今日は、ウクライナ独立30周年記念日
8月24日のウクライナ独立記念日は、1991年にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国最高会議が「ウクライナ独立宣言」を採択したことを祝う日である。この政治・法的宣言により、ウクライナは新たな地位を得ることとなった。
ウクライナは、この独立に至るまでに長い道のりを歩んでいる。はじまりは、アント人国家、ルーシのポリャーネ族の連合国家であり、それが後にキーウ(キエフ)を中心とするルーシ国家となる。キーウ・ルーシ(キエフ大公国)の崩壊後、その国家性の伝統はハーリチ・ヴォリーニ大公国に移る。その後は、キーウやヴォリーニの地に大きな自治のあったリトアニア・ルーシ大公国が存在した。
17世紀になると、現代ウクライナのある地にコサック国家が形成され始める。100年以上にわたり、コサックたちは、ウクライナの地の独立のために戦いを続けるも、その達成はついに叶わなかった。18世紀、ウクライナの人々は、自らの国家性を失い、ロシアとオーストリアという二つの帝国の中でその後200年を過ごすことになる。
19世紀から20世紀初頭にかけて、ウクライナ民族運動が勃興し、これが1917〜1921年のウクライナ革命の発生とウクライナ国家の再生をもたらす。ウクライナ人の政治利益を代表する「中央ラーダ」政権が形成されると、この中央ラーダが第三次宣言(第三ウニヴェルサル)により「ウクライナ人民共和国」の成立を宣言、さらに第四次宣言にてこのウクライナ人民共和国の独立を宣言する。また1919年には、合同宣言により東西のウクライナの地の合流が謳われている。しかし、このウクライナ人民共和国が存在できた期間は長くなく、その後ウクライナの人々は、20世紀末まで自らの独立国家を持つ機会を失うこととなった。
モスクワの8月クーデターの後、1991年8月24日、ウクライナ・ソヴィエト社会主義人民共和国最高会議の臨時会議にてウクライナ独立が宣言され、独立国家ウクライナが成立した。これにより、ウクライナ国家がウクライナ憲法とウクライナ法のみが効力を持つ自らの不可分かつ不可侵の領土を有すことになったのである。
ウクライナが完全な国家独立を得たのは、90.32%の独立支持の結果を出した1991年12月1日の国民投票実施の後である。
今年は、ウクライナ独立30周年記念の一環で、8月22日から24日にかけて全国でさまざまな祝賀行事が開催されている。スローガンは、「あなたは私の唯一(Ти у мене єдина)」。とりわけ、8月24日には、キーウ中心の通りにて、ウクライナ軍などによる軍事パレードが行われる。
ウクライナ文化情報制作省は、ウクライナ独立記念日の各地のイベントをオンラインで確認できるデジタルマップを発表している。