カール・シュレーゲル独歴史家
ウクライナでは、信じられないほどオープンにあらゆる問題が解決されている。それは、ロシアで起きていることとの決定的な違いである。
06.11.2019 15:42

カール・シュレーゲル氏は、著名なドイツの歴史家であり、ロシア、ウクライナ、東欧についての著作があり、また著作は多くの言語で翻訳されている。

戦後の西ドイツで生まれ育ったシュレーゲル氏は、スラヴ学に関心を抱き、ロシア史を学び始め、ソ連も訪問している。

2014年のロシア侵略開始後、同氏は、明確にウクライナの立場を支持する側に立った。その立場の明確さは、ウラジーミル・プーチン露大統領からの「ロシア連邦との協力強化への貢献、科学・文化的繋がりの発展、積極的奉仕活動」を称えるプーシキン賞の受賞を断ったほどだ。

ウクルインフォルムは、シュレーゲル氏の仕事、ウクライナにおける出来事への見解、ドイツの専門家たちへのウクライナ理解のためのアドバイスにつき、シュレーゲル氏本人にインタビューした。

ウクライナはミニチュアの中のヨーロッパ

シュレーゲルさん、あなたは「カルト的歴史家」と呼ばれていますが、あなたはこのような見方をどのように受け止めていますか。

私は、それを誇張だと思っています。

しかし、私が歴史に対して特別なアプローチを有しているのは事実です。特に、私が関心を抱いているのは、具体的な場所に作り出されている歴史です。私は、町々との共通点を持つ歴史を書いています。そのため、私の本は、それまで東ヨーロッパに関心を抱いたことのなかった多くの人にとっては、ガイドブックのような存在になっています。私の本を読んでから、リヴィウ、チェルニヒウ、オデーサへ渡航したという人たちがたくさんいます。

ウクライナのどの町を訪れましたか?どの町で発見がありましたか?

多くの町を訪れましたよ。最初は、1960年代で、私が学生の時です。その時は、ウジホロド、ムカチェヴォ、キーウ(キエフ)、リヴィウ、ハルキウを訪れました。中央ヨーロッパに関する議論が激しくなっていた1980年代には、チェルニウツィーやリヴィウを数回訪れました。

私が東部について関心を抱いたのは、もっと後になってからで、2014年の春、ハルキウ、ドネツィク、スロヴヤンシク、マリウポリ、オデーサを訪れました。

私には、以前、ソ連邦というフレームを通じた見方を持っていました。ウクライナは、マイダンやロシアの侵略に関連して、ずっと後になってから再発見しています。

つまり、侵略までは、あなたはウクライナのことを独立した国家として書いていなかった、ということですか?

私の世代、私の職種の多く人が、モスクワ、レニングラードで研究を行っていましたが、例えば、キーウ、トビリシ、エレバンまで行くのは、特化した何かを行う場合だけでした。ですから、ウクライナを、非常に複雑な独自の歴史、独自の国家性、独自の文化を抱く独立した主体として受け止めるようになるのは、比較的遅かったです。

マーク・フォン・ハーゲン(編集注:米国、スラヴ史専門)の1995年の作品があり、彼はそこで、『ウクライナ史は存在するか?』という問いを立てています。私は、今でも、ウクライナとは何か、ウクライナ人とは何か、ということについて、ドイツに大まかなイメージが存在するとは思っていません。存在するとすれば、ウクライナ語とは単なるロシア語の方言だと考えるような信念です。

そして、それが過去数年、数十年の、ウクライナをイメージし、認識する上での、問題の一つでした。なぜなら、大半のドイツ人にとっては、ウクライナはいまだに旧ソ連邦の一部なのであり、常にロシアの陰に存在するものだからです。オレンジ革命とマイダン革命の主な影響の一つは、それにより、人々がはじめて、ウクライナという特殊なもの、特別な文化と伝統を有す具体的な国家が存在するということを理解したことです。しかし、それを理解するためには、本を読む以上の多くのことが必要です。

私にとってウクライナとは、全く持って異なる文化的地域、層を抱く、多極的国家です。私は、現代的ネイション国家であるウクライナが、自らの全ての様々な層・地域をどのように統合するのかに関心があります。

ウクライナは、ミニチュアの中の独特な欧州のような国なのです。しかし、あなたたち、ウクライナ人は、非常に多様かつ分化した文化的アイデンティティをどのように統合するか考える必要があります。私は、マイダンの経験、現時点でのウクライナ主権の防衛がこのアイデンティティを形成し、強化するだろうと期待し、信じています。

ネオ帝国的袋小路にあるロシア

あなたは、昔からのロシアの同僚とのつながりを持っていますね。あなたがウクライナへ明らかな共感を示すようになってから、彼らとの関係はどのように変わりましたか?

