新しいモスク建設とイスラム教祭日制定の提案は、ポピュリズムか、それとも必要な決定か?

新しいモスク建設とイスラム教祭日制定の提案は、ポピュリズムか、それとも必要な決定か?

ウクルインフォルム
ウクライナに暮らす大半のイスラム教徒は移民ではなく、先住民であり、彼らは自らの国が自分のものであると感じたがっている。

先日のクリミア・タタール民族追放犠牲者追悼日、ウクライナ大統領府側は、クリミア・タタール人代表者との会談時に、首都キーウ(キエフ)市への大型モスクの建設とイスラム教の祭日を国家レベルの祭日に認定するというイニシアティブを発表した

この提案は、歴史的正義なのか、それとも政治的な案なのか。人によっては、この案を「ポピュリズム」とか「クリミア・タタール人とのお遊び」だと呼ぶ人すら現れた。というのも、キーウ市にはモスクが既に一つあるからだ。そのモスクに入りきらないほどのイスラム教徒が暮らしているのだろうか? ウクライナのカレンダーにイスラム教のお祝いを足すのは正しいのだろうか? 私たちは、宗教の専門家たちと今回発表された提案について議論することにした。


イーホル・コズロウシキー宗教学者(ウクライナ・イスラム学研究センター副総裁)

ウクライナは、興味深い多宗教国家です。イスラム・ファクターは、ウクライナ史の中に常にありました。それはクリミア半島だけの話ではなく、クリミア文明の歴史に関する話であり、その文明は(ウクライナ)南部のステップや東部を覆うものです。すなわち、イスラム教徒は、私たちの歴史の中で、国家性が生まれた時から様々な形で存在したのです。当時のキーウを旅した人々も記述しています。

このテーマは、クリミアが占領されたことで活発になりました。現在ウクライナには、クリミア併合後に大陸側に移ってきた人々により、強固なクリミア・タタール・コミュニティが存在しています。

大型モスクの建設案は、クリミア・タタール人がエルドアン・トルコ大統領と長らく議論してきたものです。エルドアンは、クリミア・タタール人支持について、ゼレンシキー大統領とも話しています。本件は歴史的問題であり、近年の出来事は単にその問題を解決に向かわせているだけのことです。しかし、クリミア・タタール人の支持とこの問題の活発化というのは、ロシアとの情報戦にとっても非常に重要なファクターです。

本件は、被占領下クリミアに暮らすクリミア・タタール人たちに「ウクライナは私たちのことを忘れていないどころか、サポートもしてくれ、私たちに注意を向けてくれている」との考えを抱かせ、疑いを抱かせないためにも重要なのです。なぜなら、クリミアは最近、社会の意識から抜け落ちかかっていますから。それは政治的に看過してはいけません。

ゼレンシキー大統領と「メジュリス」(クリミア・タタール民族代表機関)の最近の会談では、モスク問題を含め、様々な質問が出ました。どうしてそのような高いレベルでこの問題が提示されたのでしょうか? 地方では、土地の割譲問題に関しては、ステレオタイプや無理解が住民の間に見られます。そして、もしかしたら、この問題が大統領との会談で提示されたというのは、地方レベルでその問題を解決するには非常に長い時間がかかるため、(クリミア・タタール側の)悲痛の叫びだったのかもしれません。

宗教関連祭日の話も、クリミア・タタール人や、親ウクライナ的立場を有し、ウクライナの政治的ネイションに属すると認識しているその他のイスラム教徒たちに対する、サポート政策の一部です。それは、イスラム教アイデンティティや、民族アイデンティティだけに関係する話ではなく、そのような手段は市民アイデンティティの運命を拡大するものだと思います。そして、それは良いことです。なぜなら、私たちは現在、ロシア連邦との間で、様々な形態の長く引き伸ばされた戦争の中にあり、その戦争の中で私たちは、様々な民族の自らの国への責任の認識レベルを高めなければならないからです。彼ら(様々な民族)の間の、ウクライナ政治的ネイションの一部であるという認識を、強化すべきなのです。そのため、そのようなアイデアをサポートすることは正しいです。

また、ウクライナには、キリスト教の聖誕祭(クリスマス)の祭日が2回あります。12月25日に聖誕祭を祝う人の割合は、イスラム教徒よりも多くありません。すなわち、イスラム教のお祝いを国の祭日にするというのは、可能性とバランスと、クリミアにいるクリミア・タタール人たちへのサポートとして評価することができます。

イスラム教の祭日を信者にとってのみの休日とすることは可能

ヴィクトル・イェレンシキー宗教学者(アルセニー・ヤツェニューク元首相(当時)補佐官)

