ウラディカ・クリメント・ウクライナ正教会シンフェローポリ・クリミア大主教
ウクライナという国家がなければ、教会はない。教会がなければ、国家もなくなる。
26.03.2019 17:13

ウクライナ正教会のウラディカ・クリメント・シンフェローポリ・クリミア大主教は、クリミアでのウクライナ正教会の信者のケアをしている人物である。

クリメント大主教は、ウクライナの携帯電話番号は大陸側ウクライナに来たときのみ使うようにしていると言う。

併合されたクリミアにおける彼の活動がどうなっているかを知れるのは、何らかの事件が起こったときだけである。例えば、新しいウクライナ正教会の首座主教により、クリメント大主教の教区の敷地が奪われようとしていると伝えられたり、同大主教がロシアで拘束されるパウロ・フリーブ氏の下へ面会に向かったら、逮捕されたと伝えられたり、といった具合である。さらに、私たちは、クリメント大主教が市場で汚い言葉を使い、自身の教会の大主教用衣服を盗んだとして断罪され、被占領下クリミアで拘束されたとも聞いた。これ以上におかしな思い付きがあるだろうか。大主教が自身の教区の資金で購入した自身の教会用の衣服を盗んだ、というのである。

クリメント大主教は、あちらとこちらを行き来している。あちら、つまり、クリミアでは、ウクライナの信者や被拘束者とともにあり、こちらでは私たちとともにある。彼は、まるで灯台である。誰もが、彼について、彼が輝いていること、彼が問題であることを知っている。なぜなら、彼に関する出来事は、クリミアでのウクライナ正教会の動向に関することだからである。彼は、被占領化の教会というものが如何に困難であるかを表す例である。彼が公の場で述べるクリミアでの経済・政治状況への評価は、注意に値するが、しかし、彼は、自身が拘束された時の状況は非常に抑制的に語った。彼は誰のことも責めない。彼がクリミアの実質上の主(あるじ)を苛立たせたくないと考えていることがわかる。

理由は、明白である。彼は、そこに生まれた人間であり、コミュニティ、教会敷地、かつてのキーウ聖庁の教会のろうそくからイコンに至るまで、彼が手に入れた物なのである。彼は、現地でウクライナ正教会の宗教生活を築き上げてきたのであり、それを何としても維持したいと思っているのである。数百名の彼の信者のことも考えている。大主教は、信者一人一人の顔と名前を知っている。

彼は、今回キーウ(キエフ)を数日間の滞在で訪れた。私たちは、東欧でのプーチンの戦争を議題とする会議で彼と出会った。私たちは彼の隣に座り、クリミアにおける教育や人道状況に関する彼のスピーチを聞いた。クリミアでは、公式には400人弱の子どもしかウクライナ語を勉強していないと言われている(以前は、1万3000人だった)が、実際には、2万人近くがプライベート・レッスンでウクライナ語を学んでいるのだと彼が述べ、私は驚いた。1歳程度の子どもが「不死身の連帯」(編集注:ロシアのプロパガンダ団体)のユニフォームを着せられている写真を見せられ、悲しい思いになった。そして、クリミアでは、ヴィシヴァンカ(編集注:ウクライナの民族衣装)を着るのは危ないのだということを知った。

私の気持ちを察した大主教はこう言う。「これが私たちの現在の生活なのです。これが、クリミアです」。

彼のクリミアの状況に関するスピーチは、誰もが注意深く耳を傾け、そして、人々は、現在捕虜となっているウクライナ海軍軍人のもとを訪れるよう彼に頼んでいた。その後、私たちはホールで彼と向き合って座った。私は、彼に質問し、その考えを聞くことにした。


クリメント大主教、3月にあなたがバスから引っ張り出され、拘束され、パウロ・フリーブ氏のもとへ行けなくなったときのことを話しましょう。あなたは結局彼と会えたのですか。

私は、その数日後にのロストフでの公判に出席しました(注:フリーブ氏は、露ロストフ・ナ・ドヌー市で拘束されている)。私は、パウロ氏に会い、話をしました。私は彼のために祈りを読み上げました。私たちは、拘束されるウクライナの人々の下を訪れるために、色々な合法的手段を使う努力をしています。