もちろん、何でも話すことのできる友人や、クリミア併合やプーチンへの批判的な姿勢を有す友人はいます。

しかし、概して、雰囲気は非友好的で、良いものではなくなりました。なぜなら、間接的、時には全く直接的に、帝国的な言動に出会うようになったからです。

私は、近年もロシアを訪れています。ロストフ・ナ・ドヌーにも行きました。ロシア・ウクライナ間国境を見たかったのです。クラスノヤルスクの本のマーケットにも行きました。あと、もちろんモスクワにもです。私は、ヴォルガ川についての本を書いており、もうずっと前に書き終わる予定なのですが、ウクライナの出来事が執筆を止めました。

しかし、現時点で、職務上のつながりはありません。私は、(ロシア)大使館との関係ももう一切ありません。

公式的な話を言うと、私は、2014年にプーチンから賞を受け取り、それをクリミアの出来事を理由に返還しました。

もちろん、「ロシアの今日(RT)」や、その他のマスメディアは私を攻撃してきましたし、「NATOのインテリ・エリート兵」などと形容してきました。ラジオやテレビでのインタビューの後には、多くのヘイト・レターを受け取りました。

しかし、それを私は気にしていません。私がより関心を抱いているのは、ウクライナが現在の危機から脱出できるかどうかです。また、私とロシアの関係が、プーチンによって定められたり、破壊されたりしないようにすることにも関心があります。私は、素敵な思い出を残しておきたいし、ロシアがネオ帝国的袋小路から抜け出ることに対する期待もあります。私は、そう強く期待しているのですが、しかし、プーチンのいるうちはそのようなことは起こらないと思っています。

あなたは、(ロシア)入国禁止の「ブラックリスト」には掲載されていませんか?

一度、1年ビザを申請したことがあるのですが、取得できませんでした。官僚的な理由か、政治的理由かはわかりません。

政治的ネイションの形成における問題は、ウクライナよりロシアの方がはるかに大きい

あなたの著書「ウクライナの挑戦」は、大きな話題となりました。侵略開始後に、その本の冒頭部分を書きましたね。

それはエッセー集であり、何年もかけて書いたものです。ええ、冒頭部分は新たに書きました。

私がウクライナの国民国家の歴史の専門家ではないということは、言っておかねばなりません。私にとってのウクライナ史は、ハリチナ(ガリツィア)、ブコヴィナ、チェルニヒウ、ポルタヴァ、ドンバス、クリミアといった個別の町と地域の歴史です。

私の視点からの現在の新しいことは、「政治的ネイション」というコンセプトと関連するものです。マイダンの最大の達成は、非常に多様な地域、多様な文化を統合したことです。それは非常に重要です。

そして、ロシアにおいて同様の問題をどのように解決するかは、全くわかりません。どうやったら、帝国的ロシアから「ルーシの」とは異なる現代的ネイションが出てくるのでしょうか?残念ながら、ドイツ語にも英語にも「ロシアの(российский)」と「ルーシの(русский)」の間の(言語上の)違いはありません。

そう、ウクライナが政治ネイション形成の過程でぶつかった問題は、ロシアにおいては、ウクライナの場合よりはるかに大きなものとなるでしょう。ロシアが帝国的伝統からどのように離れていくか、というのは、プーチンの問題だけではなく、サンクトペテルブルク、カザン、クラスノヤルスクといった場所の国民の問題だからです。

すると、あなたは「ロシアの精神」に詳しいですが、ロシア人が近い将来現在の帝国的イデオロジーを乗り越えて、自らのウクライナ人に対する態度を変える可能性はないと見ていますか?そのためにはどの程度の時間が必要だとお考えでしょうか。

現在のソ連的帝国主義、帝国的認識が分解し、消滅するプロセスを経るのにどの程度かかるのか、私にはわかりません。私は、それが生じるのは何らかの危機を通じてだと思っています。

明白なことは、現在の恒常的にウソをついている体制が国を袋小路に追いやり続けているということであり、国民のチャンスを切り刻んでいる政権幹部が膨れ上がっているということです。何千という教養と能力のある人々がロシアを去っています。

