5月9日は、対独戦勝記念日 ゼレンシキー大統領が国民向けメッセージ発表(全訳)

5月9日は、対独戦勝記念日 ゼレンシキー大統領が国民向けメッセージ発表(全訳)

動画
ウクルインフォルム
5月9日は、ウクライナでは「ナチズムへの勝利の日」と定められている。ゼレンシキー大統領は、この日に合わせて、ウクライナ国民向けの動画メッセージを公開した。

大統領府広報室が伝えた。ウクルインフォルムが全訳したものを以下に掲載する。


今日、5月9日、ウクライナは、ナチズムへの勝利の日を祝う。その勝利の意味を理解し、認識するには、日曜のキーウ(キエフ)を歩いて回るだけで十分だ。川岸を親子が散歩しており、若者がキー、シチェク、ホリウ、リベジ(編集注:キーウ創始者とされる。その銅像)と写真を撮っており、公園では、おじいさんが孫に自転車の乗り方を教えている。カフェテラスでは、人々がデザートを食べている。その近くでは、通りでミロスラウ・スコリクの「メロディー」がバイオリンで見事に奏でられている。

それら全てが青と黄の旗の下、独立ウクライナで起こっているのだ。ウクライナの2021年5月のその様子は、キーウがナチスに占領された1943年5月の様子とは決定的に違う。そこでは、私が今述べたこと全てが不可能だったからだ。私の後ろには、人々の写真がある。彼らのおかげで、それらのことができるようになったのである。もちろん、実際にはもっとたくさんの人がいた。ほぼ全てのウクライナの家族に、家族アルバムに似たような写真があるだろう。父、祖父、曽祖父が写る写真、母、祖母、曽祖母が写る写真だ。

反ヒトラー連合の中でナチズムと戦い、勝利したウクライナ人写真全てを展示することのできる博物館は、世界中どこにもない。少なくとも700万人のウクライナ人が戦いに出ていたのであり、彼らなくして勝利は不可能であった。

私たちにとってナチズムへの勝利とは何であろうか。それは、感謝である。際限のない、期限のない、地理的区分のない感謝だ。1943年にハルキウとドネツィクからナチスを追い出した私たちの先祖への感謝。1944年にオデーサとクリミアからナチスを追い出した人々への感謝。キーウ、リヴィウ、リウネ、ポルタヴァ、テルノーピリ、クリヴィー・リフから占領者を追放した人々への感謝。ルハンシク地方、ザカルパッチャ地方、ヴォリーニ地方、ポジッリャ地方、ヘルソン地方、フランキウシク地方からの追放についての感謝。ウクライナの一つ一つの地からナチスを追放したことへの感謝である。

私たちにとってナチズムへの勝利とは何であろうか。それは、記憶である。その恐ろしい代償の記憶、第二次世界大戦に800万人以上のウクライナ人が亡くなったことの記憶である。ウクライナ人の5人に1人が家に帰れなかったことの記憶である。戦争によって全体で少なくとも5000万人の人命が奪われたことの記憶である。そして、その凄惨な数字があるが故に、「勝利」という言葉は、幸福感や高揚感を除いて受け止めなければならない。そして、「再び勝利する」ことを願う気持ちは、ホッケーかサッカーの大会に関係するなら良いが、戦争や、2194日毎日人が死んだ第二次世界大戦と関係してはならない。

勝利した人々を飾るのは、謙虚さである。第二次世界大戦の退役兵と話すことができた人は皆、いつも彼らが戦争をどのように話すか知っている。謙虚に、感情を高めず、自慢もうぬぼれも高揚感もなく、一切のロマンティシズムもなく話すのだ。なぜなら、戦争でのロマンティックなシーンがあり得るのは映画の中だけだからだ。現実は、死体の山、吹き飛んだ手足、強制収容所、爆撃、封鎖、東方労働者(オストアルバイター)を乗せた電車、ガス室に、ロマンティックなシーンなど一切ない。人々は、それを目にし、乗り越え、勝利した後、毎年5月9日になると、いつも同じ乾杯の挨拶をするのだ。「どうか2度と戦争が起こりませんように」と。

私たちにとってナチズムへの勝利は、苦しみとともに得た宝物であって、バーベキューをしに行くための機会ではない。先祖の墓への献花であって、自動車に貼るシールではない。カーニバルでもないし、正装したパーティーでもないし、軍服を着た政治家との写真撮影会でも決してない。彼らは、そういうものに関係がないし、機関銃を手で支えることもできないのだ。

