ウクライナが被拘束者交換でロシア・武装集団側に引き渡す人物

ウクライナが被拘束者交換でロシア・武装集団側に引き渡す人物

ウクルインフォルム
被拘束者を取り戻すために、ウクライナは、敵側にテロリストや児童殺害者を引き渡そうとしている。しかし、他の手段は、どうやらない。

12月29日が少なくとも多くの人にとってお祝いの日となることを、私たちは信じている。最大約6年にわたり占領者やその部下に拘束されている彼らの家族や近親者が家に帰ってくる。29日の午前11時、ドネツィク州(コンタクトライン)通過検問地点マヨルシケにて、被拘束者の大規模交換が行われることが期待されている。なお、今回クレムリンは、ロシア領や被併合下クリミアの拘置所・牢屋に拘束しているウクライナ人政治囚を返す予定はない。また、交換リストに加えられる人の正確な数も伝えられていない。最初は、約300人だと言われ、その後は、200人より少し多い程度と言われていた。その後には、あり得る交換のより具体的な数として、80人対130人(ドネツィク:キーウ(キエフ)=55人:65人、ルハンシク:キーウ=25:65)との情報が現れた。

専門家、政治家、ジャーナリストたちの多くは、交換を待ちつつも、不公平を指摘する。なぜなら、ウクライナ側に戻ってくるのは、憲法と国際法規範に従って、敵から自分の国を守って戦った人たち、不適切な断罪でロシア連邦保安庁(FSB)と「不完全共和国」内にあるその支部の「檻」に偶然入れられた人たちなのだが、代わりに、ウクライナ側から敵側に引き渡されるのは、本当のテロリスト、殺人犯、裏切り者なのだ…。ニュースサイト「ツェンゾール・ネット」のユーリー・ブトゥソウ編集長は、「ロシアは、仲間を連れ去りたがっている。児童殺人犯、無防備の人に拷問した人、テロリスト、裏切り者、ドンバス地方で『ロシアの地獄』に成り果てた『ロシアの世界(ルスキー・ミール)』の汚れを連れ去りたがっているのだ。交換人物リストを一人一人比べてみれば、二つの別の世界がそこに存在することがわかる。ロシアの悪魔の世界と人間の世界だ」と書いていた。そして、それは真実だ。しかしながら、私たちが理解せねばならないことは、自国民を解放するために、ウクライナはそれら人物を引き渡すということだ。交換を支持する者は、イスラエル軍兵士ギルアド・シャリート氏の交換のストーリーを喚起する。その時、彼一人の解放のために、テロ関係で収監されていた1000名以上のパレスチナ人収監者が解放されたのだった。

29日に家に帰ってくるウクライナ国民は誰か、そして、代わりにウクライナがプーチンやその子分たちに引き渡すのは誰なのだろうか?オープンソースを分析してみよう。

ウクライナが引き渡す人々:テロリスト、児童殺人犯、「元ベルクート隊員」

1.元「黒中隊」「ベルクト」隊員

元ベルクト隊員 写真:アンドリー・グゼンコ/LIGA.net
元ベルクト隊員 写真:アンドリー・グゼンコ/LIGA.net

報道によれば、交換リストに入る者の中には、2014年2月20日(編集注:マイダン革命時)にキーウのインスティトゥーツィカ通りで民間人を銃撃したとして断罪されている警察特殊部隊「ベルクト」の隊員5名中少なくとも2名が加わるらしい。捜査班は、この5名と、現在指名手配中の20名以上の特殊部隊隊員が、抗議者48名の死亡と80名の負傷に罪があると考えている。ここ数日、裁判所は、オレクサンドル・マリンチェンコ氏(元ベルクト隊員)の拘束を解き、24時間自宅拘禁の措置に変更した。それ以前、今年の7月には、更にもう一人、ユーロマイダン活動家銃撃の容疑のかけられている元ベルクト隊員、セルヒー・タムトゥール氏の措置が自宅拘禁に変えられている。

残り3名の元ベルクト隊員を巡る状況は良く分かっていない。ウクライナ側は、最初彼らを交換リストに加えたが、その後、市民社会の抗議や、マイダン時に亡くなった英雄「天国の戦士」の遺族の呼びかけを受け、元ベルクト隊員3名、オレフ・ヤニシェウシキー氏、セルヒー・ジンチェンコ氏、パウロ・アブロシキン氏を交換リストから外しと言われる。

