解放されたスシチェンコ記者、ロシアにて2回「協力」の提案を受けたと説明

7日にロシアから解放されたウクルインフォルムの記者ロマン・スシチェンコ氏は、同国での拘束時に2回「協力」を提案されたと発言した。

11日、スシチェンコ記者がウクルインフォルムにて解放後初の記者会見を行った際、記者からのロシア連邦保安庁(FSB)から何かしらの協力や圧力はなかったかとの質問に答えて発言した。

スシチェンコ記者は、「そのような試みは、拘束された日の夜にあった。午後8時以降だ。その人物は、FSB捜査局第一課副課長、中佐で、スヴィノウクという名字の者だった。彼は、部屋に入ってきて、捜査との協力を提案した。それは、私がロシア側が用意した弁護士と知り合った後のことだった。そのっ弁護士は、彼らが疑っている罪の容疑だと、私は最大20年間の懲役刑になると述べていた」と発言した。

スシチェンコ氏は、後になってから状況を分析してみると、本件はよく準備された心理的圧力であり、拘束直後で非常にストレスを感じたタイミングを狙って行われた提案だったのだという結論に至ったと発言した。

スシチェンコ氏は、「(協力を提案された際)私は同意せず、『聞きおいた』とだけ答えた。それだけだ。それ以降、ロシア連邦の特殊機関側からの試みはなかった。唯一、ロシア連邦懲罰システム実施者、具体的には、私が移送される前にいたマトロスカヤ・チシナ拘置所にて協力の提案があった」と説明した。

スシチェンコ氏は、その際の様子について、「中尉数名」にペンと紙を渡され、「協力に同意すると書け」と言われたとし、その際「私は、私は記者だ、記事は私の仕事だが、この手の書類は私のすることではない、と述べた。つまり、(協力の提案が)あったのはこの2件だけだ」と発言した。

本年9月7日、ウクライナとロシア連邦の間で35名対35名の被拘束者交換が行われ、その際、スシチェンコ氏は、オレフ・センツォフ映画監督、オレクサンドル・コリチェンコ活動家、パウロ・フリーブ氏、ヴォロディーミル・バールフ氏、ウクライナ海軍軍人24名らとともに解放され、ウクライナへ帰還している。

スシチェンコ氏は、2016年9月30日、同氏がパリから私的な用事でモスクワを訪れた際、国際的規範に反する形で拘束された。2016年10月7日、ロシアの裁判所により、スシチェンコ氏はスパイ容疑で逮捕された。

2018年6月4日、モスクワ市裁判所は、スシチェンコ氏に対して厳格収容所での懲役12年の有罪判決を言い渡した。同年9月12日、ロシア連邦最高裁判所は、同判決を合法だと認定した。