私は、基本的にそのイニシアティブを支持しています。イスラム教のお祝いを国家の祭日にして休日にするという発表については、私は、欧州の複数の国の実例を思い出してもらいたいです。それら欧州の国では、宗教祭日にあたる日に複数の「条件付祝日」が設けられており、人々は自分でその中から自分が休む日を選ぶことができます。ですから、私は犠牲祭(クルバン・バイラム)と断食月明けの祭り(ウラザ・バイラム)が、ムスリムのためだけの祝日となるなら、支持します。イスラム教の祭りが国民皆にとっての祭日となる必要は必ずしもありません。なぜなら、ウクライナには祝祭日がすでに多すぎますから。

ところで、クリミアで併合が起こる前、いくつかのイスラム教のお祭りは現地の祭日となっていました。しかし、今回、大統領は、追放の日に合わせてクリミア・タタール人に何か提案したかったのでしょう。そして、エミネ・ジャパロヴァ氏の政府入りの推薦と、その二つの祭日を支持するというジェスチャー以外には、何も提案できなかったのでしょう。

クリミア・タタール人にとってのモスクの話は、ムスタファ・ジェミレフ氏(編集注:クリミア・タタール人指導者)らが長らく言及してきたものです。そして、それは大統領の権限で決めることではありません。土地を割くのはキーウ市のコミュニティですから。同時に、もし大統領が個人の資金でクリミア・タタール人を支援するというなら、それは問題ありません。私たちは皆、何かしらの形で彼らを助けなければなりません。しかしながら、現時点で不明なのは、どのようにそのイニシアティブを実現するか、ということです。というのも、その宗教祭日の確定には、最高会議(国会)の採択が必要だからです。

もう一つモスクが必要か、という質問についてです。クリミア・タタール人には、宗教と民族の構成が緊密に結びついています。これについて、私は、あることを体験しています。1988年に哲学研究所からクリミアを訪れた時のことですが、当時はクリミア・タタール人たちがクリミアに帰還し始めていた時期でした。当時、クリミア・タタールの宗教コミュニティが登録されないという問題が生じていました。クラスノペレコプシク近くで、私たちは彼らのプレハブを目にし、また高齢のクリミア・タタール人が埋葬される様子を見かけました。人々は皆、その方の遺体がウズベキスタンからクリミアまで運べたことを喜んでいました。私は、そこでイスラム聖職者がノートを開き葬儀の祈りを読み上げているのを目にしたのですが、そのテキストは(アラビア文字ではなく)キリル文字で書かれていました。その時、その聖職者は、こう言いました。

「おそらく、あなた方は祈りの文をキリル文字にしてしまった私たちを、悪いムスリムだと思っているのでしょう? でも、わかるでしょうか。私たちは、自らの地中海アイデンティティをこのような形で維持しようとしてきたのです。私たちは、自らのアイデンティティを維持するために、そこ(ウズベキスタン)で、お茶ではなく、コーヒーを飲むようにしてきました。もうすぐ私たちは、良いムスリムになるのです」と。

この出来事は、アイデンティティとは他者との「線引き」なのだということを端的に示すものでした。

クリミア・タタール人たちがウズベキスタンから戻ってきた時、彼らを巡って、複数のイスラム教指導者達が競い始めました。サウジやトルコの人々です。その際、(クリミア・タタール民族機関)「メジュリス」の指導者たちは、その彼らの誘いに注意深く接していました。メジュリスの決議の一つに「私たちは、私たちの伝統と善と悪の理解を守ってくれるイスラム教の道を進む」といった内容の一文が加えられたほどです。この点から、私は、彼らは民族・宗教的な環境にあることを望んでいるのだと思っています。そして、だからこそ、私は彼らが自身のモスクを持つことに賛成します。

キリスト教の指導者たちが、イスラム教の祭日に対して正しい見方を信者に伝えることを期待

サイード・イスマヒロウ・ウクライナ・ムスリム・コミュニティ「ウンマ」指導者

イスラム教は、ウクライナにとって、正教やカトリック教と同じく、伝統的な宗教です。イスラム教は、ウクライナの地に1000年前からあります。なぜなら、イスラム教国家、イスラム教を正式な国教とし、イスラム教のお祭りを国家レベルで祝っていたクリミア・ハン国が存在したからです。主要な祭日は、断食月明けの「ラマダン・バイラム」と犠牲祭「クルバン・バイラム」の二つです。

つまり、地域によってはムスリムの数は多くはなくとも、ウクライナにとって、イスラム教は伝統宗教なのです。国家が友好的態度を示し、イスラム教のお祝いを祭日と定めようとすることは、私たちのコミュニティから大変肯定的に受け止められるでしょう。私たち自身も同様のお祝いを主導してきました。同時に私たちは、ウクライナの社会がそれにどのように反応するかはわかりません。それは、キリスト教諸教会の指導者たちの立場に左右されると思います。私は、彼らが自らの信者たちに、ウクライナにはイスラム教徒がいて、彼らに友好的態度を示すことは可能だと教えることを期待しています。この件で重要なのは、精神的・宗教的な権威を持つ人々が、この事実に対して理解を持って接することです。