私たちにとってナチズムへの勝利は、何であろうか。それは人類にとっての偉業への関与である。なぜなら、その戦争は、どの軍が勝ったか、が重要ではないからだ。重要なのは、どの哲学が勝利したかである。私たちが勝ったことだけが重要なのではなく、ナチズムが敗北したことも重要である。ナチズムは永遠に敗北したのだ。この世界から、外国人嫌悪、レイシズム、不平等がともに消滅するように、との指示とともに。

私たちにとってのナチズムへの勝利は、その勝利の不可分の一部となったウクライナ人への誇り、私たちの先祖への誇りである。

重要なことは、それが誰かを上とか下とかに据えることのない、ナチズムと戦った全ての国と民による共通の勝利であったということだ。私たちは、ウクライナ人の勝利への貢献を矮小化することは決して認めない。ウクライナ人は、自らの大地を守っただけでなく、ソ連軍や反ヒトラー連合の同盟国軍の中で他の何十の民とともに、ウィーン、パリ、プラハ、ワルシャワ、マドリッド、ブダペスト、アムステルダム、ブリュッセル、ローマ、ベルリン、その他世界の多くの街をナチス支配から救ったのだ。

私たちは、1945年4月30日、ドイツ国会議事堂に勝利の旗を掲げたのが、ウクライナ人オレクシー・ベレストであったことを忘れないし、何度でも思い出すし、他の人にも思い出してもらっている。ウクライナ系レムコ人出自のマイケル・ストランクが硫黄島にて米国旗を掲げたことについてもだ。1945年9月2日に戦艦「ミズーリ」にて日本の無条件降伏の文書に署名したのが、ウクライナ人のクジマ・デレウヤンコ中将であったこともだ。

第二次世界大戦の最も優れた飛行士が、敵機を60機以上撃ち落としたウクライナ人イヴァン・コジェドゥブだったこともだ。女性狙撃手リュドミラ・パウリチェンコによって、309のナチス兵・将校を倒したこともだ。アウシュビッツ強制収容所の門を最初に突破したのが、ウクライナの戦車のウクライナの操縦士であったこともだ。

有名な映画スター「ヴィフリ少佐」の元となったウクライナの情報員イェウヘン・ベレズニャクが、ポーランドのクラクフの救世主と呼ばれていることもだ。また、第二次世界大戦とナチズムへの勝利の歴史に刻まれた、さらに何十万のウクライナ人の名前を私たちが忘れることはない。

そして、今日、もし彼らが、彼らの子孫、現代のウクライナ人が、何十年か後になって改めて戦争とは何かを知ることになっていることを知ったとして、その彼らの反応を想像したら、痛みと悲しみは何倍にも増えるであろう。第二次世界大戦の記憶を保つことは、私たちの義務である。なぜなら、何世代も親が戦争について子供に伝えてきたからだ。しかし、立場は逆転した。2014年以降、子が親に戦争について話している。祖父が孫にではなく、孫が祖父に爆撃や捕虜とはどのようなものかを話せるようになっているからだ。そして、マリウポリ市の歴史には、1944年9月10日の横に、2014年6月13日、という(編集注:解放の)日付が書き足された。第二次世界大戦から76年経ち、マリウポリ市やその他多くの東部の町では、二つの解放の日が祝われることになっていく。

私たちの先祖がウクライナの大地を守りながら行ってきたことの全ては、痛みを伴う、不正義なことである。しかし、彼らの偉業と英雄的行動がウクライナ軍人、防衛者の新しい世代に力を与えているのである。

そして、ある日曜日、ドネツィク、ルハンシク、ヤルタを歩き回り、そこでは川岸を親子が散歩し、若者たちが写真を撮り合い、公園でおじいさんが孫に自転車の乗り方を教え、通りでミロスラウ・スコリクの「メロディー」がバイオリンで見事に奏でられているのを目にすることができる日、そんな日が必ず来ること、その希望を与えてくれるのは、そんなウクライナ防衛者の新しい世代である。そして、それら全ては青と黄の旗の下、独立したウクライナで起こるのである。

私たちは、それを信じつつ、平和を願いつつ、今日、第二次世界大戦にて私たちの大地をナチスから守り解放した全てのウクライナ人に感謝し、頭を下げている。5月9日を祝う。ナチズム勝利の日、おめでとう!


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