すなわち、それが生じるのは、帝国的政権に対する信頼が飽和する時でしょう。しかし、それが、いつ、どのように生じるのか、私たちにはわかりません。

しかしながら、19世紀初頭の日露戦争後の教訓があります。その時は、あらゆることが急速に進み、複数の革命が起きたのです。

しかし、それを決めるべきは、モスクワの人々であり、外から植え付けられる民主主義の問題ではありません。

ドイツにおける罪悪感コンプレックスとビジネス・エリートによる「パラポリティクス」

(編集注:ウクライナ・ロシア間の)戦争は、すでに5年続いています。ところで、あなたはドイツにおいては珍しく、その戦争を、「情勢」とか「危機」といった恥ずかしい名前でなく、「戦争」と呼んでいます。あなたは、この5年間で、プーチンの目的、西側の態度において、何が変わったと思いますか?

私は、彼(プーチン)はまだまだゲームをしているのだと思います。

また、私は、ドイツの状況を非常に不安定かつ危険なものだと思っています。複数の理由からです。

第一に、古いイデオロギーを持つ層には、ロシアとドイツの間の「特別な関係」がピョートル大帝とビスマルク等の時代から存在しているのだというイメージ、考えがあります。

また、第二次世界大戦関連の古い罪悪感コンプレックスも存在します。ドイツ人は、現在まで、ドイツ人の行った犯罪は、ロシアだけでなく、ベラルーシやウクライナでも行われたのだということを完全には理解していません。

更に、ドイツの統合の文脈では、ゴルバチョフと結びついた哀愁や共感もあります。

また、細かい点では、「通常の関係(business as usual)」や、利益も理由です。

私は、ビジネス・エリート層により「パラポリティクス」(編集注:政治的選択肢の消失)が生じていることを、非常に悪いことだと思っています。私は、そう言わざるを得ません。私からすれば、このパラポリティクスを実現しているのが、ゲアハルト・シュレーダー元首相です。、戦争犯罪を始め、継続している政治リーダー(プーチン露大統領)の特別な友人です。彼(プーチン)は、シュレーダーが養子を得られるようにしたほどです(編集注:ロシア政府は外国への養子を禁止しているが、例外的にシュレーダーに養子受け入れを許可したことがある)。

そして、私はまた、メルケル氏(独首相)の批判も述べます。彼女は、よく言われるように、プーチンに対して、非常に一貫性のない態度をとっています。例えば、彼女はいつも、「ノルド・ストリーム2」(編集注:建設中の新しい独露間ガスパイプライン)は商業プロジェクトであり、政治プロジェクトではないと述べていますが、私は、それをまったくもって明白な間違いだと思っています。ノルド・ストリーム2は、政治的プロジェクトです。バルト諸国、ポーランド、ウクライナの代表者たちは、同プロジェクトに対して、正当な抵抗をしているのです。

そうすると、欧州は、プーチンへと対抗することができなかったのか、それとも対抗を望まなかったのか。そして、それが欧州そのものの侵食をもたらしています。

ロシアは、実際には脆弱な勢力です。ロシアが有している力は、軍事力と西側諸国の脆弱性だけです。

欧州と西側諸国は、現在非常に脆弱です。そして、一つ一つの亀裂、欧州連合(EU)内の一つ一つの内部対立が利用されているのです。プーチンは、これら対立を自分のために利用することのできる振り付け名人なのです。

しかし、私たちは、どんな肯定的なことが可能なのかを、もう一度話す必要があるでしょう。

ウクライナは、失敗国家という言説と対抗しなければならない

どんなことができますか?そして、あなたは、ウクライナがマイダンの示した道を進み続けていると思いますか?なぜなら、今ウクライナでは、その点につき不安を述べる人がいますし、裏切られたと言う人もいます。

私は、物事を見るにあたって、基本的にはポジティブな人間です。

侵略がある国で、当たり前の生活が続いている。ハルキウでは会議が開かれ、大学生活が続いている。リヴィウでは、道路はひどいものだが、IT分野は花開いている。キーウでは、休日に人々がフレシチャーティク通りを歩いていて、どこかで血の流れている時にもこのような自由な雰囲気があり得るなどとは信じられないほどです。

基本的かつ自発的な「ヨーロッパ化」が起きているのです。それは価値に関する議論とは一切関係がありません。チェルニウツィーやリヴィウやら、どこでもいいので、外国に行ったことがなくて英語が話せない人を見つけられるでしょうか。それはわずかな数です。ポーランドと同じぐらいです。