親クレムリン「不完全共和国」では、彼らは英雄とみなされている。特にルハンシクの武装集団は、元ベルクト隊員を2016年時点から交換リストに入れたがっていた。

2.マリウポリ治安機関職員殺人犯

通称マングスト・グループ
通称マングスト・グループ

交換リストには、2014年5月9日の内務省マリウポリ総局建物占拠の容疑がかけられている人物が4名、間違いなく加えられる。テログループ「マングスト」のイェウヘン・ドルジニン氏、オレクサンドル・ストレリニコヴィチ氏、ヴィクトル・スクリプニク氏、ヴヤチェスラウ・ビリュコウ氏だ。彼らは、意図的殺人、テロ集団創設、武器保管で断罪されている。彼らは、2014年4月から8月まで、その他の重大犯罪も実施している。

捜査班は、2014年春のマリウポリの無法行為には、4つのグループからなる約80名の戦闘員が関与したと考えている。その内、最大15名の構成員からなる「マングスト・グループ」が、同市警察署建物の占拠と放火の際に警察官とウクライナ軍人6名を殺人したことに責任があるとされる。この当時の無法行為に加わった戦闘員の一部は殲滅されているが、半数以上は逃亡した。

3.ハルキウのテロリスト

ヴォロディーミル・ドヴォルニコウ、ヴィクトル・テチュツィキー、セルヒー・バシュリコウ
ヴォロディーミル・ドヴォルニコウ、ヴィクトル・テチュツィキー、セルヒー・バシュリコウ

2015年2月22日、ハルキウ市での「尊厳の行進」の際、遠隔操作で自作爆弾が爆発。これにより、警察官と未成年の人物を含む4名が死亡、9名が負傷した。ハルキウのユーロマイダンのリーダーである52歳のイーホル・トルマチョウ氏と警察官のヴァディム・リバリチェンコ氏が現場で即死。翌23日に、15歳の児童ダニーロ・ジディク氏が怪我で死亡、24日に18歳の大学生ミコラ・メリニチューク氏が死亡した。行進参加者の大半は、集団と爆発の間にたまたま位置した輸送車「ハゼリ」によって助かった。

その際拘束されたのが、ヴォロディーミル・ドヴォルニコウ氏、ヴィクトル・テチュツィキー氏、セルヒー・バシュリコウ氏である。捜査班は、この3名の男性を地下テロ集団「ハルキウ・パルティザン」のメンバーとみなしている。テロリストたちは、ロシアの特殊機関に雇われ、露ベルゴロド市で訓練を受けており、テロ実施の褒賞として1万米ドルが渡される予定だったと言われている。

12月28日にハルキウ市フルンゼンシキー地区裁判所が彼らに対して判決を言い渡すことになっている。

これに先立ち、テロで亡くなった人々の遺族や市民活動家は、キーウ市内の大統領府建物前とハルキウ市内にて複数回にわたり、これら容疑者の交換の可能性に反対する集会を開いている。

4.裏切り農家 10名のウクライナ軍人殺人の実質的犯人

ミコラ・ブトリメンコ
ミコラ・ブトリメンコ

ウクライナ国民のミコラ・ブトリメンコ氏は、2014年、ドネツィク州スニージュネ近郊にて、ウクライナの特殊部隊隊員19名を親露武装集団に「売り渡し」ている。敵は、彼らに発砲し、10名が死亡、5名が拘束された。捜査班の情報では、当時その特殊部隊グループは、同年7月23日にロシアの対空防衛システムにて撃墜された2機のSu-25の乗組員の捜索で派遣されていたという。7月28日、彼らはレティシェヴェ村郊外の農家の下を訪れた。61歳のミコラ・ブトリメンコ氏は、軍人たちに彼の施設で泊まっていくことを提案。その後、入院する妻の下を訪れると言いながら、実際には彼はスニージュネに向かい、武装集団に対してウクライナの軍人たちの居場所を教えたのだ。

ドネツィク州検察は、非政府管理地域から政府管理地域へ連行されたブトリメンコ氏に対し、テロ行為、テロ支援の容疑を伝達。ザポリッジャ州クイビシェウシキー地区裁判所は、同氏の有罪を認め、8年間の禁固刑を言い渡した。しかし、最近、ザポリッジャ州オリヒウシキー地区裁判所が、検察の要請を受けて、ブトリメンコ氏を解放、措置を自宅拘禁に変更している。

5.ドニプロの挑発者

ダリーナ・マスチカシェヴァ、オレクサンドル・カラタイ
ダリーナ・マスチカシェヴァ、オレクサンドル・カラタイ

ロシアのジャーナリスト、セルゲイ・ロイコ氏の情報では、ロシア側が求める交換者のリストには、現在ドニプロ市にて国家反逆罪で拘束されているウクライナ国民のダリーナ・マスチカシェヴァ氏とオレクサンドル・カラタイ氏が入っているという。彼らの容疑は、ウクライナの主権と情報安全保障への侵害を目的とした行為であり、とりわけ、2017年、彼らはウクライナの元軍人、ドンバスでの戦闘参加者を、建設の仕事を名目に、ロシアへ連れ出すことを計画していた人物である。捜査班は、この元軍人たちは、ロシア特殊機関が計画した工作活動に利用される予定であったと考えている。

