18世紀のコサック国家の憲法原本、スウェーデンからウクライナへ一時貸し出しへ

スウェーデンは、ウクライナの独立30周年記念に合わせ、1710年のウクライナ・コサック時代に執筆されたピリープ・オルリクの憲法の原本を貸し出す。

21日、ドミトロー・クレーバ外相がフェイスブック・アカウントにて伝えた

クレーバ外相は、「311年ぶりにピリープ・オルリクの憲法の原本がウクライナ国家にやってくる。私たちは、ウクライナにウクライナを取り戻すのだ。憲法の原本が独立ウクライナにあるということ、それは、ルーシ時代から、コサック国家時代、ウクライナ人民共和国時代、そして今までの私たちの歴史の連綿を回復させるさらなる一歩である」と書き込んだ。

外相は、ゼレンシキー大統領の支持を受けて、スウェーデンに対して、1710年にコサック政権のヘトマン(首領)ピリープ・オルリクが執筆した憲法のラテン語原本を、ウクライナ独立30周年記念の祝賀の際に一時的に貸与することを要請したと伝えた。

そして外相は、「極めて難しい協議であった。写しの提供を提案されたが、私たちは、ウクライナに一度も来たことのない原本のみを望んでいた。そのため、私はスウェーデンに対して、ウクライナとの真の連帯を示してくれたこと、両国の民の間の1000年来の繋がりをさらに発展させる準備が示したことにつき、個人的に感謝している」と発言した。

なお、ウクライナは、2021年8月に独立30周年を祝う式典を3日間にわたり開催する。

「ピリープ・オルリクの憲法」とは、1710 年、コサック亡命政権でヘトマンとなったピリープ・オルリクが、大北方戦争にてスウェーデンがモスクワに勝利することを前提に、将来のヘトマンとコサック軍の間での将来のコサック国家のあり方を定めるべく執筆した文書のこと。この文書は、ヘトマンや議会「総ラーダ」の権限の分立が記されていることから、実質的な憲法と呼ばれている。しかし、大北方戦争では、スウェーデンが敗北したことから、同憲法が実際にコサック国家の統治に用いられたことはなかった。