ヤロスラウ・フリツァーク 歴史家
パンデミックは、終末の予行演習であり、人類への警鐘。
05.05.2020 16:28

新型コロナウイルス感染の拡散により起きている強制的な孤独は、オンライン学習や対話、セミナーにとっては、真の開花なのかもしれない。今、ソーシャルメディアは、あなたに様々な出会いを提供している。

著名な歴史家ヤロスラウ・フリツァーク氏が出版社Yakabooの主催でオンライン講義を開催した。彼は、ウクルインフォルムがよくインタビューする人物であり、彼の今回の講義はファンにとっての素晴らしいプレゼントとなった。彼との対話は、単に知的な喜びをもたらすだけでなく、皆を心から奮い立たせるプロジェクトでもある。彼は、6月までに書き終えようとしている新版ウクライナ史以外にも、「リヴィウ史」「ドネツィク史」「バンデラの人生」といった本の執筆計画を抱えている。また、冬には彼が共著で参加する「クリスマスに関する40の物語」も出版される。

今回は、ウクライナ・カトリック大学のフリツァーク教授の話の中で、最も興味深いものを紹介する。まずは、新型コロナウイルスの世界的拡散、パンデミックからだ。


パンデミックと防疫措置は世界をどのように変えるか?

私は、歴史家であって、預言者ではありません。パンデミックは、黙示録の終末ではないのです。しかし、今後起きるかもしれない終末の予行演習ではあるでしょう。研究者の予想では、2030年には、資源、とりわけ水の枯渇により危機的な状況が生じるといいます。その時には、もしかしたら資源をめぐる真の争いが生じるかもしれません。現在の経済状況を見ていると、私たちが豊かさのピークを越えようとしているのではないかと思えます。世界はこれ以降、1、2年前のような豊かな状態には二度とならない。もし消費が今の水準で維持されれば、私たちの文明は下落していくでしょう。そして、それは脅威です。私たちは、発展と安定を維持しなくてはなりません。

パンデミックは、警鐘であり、警告をもたらしています。生物学者たちは、大地と世界が汚染されればされるほど、それらはウイルスに対して脆弱になり、ウイルスの進化速度が早まる、と長らく述べていました。今回のウイルスの進化が致命的でないのは良かったです。このように考えて、脅威を認識していく場合、私たちがすべきことは「鈍化」となります。すなわち、もしかしたら私たちに2年に1回iPhone を買い換える必要はないのではないか?自動車ではなくて自転車に乗った方が良いのではないか?消費速度を下げるべきなのではないか?なぜなら、人類は次世代のために何も残らないほどに、全てを食い尽くしてしまいそうになっているからです。

しかし、その点で、私は希望も抱いています。

恐怖という負の感情は、肯定的なものです。恐怖は人を突き動かし、考えさせ、解決を模索させます。私は、パンデミックがエリートたちも突き動かすことになればと強く期待しています。私は、パンデミックがトランプ(米大統領政権)の終わりをもたらす可能性も排除しません。なぜなら、彼の温暖化否定の政策は、思いつきのようなもので、パンデミック否定と同様に、維持し得ないものかもしれないからです。それはすぐ起こるものではないでしょうけど。他方で、私たちに残された時間も多くはありません。むしろ、温暖化については、考え始めるのが遅すぎるぐらいです。

パンデミックは、塹壕戦です、別の見方をすれば。塹壕戦では、より長く耐えた者、リソースを持って耐える者が生き残ります。そして、リソースは、改革を行えば、得られます。もしかしたら、パンデミックは改革の後押しになるかもしれません。

私たちは、普通の国家を作るために、戦略的にあらゆる正しい行動を取っている。

あなた方は、私がウクライナに関して楽観的なのは、直感的なものか、それとも何かしらの根拠があるのかと尋ねましたね。歴史家は誰しも、自分自身について本を書き、自らの視点を外に出します。しかし、私の楽観主義は、「いいね」が欲しくて述べているのではありません。私は、多くの本を読んでおり、一定の論理を見出しており、そこから、私たちが普通の国作りのためのあらゆる正しいステップを踏んでいる、との考えを抱いているのです。私は、ウクライナは大なり小なり正しい道を進んでいる、とほぼ確信しています。

もし世界が悪い方向に変化することなく、大災害も起きなければ、私たちは自己を実現できるでしょう。思うに、残っているのは5%だけです。ルーティーン作業が5%残っていますが、それこそ最も困難なものです。私にとって間違いなく最も難しいものは、独立した裁判所を作ることです。

ウクライナは肉食の蝶々(ちょうちょ)

時々私が過去にルーシ(編集注:キーウ・ルーシ、キーウ大公国)を毛虫に例えて、そこからいくつかの蝶々(ちょうちょ)が出てきた、と述べたことが指摘されます。ルーシは、ゆりかごではなく、構造であり、毛虫と蝶々というのは、非常に概念的で、簡素化した比較です。「ウクライナ蝶々」は肉食であり、高く舞い上がります。私にとって、この蝶々は魅力的で、他の蝶々よりポテンシャルが大きく、自由に舞い、自らより上に他者を抱きません。

ロシアの蝶々は、残念ながらそうではありません。なぜなら、この蝶は私たちの隣人だからです。私たちの言語・宗教的伝統は近似していますが、しかし私たちの間には異なる政治的伝統があります。私たちの間ではプーチンは存在し得ないし、ロシアではマイダンは不可能なのです。ウクライナでは複数のマイダンが起きましたが、それらはまだ終わっていません。なぜなら、一定の行動規範があるからです。(中略)ロシアにも革命はありました。二月革命や1991年8月の革命ですが、しかし、ロシアでは革命後に退行が起こっています。ウクライナでは退行は起きていません。なぜなら、私たちは西側空間の一部ですから。

