解放のカルピューク氏、拘束時の拷問の様子を供述

7日にロシアから解放されたミコラ・カルピューク氏は、ロシア連邦ウラジカフカス独居房での拘束時にウクライナ人政治囚に対して行われた拷問について供述した。

9日、カルピューク氏がクリミア・タタール系ATR局出演時に発言した。

カルピューク氏は、「暗くなると、廊下に出され、手は後ろで手錠をかけられ、頭にセロファンの袋をかぶせられ、テープで止められ、下も何も見えないように綿が詰められた。それで連れ出された。10~15分歩くと、どこかに入り、4階まで上がり、右足の指、右手の指あるいは体の別の箇所に銅線が結び付けられ、電流が流され始めるのだ。一定時間行われた。不快であった。これは、私に対して行われたことだ。その後、聴取の部屋、縦横1メートルの鉄格子の部屋、椅子が置かれているだけの場所に連れて行かれた。そこで夜中中や24時間、睡眠を与えられないのだ。目を閉じようとする度、彼らは2時間ごとに交代し、すぐに『寝るな寝るな!』と叫び、寝させないのだ」と説明した。

カルピューク氏はまた、同じく解放されたスタニスラウ・クリーフ氏の拷問の様子についても述べた。

同氏は、「私はまだましだったのだ。私に対する接し方は少し違った。スタニスラウ・クリーフに対しては、彼はかごに入れられたり、牢獄に入れられたり、ブレスレットでベッドに拘束されたり、ひざまづかされたり、夜中寝させられなかったり、『ひざまづけ』、『立つな』、『動くな』と叫ばれたりしていた」と説明した。

カルピューク氏はまた、四夜連続で拷問があった際に意識を失ったとし、「四夜拷問があった時、5番目の夜は拷問がなかった。しかし、その夜、私は寝させられなかったので、そこで意識を失い、せん妄状態に陥った。…その後、牢獄で目を覚ました。6日目は、私は牢獄に移動させられていたのだ」と発言した。

同氏は、ロシア連邦の収容所では拷問以外に心理的な圧力が行使されていたとも発言した。

なお、ミコラ・カルピューク氏とスタニスラウ・クリーフ氏は、ロシア側が1994〜95年にチェチェン戦争時にチェチェン側で戦闘に参加したと主張し、20年と22年半の厳格収容所での懲役刑を受けていた人物。ロシア側は、両名があたかもグロズヌイでチェチェン側で参戦し、ロシア兵を数十名殺害あるいは負傷させていたと主張していた。

9月7日、ウクライナとロシアの間で、35名対35名のフォーマットで、被拘束者交換が行われた際に、カルピューク氏とクリーフ氏も解放されている。