あなたは、被拘束者との面会をしているのですね。

そうです。ロシア国内法は、収容所や拘置所の所長への申請をすれば、宗教団体の代表者が被拘束者のもとを訪れることを認めています。私が今行っていることは全て、民間の弁護士との合意のもとで行われていることです。全ての訪問は、大きな作業であり、私のしていることは弁護士の作業の一部です。弁護士が全てを管理しています。私は勝手には行動できません。

わかりました。次は、クリミアにおけるウクライナ正教会の状況について話しましょう。

現在、主教である私の前には、ロシア連邦法にのっとって登録を行うか、クリミアを離れねばならなくなるか、という問題が横たわっています。

クリミアには現在、教区がありますね。大主教には何が提案されているんですか。

ロシア連邦国内法にのっとった正教会小教区の登録です。ウクライナ正教会の小教区や教区がクリミアで登録できないことは、誰もがよくわかっています。大陸側ウクライナに中心機関がある組織は、クリミアでは一切登録できません。しかし、私たちは、どのような中心機関とも繋がりのない正教会の独立小教区を登録することはできます。現在、私たちの法律専門家がこのことを分析しています。セルゲイ・アクショーノフ(編集注:クリミアのロシアの傀儡の一人)の立場は、3か月以内に、どの法空間に属すかを決めろ、というものです。私が、ロシア連邦の法空間に残れば、私が有す敷地に関する問題は解決されます。私が、ロシア連邦の法空間に残らなければ、敷地は私から奪われ、クリミア領におけるウクライナ正教会は、その存在を終えます。

ロシア側は、あなたが登録さえすれば、活動を続けてよいという保証をしているのですか?

私の過去5年間で経験からすると、彼らの条件を満たせば、私は追放されないだろうと、考えるだけの根拠があります。アクショーノフも、もし権限がなければ、そのような約束はしていなかっただろうと私は思っています。さらに、資産省の地元の幹部も、そのことを認めています。

それなら、彼らが言うままに、登録した方がいいですね。

非常に複雑な問題なのです。しかし、問題解決に際して、私は、(ウクライナの)文化省、それから宗教問題庁から、私の安全に関する保証を求めています。小教区の登録後に、ウクライナ大陸側で、共謀者や反逆者として、私が起訴されるようなことがないようにです。私は、このような登録の後に、政権幹部が私に対して声を上げ始めるんではないかと恐れています。

クリミアを離れることはできる。しかし、聖職者は、信者がいるところにいるもの。

もちろん、あなたは信者を離れることはできないでしょう。私は個人的に、モスクワ聖庁の教会に決して入りたがらない人々を知っています。しかし、彼らも20~30年前は、モスクワ聖庁の信者だったのです。もちろん、そのような人はクリミアにもいるでしょう。彼らを奉神礼なく放っておくことはできないでしょう。

示威的にクリミアを去ってみせて、ウクライナで1週間だけ英雄になることは可能です。しかし、聖職者は、信者のいるところにいるものです。それは、アルファとオメガの関係なのです。何百と言う私の信者は、それぞれの理由により、クリミアを立ち去ることができません。私たちは、彼らを告解、聖餐、機密のないまま見捨てることはできません。これらは、基本的な宗教上の必要なのです。

あなたの信者はどんな人ですか。

私の信者は、ウクライナ人だけではなく、ウクライナ大陸側から来た民族上のロシア人もいます。皆、正教徒です。私は、言語や民族で信者を分けることはしません。人々が私たちの教会で祈りたいのであれば、祈らせます。私たちの教会で、言語や民族の問題が起きたことはありません。

何語で聖体礼儀が行われているのですか。

全ての聖体礼儀は、ウクライナ語で行われています。しかし、時々ロシア語話者の信者が、プライベートに教会スラヴ語での聖体礼儀を注文することがあります。そのため、登録の必要に話が戻りますが、資産の維持のために登録が必要なのです。

つまり、条件は、聖体礼儀の実施が保証される形で、クリミアで私たちのコミュニティを登録する、ということですか。

そうです。しかし、私は、ウクライナの保証を得ようと思っています。ここ(大陸側)で問題が生じないように。

私たちには、9つの小教区があります。これら小教区がそれぞれが敷地を有しており、それらは教区の資産です。そのため、ウクライナ正教会が資産を維持するためにも、登録が必要なのです。

