かれ、スヴェータは亡くなった。隣では女性が叫んでいた。娘が引き裂かれたのだ。あらゆる方向から人間のものではない叫び声が響き、車が爆発し、木々が燃えていた…。自分が主演を務める映画のようで、自分が殺されるまであと数秒が足りなかったかのようだった。地獄とは、多分、このような景色なのだろう。私はもう泣かない。涙が出ないのだ」とオリハさんは語る。
オリハさんは、経験したことから今も立ち直っていないと語る。
「夜が過ぎても眠れず、まるで穴に落ちていくようなのだ。朝起きると、身なりを整えて仕事に向かう。ここでは微笑む。でも心は、まるで絞り上げられていて、離してもらえないかのようだ」と言う。
クラマトルシクから避難するつもりはないかという質問は、彼女を怒らせたようだった。
「避難しない!」とオリハさんは激しく答えた。「ここが私のホーム、私の家、私の動物たちだ。彼らを連れてどこへ行けば良いの? 私は誰にとって必要なの? 私にとって最も恐ろしいのは、彼ら(編集注:ロシア軍)が侵入してきた場合に、ここに残っていることだ。なぜなら私は最初の柱に吊るされるだろうし、その前には、拷問されるからだ。私は痛いのが好きではない。でも彼らは入ってこない。町は破壊されているが、だから何だというのだ。キーウは破壊されていないの? オデーサは、ハルキウは? じゃあ、みんな立ち去って、若者たちに『私たちはあっちで竹でも吸っているから、あなたたちはここで戦っておいてね』とでも言うのか。誰が彼らを治療し、誰がパンを焼き、誰がコーヒーを淹れ、誰が温かい言葉をかけるのか? 誰か愚か者が残らなければいけないのだ。それは私でいい。そしてやつらがやってきたら、神に1つだけお願いするのだ。『どうか一瞬で』と」。
私たちはただピザを食べたかっただけ
コーヒーを飲み干し、オリハさんと別れる。次の建物の近くに、犠牲者の記念碑が見えた。ここにはピザ屋があり、2023年6月27日にロシア人が、「ウクライナ軍第56自動車化歩兵旅団の指揮官団の臨時滞在地点」と呼んで、ミサイルを命中させた店だ。ピザ屋へのミサイル攻撃によって、13名が死亡し、その中には4名の児童が含まれ、59名が負傷した。
記念碑の近くで男性がしゃがみ込んでいる。彼は泣きながら、1枚の写真を拭いている。そこには2人の少女が写っている。
彼は、「私が彼女たちをここへ連れてきたのだ。私たちはただピザを食べたかっただけだ。彼女たちはまだ14歳だった。私の腕の中で亡くなった。それは最も恐ろしいことだ」と涙を抑えられずに語る。
私たちは彼の喪失に同情するが、私たちの心の中の「苦痛のシェルター」はすでに満杯のようでもある…。そしてクラマトルシクは、毎日を、毎分を、このように生きている。
クラマトルシクは今、毎日死と競い合っている。ロシアは体系的に区画を1つずつ破壊し、命を奪い、慣れ親しんだリズムと平和な過去の記憶を消し去っている。しかし、町は、攻撃の度に国旗が再び掲げられ、留まり、働き、助け合う人々のおかげで、今もまだ、生きている。