オデーサ州のフラミンゴ 最初の1羽「ロビンソン」から1500羽の生息地へ

オデーサ州のフラミンゴ 最初の1羽「ロビンソン」から1500羽の生息地へ

写真ルポ
ウクルインフォルム
ウクライナ南部オデーサ州のトゥズリ潟湖国立公園で、ウクライナでは初めてベニイロフラミンゴがヒナを孵し、その一部に足環が取り付けられた。

執筆:ハンナ・ボドロヴァ(オデーサ)

写真:ニーナ・リャショノク

ベニイロフラミンゴは、ウクライナでは珍しい渡り鳥だ。彼らが巣作りをした唯一の場所は、南部オデーサ州のトゥズリ潟湖国立自然公園で、ドナウ川とドニステル(ニストル)川の間のベッサラビア地方沿岸部である。ここは、長い砂州によって海と隔てられた、13の浅い塩湖からなる。2010年にこの公園で最初の1羽が確認されて以来、フラミンゴの数は徐々に増えていき、2023年には、このピンクの美しい鳥たちが「戦争の音」が鳴り響く中で、ウクライナで初めて200羽のヒナをかえすことに成功した。公園の職員たちは、ヒナに足環を付けるという一大「作戦」を実施し、その最初のヒナは象徴的に「ペレモーハ(勝利)」と名付けられた。

なぜ「炎の鳥」(ポルトガル語でフラミンゴはそう訳される)は、この場所を営巣地に選んだのか。戦争は、この優雅な緋色の翼を持つ鳥たちにどのような影響を与えているのか。ウクルインフォルムのルポでお伝えする。

鳥のいる場所までの道

フラミンゴを見るために、私たちは夜明けにオデーサを出発した。道は約2時間かかり、そこからさらに1時間、村の悪路や野の土道を走った。穴が非常に大きく、車がひっくり返るのではと思えた。国立公園に隣接する村を出ると、塩の砂漠が見えた。これはハジデル湖の干上がった部分だ。公園の職員オレーナの説明によると、猛暑、降雨不足、そして人為的要因である、湖を潤す川の上流での不法な水域の占拠により、ハジデル湖は部分的に干上がり、すでに約500メートルも「後退」しているという。これは、以前この地域で越冬していたガンにとって、餌が不足するという悪影響を及ぼしている。

干上がった湖の向こうには、太陽に焼かれたヒマワリ畑が広がっている。今年の収穫はほぼ全てがダメになったように見える。さらにその先には、野生のナシの木立と防風林がある。アカシア、カエデ、さらにはカシの木も生えているが、暑さのためほとんどの葉がすでに黄色く変色しており、まるでタイムマシンで暑い8月から晩秋に「移転した」ような印象を覚える。自然要因の他に、森林は地元の住民にも苦しめられている。彼らは保護区域であることを無視して、薪のために木を伐採しているのだ。

自分の目で見るピンクの奇跡

木立を過ぎて、湖上の急な斜面をさらに進む。そこには密猟者の仕掛けた網が時折見えた。これも地元の住民の仕業だ。さらに進むとアリベイ湖へ下る。車でそこへ行くことはできず、車を置いて歩いて向かった。丘を越えると、信じられないような光景が広がっていた。岸から約50メートル離れたところで、ベニイロフラミンゴの巨大な群れが休んでいたのだ。長い脚の鳥たちは浅瀬に優雅に立ち、羽を洗ったり、水中の何かをついばんだりしている。動物園の柵越しではなく、自然の中で彼らを目にするのは、本当の幸せだ。私たちはナショナルジオグラフィックの動画の主人公になった気分だった。鳥たちを怖がらせないように、まずは丘の上から最初の写真を撮った。そして、静かに下りていく。砂浜を進み、それから少し前まで湖底だった塩分を含んだ乾いた粘土の上を歩いた。しかし、水に近づくほど、鳥たちが神経質になっているのが分かった。足が泥に沈むため、水深が足首ほどになったところで立ち止まった。フラミンゴたちはゆっくりと湖の深い方へと離れていく。すると突然、近くで何かが大きな音を立てて落ち、群れは全て空に舞い上がり、500メートルほど飛んで行ってしまった。

最初の1羽「ロビンソン」から群れへ

トゥズリ潟湖国立公園の職員で生態学者のイヴァン・ルシェウ氏は、彼は2010年に同国立公園で最初のフラミンゴを見かけたと述べる。

ルシェウ氏は、「冬にブダキ湖で、白鳥と一緒にいるのを見かけたのだ。たとえ1羽でも飛んできたということは、その道が鳥の記憶に刻まれるという兆候だった。鳥には独自の渡りのルートがあるが、時にはルートが乱れ、個体が別の方向へ飛んでいくことがある。こうしてそのフラミンゴはここにたどり着いたのだ」と説明した。

