独立広場で人々が露の拘束するバールフ氏とスシチェンコ氏の誕生日を祝福
ウクルインフォルムの記者が伝えた。
クリミア・タタール民族代表機関「メジュリス」副代表のアフテム・チーホズ氏は、「数年にわたりバールフ氏たちは、拘禁され続けている。自分が始めてバールフ氏と知り合ったとき、彼は占領政権と最後まで闘うと述べていた。以降、彼は、自らの立場と闘いを牢屋で示し続けている」と発言した。
スシチェンコ記者の娘であるユリヤ・スシチェンコ氏は、自らの父親の拘束理由はねつ造されていると強調した。ユリヤさんは、「私は、今日の日を父と一緒にいたかったが、残念ながらそれはかなわなかった」と延べた。
これまで報じられたように、ウクルインフォルム通信のフランスの特派員であるロマン・スシチェンコ記者は、2016年9月30日、私的目的でモスクワを滞在していた際に国際ルールに違反する形でロシアの治安機関に拘束された。同年10月7日、スシチェンコ記者にスパイの罪が言い渡された。2018年6月4日、モスクワ市裁判所は、スシチェンコ記者に12年の厳格収容所への拘禁が言い渡された。
バールフ氏は、クリミアにおいて、2年以上勾留されている。キーウ(キエフ)でマイダンの出来事があった時、彼はクリミアのスリブリャンカ村の自分の家にウクライナの国旗を掲げていた。クリミアが占領された後もバールフ氏はその国旗を降ろさなかったが、そのことでロシアが彼を迫害し始めた。2015年4月3日、バールフ氏の自宅に違法な家宅捜索が入り、その際、彼の家からウクライナ国旗が外されることとなった。
ロシア連邦保安庁(FSB)は、2016年12月8日にバールフ氏を拘束した。FSB職員は、バールフ氏自宅から、90の弾丸といくらかの火薬を見つけたと述べていた。クリミアの「裁判所」は、バールフ氏を二つの刑事捜査の判決として最大5年の勾留と1万ルーブルの罰金を命じた。バールフ氏は、彼に対する刑事捜査は政治的動機によるものだと発言した。