ロシア発歴史フェイクに対抗 ウクライナ南部の都市の歴史をアニメで
同研究所は、そのイニシアティブの一環で、ロシアによるウクライナ南部の黒海沿岸地域の歴史につき、帝国的言説を解体していくと説明している。
第一段階は、「神話なき南部」という名前の情報・啓蒙キャンペーンで、その一環で、ウクライナ南部の都市オデーサ、ドニプロ、マリウポリの創設当時の歴史をヒップホップで伝えるアニメーションが作られている。
研究所のヴォロディーミル・ティリシチャンコ副所長は、ヒップホップとアニメを使って歴史を伝えるというアイデアは、若い世代にウクライナのステップの歴史についてこれまで知られて来なかった事実を伝える手段だと説明した。
ティリシチャンコ氏は、「軽いスタイルですが、動画は事実と具体的な歴史研究にもとづいています」と述べ、検証に協力した歴史家グループに対して謝意を伝えた。
発表には、「神話なき南部」キャンペーンは、南部の黒海沿岸地域の歴史を、これまで拡散されてきたロシア帝国的言説から引き出すことにあると書かれている。研究所は、この地域の歴史は、クリミア・ハン国、ポーランド・リトアニア共和国の歴史や、ウクライナ・コサックによるステップ空間支配の歴史を包括するものだが、これらはウクライナ社会ではまだあまり知られていないと指摘しており、例として、ロシア帝国が黒海沿岸のステップに到達する以前に、既にこの地ではオスマン帝国との活発な交易が行われていたことを挙げている。
研究所は、同地でエカチェリーナ2世の支配が始まると、オスマン帝国に勝ったロシアこそが黒海沿岸地域に文明を持ち込んだのだという、植民地的言説が積極的に広められたと指摘する。この地には「帝国が新たに獲得した土地」という意味で「ノヴォロシア(新ロシア)」というコンセプトが持ち込まれ、このコンセプトのもとで「ロシア帝国がこの地の町を創設した」という「歴史神話」を作り出されたのだと説明されている。更にはこの神話を徹底するために、ロシア帝国は地域の町の名前を変更したという。
オデーサ(ハジベイ)の歴史
「オデーサ」もまた改名事例に当てはまるとし、この街は当時15世紀にはコチュベイと呼ばれ、その後はハジベイと呼ばれていたが、18世紀になってエカチェリーナ2世の命令によってオデーサ(露語:オデッサ)と改名されたと説明されている。更には現代ロシアは、当時の帝国が作ったこのような「歴史神話」を、現在の対ウクライナ侵略の正当化に利用していることが指摘されている。動画の中では、「オデーサを思い出す時は、ハジベイも思い出そう」と呼びかけられている。
ドニプロの歴史
マリウポリの歴史