トモスはウクライナの新しい歴史を開いた。私たちは、維持し、作業し、拡大すべき文書を手にした。

トモス(編集注:正教会の交付文書。ここでは、ウクライナ正教会に独立を付与した文書を指す)に関係する出来事をあなたはどう受け止めていますか。

私は、クリミアに暮らしいます。過去5年間は、もちろん大変でした。私は、問題の中に生きています。そのため、ウクライナの大陸側での出来事にコメントすることは、より大変です。

しかし、無論、トモスはウクライナの新しい歴史を開きました。私たちは、維持し、作業し、拡大すべき文書を手にしたのです。というのも、文書そのものは、団結の要因にはならないからです。

ある者は、本件を政治キャンペーンと結び付けていますし、あるものは、ロシアとの断絶、悲劇とみなしています。ある者は、他の独立教会が私たちをなかなか承認しないのではと心配しています。しかし、それは全て、規模の問題であり、私たちは気にしません。

大切なことは、ウクライナに、コンスタンティノープル全地総主教庁の一部である正教会がある、ということです。それ以外のこと、トモスを他者が承認するとかしないとか、共同聖体礼儀を行うとか行わないとか、それらは政治的な問題であり、キリストの身体としての教会の一体性には何の関係もない話です。私たちは、キリストの身体であり、唯一の全地独立教会なのです。

トモス付与は、国家を強化します。「3つの兄弟民族」という「兄が支配」する内容の伝説を打ち破るものです(編集注:ロシア人とウクライナ人とベラルーシ人は兄弟民族である、というロシア発の言説のこと)。これらの出来事は全て、私たちを誕生の状態、キーウ・ルーシのヴォロディーミル大公の洗礼に戻すものなのです。

具体例として、トモスに関係する出来事を話したいと思います。ウクライナ正教会の旧キーウ聖庁は、クリミアでいつも圧力にさらされていました。現在、公式にはクリミアにロシア正教会はありません。あるのは、キーウに中心があるウクライナ正教会のモスクワ聖庁です。国際法にのっとると、クリミアでは(ロシア正教会は)登録できないのです。制裁対象になって、彼らの資産は凍結されますから。(編集注:ロシア正教会の)キリル総主教はクリミアに一度も来ていません。私たち(ウクライナ正教会旧キーウ聖庁)は、当時の親露、現在のロシア支配化のクリミアにおいて、いつでも「第五列」とみなされていました。

クリミアは、人文政策や宗教政策とともに、ウクライナの枠内に残すために、地元の政権に渡されたのです。私たちは、2014年より前のクリミアの政権に好かれておらず、土地も施設も得ることができませんでした。私たちは、対立の中で成長してきました。私たちは、長い間小教区が登録してもらえませんでした。私たちには、敷地を有することが許されていませんでした。私たちは、教区運営費で私たちの宗教コミュニティのための資産を入手していたのです。

9つの小教区がクリミアにて維持されています。残りは、閉鎖されました。2014年までに、ウクライナの教会を発展させ、強化させることに力が入れられていたら、今ごろ最も多くの小教区が存在したことでしょう。

私は、以前どうして小教区が少ないのかとたずねられたら、こう答えていました。私たちの小教区は、危機的状況になったときに機能するために、強くあらねばならないからだ、と。当時、私の発言は笑われました。彼らの考えでは、危機的状況なんて起こりはしない、と。しかし、私は、クリミアの住民として、遅かれ早かれ、あのようなことが起こると理解していました。

そして、正直に言えば、2014年に起きたことは、軽い恐怖でした。私たちは、ドンバス地方のような、流血の惨事が起こることを恐れていたのです。様々なことがありつつも、私たちの小教区は残っています。

国家が国家としてありたいのであれば、議員はウクライナの教会の強化に集中すべきです。教会なきウクライナは国家ではありません。国家がなければ、教会もありません。これらは相互に繋がるものです。それは、ヤロスラウ賢公、ペトロ・モヒーラ、イヴァン・マゼーパからクリミアまでの歴史により示されています。

ラーナ・サモフヴァロヴァ、キーウ

写真:ヘンナジー・ミンチェンコ、ウクルインフォルム

 

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