人々が私に、ウクライナが繁栄するには何が必要かと尋ねたことがあります。(中略)必要なのは、プラットフォームと機構であり、指導者もいなければなりません。ブリュホヴェツィキー氏がいなければ、キーウ・モヒラ大学はなかったでしょうし、フジャク氏がいなければ、ウクライナ・カトリック大学はなかったでしょう。チョルノヴィル氏なしに民主的エリートの存在を想像することは難しいのです(編集注:ソ連末期からウクライナ独立当初に活躍した民主派政治家)。

しかし、良き指導者は、チームを持っていなければならず、指導者がいなくても機能するような機構を作るものです。機構の能力を測る主な基準は、指導者がいなくても、その機構やチームが機能するかどうかです。

良き指導者は、少し怠け者で、機構を長期的な安定性を持って築くものです。意思とカリスマがあれば、他は自ずと付いてくるものです。

ウクライナにも強い指導者というのはいるのでしょうか?現時点では、私は目にしていません。しかし、指導者というのは現れるものです。チョルノヴォル氏が亡くなった時のフラストレーションと不信がどれほどのものだったか、私は覚えています。その後、ユシチェンコが現れ、失望され、その後ポロシェンコが現れ…。ウクライナの大地は、指導者輩出の面でも豊かなのです。大切なことは、社会のムードがそれに適したものとなっているか、指導者を欲しているか、なのです。

ロシア語はウクライナ語を追いやるか?

私は全くそうは思いません。私に世論調査でも見せてごらんなさい。社会調査は、「国家語はウクライナ語」というのが、近年の全体的なコンセンサスとなったことを示しています。ロシア語は、国際言語のサークルを抜け出ており、使用者数は減少しています。また、ある人がロシア語を話すということが、その人がロシア語を母語だと感じているとは必ずしも限りません。様々な状態、側面、局面があるのです。(中略)今、私はウクライナ語で話していますが、外に出て警察とはロシア語で話します。あるいは、ドネツィクにいる時には自宅ではロシア語で話をするけれど、キーウに来たらウクライナ語で話す、ということがあり得るのです。

誰がどこでどのように、言語を使用しているのかが問題です。以前は、ウクライナ語は学会と掃除婦の言語だと言われていました。現在、ウクライナ語は、以前使われていなかった分野でも主要言語として使われています。私の分野で言うと、歴史家は皆ウクライナ語話者です。

東部と南部で人々がウクライナ語を話すようになるか?それは3世代にまたがる問題です。これまで生じ、現在も生じている同化プロセスというのは、3世代かかるものです。なぜそれら地域でロシア語が支配的なのでしょうか?当時のソ連住民は、ロシア語を使うことで、偉大な世界へと参加することができたからです。今は、英語によって世界に加わるというのが原則です。そして、ロシア語は自動的に自らの支配的立場を失い始めています。今の課題は、3世代にわたり、人々が英語を使えるようになり、英語を使うことが当たり前となることです。

「DPR/LPR」にいるウクライナからの分離を望む人々は、ウクライナ・ネイションの一部か?

分離したがっている人々は、ウクライナ・ネイションの一部ではありません。ただし、その地域には二つのグループがあります。ウクライナ活動家グループと、ロシア志向活動家グループなのですが、そのどちらも全体の過半数は占めていませんでした。社会で大きな層を形成していなのは、しっかりとした視点は何も抱いていなかった人々です。ただ、その地域からは、2014年以降ウクライナ語を話す核となる人々が出て行ってしまいました。

スロバキアのジャーナリストで、ドネツィク市に暮らしていたトマシュ・フォロ氏は、分離主義者の支持者だった人物なのですが、逃亡して、本を出版、その本は「今年の一冊」に選ばれています。彼は、ドネツィク市にて非常によくウクライナ語が聞こえてきたことに驚いたそうです。彼がドネツィク市で知り合った女友達は、知り合ってから1年後になって、自身がウクライナ人であると告白したのだそうです。

ですから、そこにいる人たち皆を分離主義者だと決めつけないでください。そこにいる人100%が分離主義者などということは、絶対にないのです。

私は、ドンバス地方を取り返せると信じています。なぜなら、プーチンの存在が永遠だとは信じていないからです。そして、ロシア連邦のような構造においては、リーダーの変更は危機を意味します。ニコライ2世、レーニンの死、スターリンの死。ロシアが弱体化した時に、ドンバスは戻ります。私たちは、それを疑問に思ってはならないですし、ドンバスが戻ってくるウクライナをどのようなものにするのか、ということを考えなければなりません。戻ってくることは不可避であり、それは国際法違反の結果として生じます。

トマシュ・フォロ氏は、ドンバス住民は自らを戦争で苦しめており、普通の生活を求めていると書きました。彼らは、ポロシェンコ氏がトップの時には戻って来なかったかもしれませんが、ゼレンシキー氏がトップなら戻ってくるのかもしれません。

チョコレートアイスと本の香り

最後に、少し祈願したいことがあります。

ウクライナ人は、サバイバルの数の記録所持者です。私たちを絶滅させることはできません。私たちの社会は、私たちの国家より優れています。しかし、そこには弱さもあります。社会はしばしば、どのような国に暮らすかに対して無関心になるのです。ですから、私は今日、皆さんに、心の強さと健康を祈願しようと思います。皆さんが何も失うことのないように。あらゆるものは過ぎ去りますが、私たちはここにあり続けるのです。元気が出るように、あなたに本の香りとチョコレートアイスがありますように。そして、立ち止まり、私たちがしていることを考えるチャンスがありますように。

Yakabooks主催本のトークショーより

写真:DR、ucu.edu.ua

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