ウクルインフォルム 設立から103年

1918年3月16日、ウクライナ国営通信社「ウクルインフォルム」が創設された。

1917〜1921年のウクライナ革命期、カテリノスラウ市(現ドニプロ市)にて1918年、ウクルインフォルムの前進となる「ウクライナ電報局(UkTA)」が設置された。

ウクライナ・ソヴィエト中央執行委員会は、特別電報にて、「ウクライナ電報局が活動を開始した。本局は現在一時的にカテリノスラウ市にあり、旧知事庁舎の建物の2−aに位置する」と伝えた。

その後、キーウ(キエフ)にてヘトマン・スコロパツィキー率いるウクライナ国が創設されると、ウクライナ電報局(UTA)が活動を開始する。1918年5月から11月にかけて、同局を率いたのは、ドミトロ・ドンツォウであった。当時は報道局も運営していた。

それ以降、わたしたちの通信社は、歴史の中で何度も名前を変えてきた。ボリシェビキのために働かなければならないときもあったし、ヘトマン国家やウクライナ人民共和国のために仕事をしたこともある。国とともに、私たちは、20世紀の様々な出来事を見てきた。弾圧、ホロドモール、第二次世界大戦、ブレジネフスキーの停滞、ソ連の崩壊。そして、ウクライナの独立、困難な国家形成…。

多くの職員がスターリンの弾圧を受けている。当時の「ウクライナ・ラジオ電報社」の幹部であったヴォロディーミル・ナルブト、イヴァン・ラキザはじめ、多くの職員が、自らの原則的立場、思想によって、グラークに送られ、死亡している。

「ウクライナ・ラジオ電報社」の名前は約70年続いた。ウクライナが独立すると、現在の「ウクルインフォルム」へと改名されている。

現在ウクルインフォルムは、ウクライナの主要通信社であり、多くの外国の報道機関と協力している。また、ウクルインフォルムは、欧州報道社・通信社連合のメンバーである。