解放のクリミア出身センツォフ氏、拘束時に露国籍の取得を迫られたと説明

7日に解放されたクリミア出身の映画監督オレフ・センツォフ氏と活動家のオレクサンドル・コリチェンコ氏は、ロシアに拘束されていた際に、様々な手段でロシア国籍を取得することを迫られたと説明した。

10日、センツォフ映画監督とコリチェンコ氏が解放後初の記者会見時に発言した。ウクルインフォルムの記者が伝えた。

センツォフ氏は、「私は、何回か(ロシア国籍)取得を迫られた。オレクサンドル(コリチェンコ)もそう言っていた。彼らは、私たちが国籍を取得するよう努力していた。申請書やら何やら…。しかし、私たちはそれを全て払いのけた。そのため、私たちにはロシアの身分証明書は何もない」と発言した。

同氏はまた、クリミアの違法併合の後、ロシア政権は、2か月以内にロシア国籍取得拒否のための表明文書を書かなければならないとし、書かなければ自動的に国籍が付与されると発表していたことを喚起した。

その上で、センツォフ氏は、そのようなプロセスには加わらなかったと伝えた。同氏は、「私は、占領もその書類も認めないし、私は何も書こうとしなかった。それらの統合やら占領やらの行動は全て違法なのであり、つまり彼らが発行する文書も違法で、(露国籍取得の)拒否の表明も違法なのだ。ばかばかしいことであり、私はそのプロセスに加わりたくなかったのだ。それにより、私は人質になり、拘束され、その状況が利用された。彼らは、私がロシア国民であると証明しようとし、それにより、私は(ロシア国民だから)交換対象ではないとし、(ウクライナの)領事のアクセスも認めず、様々な文書も渡されなかった」と発言した。

これまでの報道にあるように、9月7日、ウクライナとロシアの間で、35名対35名のフォーマットで、被拘束者交換が行われた。ウクライナには、ロシアで違法に断罪されていた政治囚11名と、昨年11月にケルチ海峡沖で拘束されたウクライナ海軍軍人24名が帰還した。

クリミア出身のウクライナ人映画監督であるオレフ・センツォフ氏は、2015年8月、ロシアで、被占領下クリミアにてテロを計画したというでっち上げの断罪により、厳格収容所への20年間の拘禁刑が言い渡されていた人物。9月7日の交換の際に、センツォフ氏も解放されている。