次の1羽は、2017年に飛来し、そのまま6年間この湖に住み続けたという。

ルシェウ氏は、「私たちは彼をロビンソンと名付けた。彼は湖を旅しており、それが私たちはここにまもなく群れが現れるだろうという確信を決定的なものにした。私はずっと彼らを待ち、そしてついに彼らは飛来してきて、営巣したのだ」と述べる。

2021年、約70羽の群れがトゥズリ潟湖に飛来した。ルシェウ氏はそれを生態学的要因と結び付けている。その年、大きなベニイロフラミンゴの繁殖集団が暮らしていたトルコのトゥズ塩湖が干上がったのだ。

ルシェウ氏は、「2021年に彼らがここに来た理由はいくつかある。第一に、気候変動のために鳥たちが新しい場所を探していること。第二に、トルコのトゥズ塩湖に住んでいた1万羽以上のフラミンゴのが、湖の干上がりのために新しい住処を探さなければならなくなったこと。湖が干上がり、多くのヒナが死んだため、フラミンゴは他の場所を探し始めたのだ」と説明する。

戦争の中での最初の繁殖

ルシェウ氏は2022年にはフラミンゴが同国立公園でヒナを孵すだろうと期待していた。しかし、戦争が始まると、彼らは絶えず爆発音が響く不都合な場所を営巣地に選んでしまった。結局、鳥たちは卵を産まず、12月には飛び去ってしまった。しかし、2023年には画期的な出来事が起こった。ベニイロフラミンゴが200羽のヒナを孵したのだ。彼らは通常4月に卵を産み始め、そのプロセスは7月初旬まで続くこともある。

その出来事につき、ルシェウ氏は、「2023年には1500羽のフラミンゴが飛来した。最初はアリベイ湖の島に止まり、そこで巣を築き始めたが、近くで軍事訓練が行われており、それが彼らを怖がらせた。その後、彼らはバザルヤンカ村の近くに移動し、人から近いところであるにもかかわらず、そこで270個の巣を作った。しかし、危険を感じたのか、卵は産まなかった。その後、彼らは姿を消し、数日間見かけなくなった。しばらくして、私たちは軍隊がもういなくなった島で彼らを再び発見した。鳥たちはそこに留まり、ウクライナで初めて200羽のヒナを孵したのだ」と語った。

「足環装着」作戦と「ペレモーハ(勝利)」

ヒナへの足環装着は、真の祝い事になった。国立公園の全職員だけでなく、地元住民もその活動に参加した。

ルシェウ氏は、「それは一大出来事だった! 公園の全職員、子供たちを連れた地元住民、そして多くの友人が集まった。テレビ番組『世界を内側から』の司会者ドミトロー・コマロウも足環装着を手伝ってくれた。本当にお祝いだったよ。終わった後、釜でプロフを炊き、地元の紅茶を飲みながらお祝いした」と楽しそうに回顧した。

同氏によると、ヒナを捕獲する技術は非常に特殊なものだったという。巣のある場所を事前に特別な網で囲うもので、その方法はスペインの同僚から聞いたのだという。それから、まだ飛べないヒナたちを四方から「罠」に追い込み、手続きを実行するという計画だったという。しかし、密猟者たちがそれを邪魔した。

ルシェウ氏は、「『作戦』開始の数日前、密猟者が現れてカモ猟を始めたのだ。銃声がフラミンゴを恐れさせ、鳥たちはヒナを連れて3キロも遠ざかってしまった。フラミンゴは泳ぎが非常に上手い。私たちが足環を付けに来た時には、すでに遠くにいっていた。どうすれば良いか? 囲いを移動させるのは非常に大変で費用もかかるため、計画通りに追い込むことにした。私たちはカヤックを漕いで鳥たちのところまで向かった。それには多くの時間がかかり、1隻のカヤックは転覆してしまった。ヒナを網に追い込むために、四方から近づいた。最初彼らは『同意して』、私たちの望む方向に泳いでくれたが、その後怖がって方向を変えてしまった」と当時の様子を語る。

結局、200羽のうち足環を付けられたのは18羽だけだった。ウクライナの印が付いた足環はポーランドで注文したという。鳥たちにはそれぞれの番号が与えられた。

同氏は、「終わってみると、信じられないほど幸せだった。人生で初めてフラミンゴのヒナを手にしたのだ。これは極めて大切な出来事だ。なぜなら、フラミンゴがウクライナで初めて営巣したのだから。しかも、戦争中に! 最初に足環を付けられた鳥は『ペレモーハ(勝利)』と名付けられた。その名前は私たちの気分を反映している。今どこにいるかはまだ分からないが、国立公園に戻ってきてくれることを願っている」と言う。