ウクライナでは、信じられないほど、あり得ないほどオープンに、あらゆる問題が解決されており、あらゆる問題がテレビや公の場で議論されています。そしてそれが、ロシアで起きていることとの決定的な違いなのです。

私は、肯定的と言いましたが、それはまた、「失敗国家(failed state)」という言説と対抗しなければいけないということも意味します。たとえ経験不足でも、大きなマンデートを持ち、非常に能力のあるウクライナ政府があるということを、あなたたちは第一に示さなければなりません。私は、キーウにて彼らを見ましたが、その若い人々から、非常にすてきな印象を抱きました。私は、彼らが失敗しないことを期待しています。

私は、私たちにできることというのは、(対露)制裁が維持されるように努力することだと確信しています。しかし、それは非常に困難となるでしょう。

私たちは、マイダンの結果がモスクワでも反響を生み出すことを期待することもできます。

私たちは、アイデアを広める必要もあります。それはとてもとても大切なことです。ウクライナの何人かの作家は、ドイツで非常に人気があります。彼ら、知識人は、ウクライナで起きていることを、私たちに認識させなければなりません。

また、ドイツ人にとって重要なことは、ウクライナに行ってみることです。私にできることは、次のように人々に伝えることです。「皆さん、ビザも要らないし、WizzairやEasyjet、Ryanairなどの新しい飛行機も飛んでいる。あなたたちは、飛行機に乗って、そちらへ向かえば、ウクライナがどんな国か見ることができるし、そこの言語を聞くことができるし、文化を感じることができるのです。公式報告書やら報道機関の文書も要らないのです」と。

ドイツ人の精神の中にウクライナを維持すること

ここドイツでは、「ウクライナ疲れ」のような言葉をしばしば聞きます。事実、ウクライナは、報道機関のトップニュースからはもう落ちてしまっています。ウクライナのテーマはまだ「現在進行形」だ、「アクチュアル」だということを証明するには、何をすべきでしょうか。

ウクライナは、マイダンとともに、ドイツ人の精神の中に現れ、大きな関心をひきました。

しかし、現在、ウクライナの様相は、シリア問題(ところで、それもプーチンの戦争です)に覆われ、その他のブレグジット、移民、エネルギー問題、地球温暖化、フォルクスワーゲン排ガス不正スキャンダルといった大きな危機により脇に追いやられているという危険があります。

ベルリンの街の通りでは、地球温暖化反対のデモはありますが、ドンバス戦争終了を求めるデモはないのです。

ここでは、今、皆がアメリカの状況を見ています。アメリカでこそ、「ウクライナ危機」と呼ばれる出来事が進展しているのです…。

そして、私が恐れているのは、現在の危機が増長し続けて、プーチンが利用できるような同盟が形成されることです。その同盟は、極右から極左までの同盟です。ドイツの「AfD」は、プーチンの権威主義体制を肯定的にとらえていますし、極左勢力はロシア議会と緊密な繋がりを有しています。しかし、そのような立場を持つ者、流派は、どんな政党にもいますし、特に、(ドイツ与党に加わる)社会民主党の内部もいます。そして、その(社民党の)軸が、私が中心的人物と呼んでいる、ゲアハルト・シュレーダー(元首相)です。他にも、例えば、バイエルン州には、自らの農業を(ロシアと)進めたいと思っている人たちがいます。他にも色々いるのです。

人々の間に「他にもっと重要なことがあるのだ」と述べるような雰囲気はあります。また、「ウクライナ疲れ」のようなものもあります。

しかし、それより面白いことは、私たちに何ができるかではないでしょうか。

私の考えでは、物書きや知識人の真に最重要の課題というのは、その「ウクライナ疲れ」に対抗する何かをすることだと思っています。人々に対して、「戦争はまだ続いているのだ。そこでは、毎日誰かが亡くなっていて、産業地域ではスターリン時代が戻ってきているのだ。ウクライナは戦争が続く中で、改革の実施に困難を抱えているのだ」と述べることなのだと思います。

つまり、その「ウクライナ疲れ」とは闘わざるを得ないものなのです。

私たちは、ドイツ国民の精神の中にウクライナの場所を維持するために、粘り強く闘わねばならないのです。

オリハ・タナシーチューク(写真含む)、ベルリン

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