私たちは、大統領府がどのような形でイスラム教のお祝いを施行するのかについてはまだ知りません。私たちが知っているのは、一部のキリスト教のお祝いは休日となっているけれど、一部は休日となっていない、ということです。イスラム教のお祝いがどのように祝祭日の一覧に加わるのかというのは、論点です。しかし、イスラム教の祝日は、定まった日があるのではなく、毎年10日間ずれていくものです。ただし、キリスト教の復活祭が毎年暦上の日付が変わることに問題がないように、イスラム教のお祝いも日付が変わることには問題はありません。ただ、そのお祝いが皆にとっての休日となるのか、それともムスリム・コミュニティにとってのみの休日となるのかは、今後決められていくものでしょう。

モスクについてですが、キーウ市には文化施設、宗教目的施設が大きく不足しています。キーウのムスリム・コミュニティの多くは、改修された場所や賃貸の場所を利用しています。それらの場所は、取得されたり賃借されたりしているものですが、しかし、外からはモスクのようには見えません。それらは、イスラム教の信仰実践が行なえるように内部が改修されているだけなのです。

防疫期間が始まるまでは、私たちは金曜の礼拝のために集まっていましたが、礼拝は屋外で行なっていました。施設が全く足りないのです。モスクが建設されれば、ムスリム・コミュニティ全体が歓迎することでしょう。人々は、改造された場所ではなく、適切な外見をした文化施設にてお祈りをすることができるようになるのです。

新しいモスクは、キーウの現代的欧州の町としての「名刺」のようなものになるかもしれません。ウクライナのムスリムの大半は、移民ではなく、ウクライナの先住民、クリミア・タタール人です。また、知らない人が多いですが、イスラム教にもキリスト教同様、複数の流派があります。プロテスタントは正教会の教会には行きませんし、正教徒はカトリックの教会には行きません。キーウ市にはモスクがあり、多くの人が一度に入ることができますが、しかし大半のムスリムはそのモスクには行きません。

新しいモスクには、全ての伝統的ムスリム、スンニ派の教徒が行くでしょう。クリミア・タタール人だけがスンニ派なのではなく、トルコ人やアラブ地域の出身者もスンニ派です。クリミア・タタール民族代表機関「メジュリス」の代表者が政権内にいるので、彼らが政権の人たちと本件について議論する使命を負っています。

イスラム教とユダヤ教の人々は、ウクライナに何世紀にもわたって暮らしてきた

アントン・ドロボヴィチ国家記憶研究所所長

イスラム教とユダヤ教の人々は、ウクライナに何世紀にもわたって暮らしています。ウクライナでは、歴史上これらの宗教にとっての多くの出来事が生じましたし、この地は彼らにとって重要な運動や人物が存在した場所です。モスク建設のための歴史的根拠は確かに存在します。モスクなりシナゴーグなりの建設の必要に関しては、その町にどれだけ信者が暮らしているのか、信者が必要としているのか、を考慮すべきです。

例えば、イスラム教徒は、ウクライナの人口の0.4~0.5%であり、約40万から50万人です。これに照らして、イスラム教徒の間にモスクの需要がどの程度あるかを見るべきです。そして、その需要があり、宗教団体がこの問題を提示して、大統領がそれを支持する準備があるなら、それは良い徴候です。なぜなら、ウクライナは多宗教国家ですから。多宗教国家では、それぞれの宗教コミュニティが法律を守り、平和的な手段で自らの儀式や実践を実現し、国家からのサポートを受け取ることも可能な国のことです。そのため、何よりまず最重要なのは、需要の有無を調べることです。

イスラム教のお祝いを国家の祭日とするという案ですが、現行の労働法典により、宗教コミュニティの提案を受けて、各企業・組織の幹部が従業員に対して、彼らが信仰する宗教にてお祝いの日と定められている日の中で、最大3日間の休暇を与えることができる、と定められています。

国家記憶研究所は以前、このテーマを整理しようと、国家祝祭日とその他の祝祭日に関する法案を作成しました。本件は、歴史的記憶に関するものです。というのも、もし私たちがともに暮らし、もしキリスト教徒にとってお祝いの日が祭日となっているのであれば、平等な態度として、その他の宗教の代表者たちにも同様の可能性を与えることはできるでしょう(ただし、ウクライナ国民の大半は正教徒で、その次に多いのがカトリック教徒、次にプロテスタント、その次に来るのがイスラム教徒とユダヤ教徒ですが)。特別な大統領令がそれに必要かどうかですが、国民が必要とするなら、大統領令を発出してもいいでしょう。それから、最高会議にて法案を提示すれば良いのです。

しかし、本件はそれ自体が、社会に対して良いシグナルであり、私たちの間に宗教問題がないこと、私たちは種々の宗教団体と国家の幹部が対話するくらい団結しているということを示すものです。本件は、健康な市民対話が改めて顕在化したものなのです。

質問者:ラーナ・サモフヴァロヴァ/キーウ


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