わずか数か月後には、その足環を付けられたフラミンゴたちはブルガリアで、その後トルコやイタリアで見つかった。

ルシェウ氏は、「自分の鳥たちがどこにいるかを知ることは、そこで彼らを観察している人々とのコミュニケーションを持つためにとても大切だ。今では、フランス人、スペイン人、イタリア人との繋がりができている。ちなみに、2023年には、22年前にスペインで確認された鳥を私たちが発見した。そして、その鳥は私たちの場所でヒナを孵したのだ」と語る。

足環によるデータによると、多くの鳥が20〜30年以上生きており、中には50歳まで生きる個体もいるのだという。

繁殖の試みの失敗

研究者たちは、2023年の国立公園での成功体験を考慮した上で、2024年にもフラミンゴが繁殖することを期待していた。

ルシェウ氏は、「軍隊がもういないので、もっと多くの巣ができると思っていた。約1700羽の鳥が飛来し、4月に営巣地を探し始めた。場所を見つけて100個ほどの巣を作ったが、当時は湖の水位が高かったのだ。波が巣を覆ってしまった。そのため、彼らはハジデル湖に移動し、400個の巣を作り、卵を産んだ。私たちはヒナを待ち望んでいたが、その頃、私たちの頭上を多くの偵察無人機が飛んでいた。私たちのものも敵のものもだ。その騒音がフラミンゴを怖がらせ、彼らは巣を飛び立ってしまった。その近くで、獰猛な海鳥であるカモメが巣を作っていた。彼らは、全ての巣を荒らし、フラミンゴの卵を食べてしまったのだ」と語る。

無人機が原因でフラミンゴは飛び散り、クヤリニク湖、ドニステル湖、ティリフル湖の各湖でも目撃された。しかし、その後彼らは戻ってきて、10月末までトゥズリ潟湖で暮らした。

ルシェウ氏は、「食べ物があれば、彼らは留まる。彼らのごちそう、アルテミア・サリナ(編集注:ホウネンエビに似た種)がいるのだ。クヤリニク湖が『赤くなる』時にも生息している。それからユスリカの幼虫もいる。フラミンゴはそれが大好きだ。ユスリカとアルテミアにはベータカロテンが含まれており、それがフラミンゴの羽をピンク色に染めるのだ。彼らは冬までこれを食べ、もし水面が凍らなければ、さらに食べ続ける。彼らは足で泥をかき分け、ひしゃくのような形のくちばしで泥を取り込み、余計なものをこし取る」と説明する。

同氏はまた、淡水にはこのような餌はいないと指摘する。塩湖のクヤリニク湖については、周囲に住宅開発が多いため、フラミンゴたちの「好みでない」という。さらに、クヤリニク湖は小さく、一方トゥズリ潟湖は13の湖から構成されている。

そして同氏は、「それは、彼らが望まなければ、全く人間を見ずにいられるだけの空間だ。クヤリニク湖では、たまに餌を食べるくらいしかできない」と説明する。

今年、研究者たちはもう一度、フラミンゴがヒナを孵すことを期待していた。

ルシェウ氏は、「無人機や巣を荒らす獰猛なカモメに対抗することはできない。私たちに他の鳥を追い払う権利はなく、自然のプロセスを維持しなければならない。しかし、人間の要因もある。地元の人々は時に、酒を飲んだり、騒いだりと非文明的な方法で休息する。珍しい鳥を見つけると、ただ『見に行く』ために生息地に近づき、卵を手に持ったりすることがある。今年、私たちは移動式のトレーラーを購入し、職員が24時間体制で交代勤務し、そのような人々から鳥たちを守れるようにした」と語った。

2025年、フラミンゴは干上がったハジデル湖に現れた。鳥たちはそこに2週間留まり、職員たちはそこに観測拠点を築いた。その後、彼らは飛び去ってしまったが、再び不適切な場所を営巣地に選んでしまった。それは、牧夫たちが犬を連れて家畜を放牧する砂州と陸地の近くだった。鳥たちは約30個の卵を産んだが、地元の犬に食べられてしまった。

ルシェウ氏は、「私たちはそこにトレーラーを設置する時間さえなかった。生息地を見つけた時には、鳥たちはすでにその場を離れ始めていた。その後、彼らは軍の近くに移動して巣を作り始めたが、ちょうどその時に海上での大型の演習が始まった。フラミンゴがいた島は、海から4キロ離れていた。ピンクの鳥たちは結局、卵を産まなかった。軍に訓練が必要なことは理解しているが、無人機や爆発音、その他の要因を通じて、戦争がフラミンゴに悪影響を及ぼしていることを私たちは指摘している」と説明した。

それでも、研究者は、このピンクの鳥たちがペリカンと同じようにこの国立公園に永久に定着したのだと確信している。そして、「ペレモーハ(勝利)」の後には必ずヒナをかえすだろうと。また、気候変動のために、フラミンゴは今後一年中ウクライナで暮らす可能性もあるのだ。


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