彼らは、3年間にわたり、ロシアのテレビのためにウクライナに関するフェイク・ニュース作成に協力していた人物でもある。2017年、彼らは、元反テロ作戦参加人物3名を雇い、モスクワに送っている。建設の仕事との名目で送られた彼らは、実際には、モスクワでのテロの容疑で「吊るし上げられる」予定であった。裁判で彼らが罪を認め、12月29日の交換対象になると見られている。

6.ロシアの戦車操縦者

複数の関係者の話では、ウクライナ側が敵側に引き渡そうとしている人物の中には、ロシアの戦車操縦者ルスラン・ガジエフ氏が入っているという。彼は、ドネツィク州サンジャリウカ近郊の標高307.5メートル地点での線当時に拘束された人物だ。当時、8名のウクライナ軍人が死亡、2名が重傷(今も障害が残っている)。ウクライナ軍人側は、敵の4両の戦車による攻撃の撃退に成功。3両を完全に破壊し、1両も一部損壊させた。破壊した戦車の操縦士のうち、生存したのはこのガジエフ氏だけであった。

ルスラン・ガジエフ
ルスラン・ガジエフ

ガジエフ氏は、後に、戦争に参加した理由として「仕事が見つけられなかったから。貧しい家族のために稼ぎたかった」と述べている。彼をウクライナとの戦いに向かわせたのは、露ロストフ市警察官だという。警察は、瑣末な犯罪で拘束されていたガジエフ氏を、ウクライナ領ドンバスでの「ロシアの世界」をサポートすることで解放したのだという。

傭兵ガジエフ氏は、15年の禁固刑を受けている。

その他、報道では、他にも複数のドンバスで拘束されたロシア国籍傭兵が交換リストに入っているという。その他、「LPR/DPR」側で戦ったウクライナ国籍者も入っているという。

更に、2014年5月のオデーサの騒動を生み出した挑発者もリストに入っているとのこと。

ウクライナ側が解放を求めている者たち 捕虜、記者

三者コンタクト・グループ(TCG)人道問題作業部会ウクライナ代表のヴァレリヤ・ルトコウシカ氏は、ウクライナ側は敵側から、2017年12月の軍人の大規模交換の際に解放できなかった人々をようやく連れ帰ることができると述べていた。2014年夏のイロヴァイシク戦と2015年冬のデバリツェヴェ戦の際に占領者の手に渡ってしまった軍人たちのことだ。その中には、第3旅団のセルヒー・フロンダル氏オレクサンドル・コリニコウ氏が含まれる。

2015年2月16日、彼らは、包囲されたデバリツェヴェから脱出するウクライナ軍人を先導する一団の中にいた。一団は、その際発効していたはずの「停戦」が無視される形で始まった攻撃を受け、拘束される。コリニコウ氏とフロンダル氏が加わっていたグループには、9名の軍人がいた。ロシア人は、このうち2名を殺害。残りを拘束した。その際負傷した2名は、すぐにウクライナ側に返された。その後2か月後、更に2名が解放。1名は逃亡に成功。残ったフロンダル氏とコリニコウ氏は、既に約5年間拘束されていることになる…。

セルヒー・フロンダル、ボフダン・パンテュシェンコ、オレクサンドル・コリニコウ
セルヒー・フロンダル、ボフダン・パンテュシェンコ、オレクサンドル・コリニコウ

その他、捕虜となっているボフダン・パンテュシェンコ氏は、自称「DPR裁判所」により、18年の禁固刑が言い渡されている。

当時、パンテュシェンコ氏は、当時第1独立戦車旅団の指揮官であり、「ブローニャ」というコードネームを持っていた。彼が拘束されたのは、ドネツィク空港近郊のスパルタク村近くの作戦遂行中である。2015年1月、パンテュシェンコ氏は、戦車にてプティリウシキー橋まで進み、ドネツィク市から進出する武装集団が利用するその橋を破壊する爆破班の支援をするはずであった。占領者は、彼を、ドネツィク~アウジーウカ間の橋の爆破で断罪している。同氏の配偶者は、2017年12月の交換の前になり、ドネツィク武装集団が彼を交換リストから外したという。理由はわかっていない。

また、報道では、占領者に拘束される2名のジャーナリストのスタニスラウ・アシェーイェウ氏とオレフ・ハラジューク氏も解放される可能性があると伝えられている。しかし、彼らが本当に帰還できるかどうかには「疑問が残る」とされる。人権保護団体「成功の門」は、ロシア側が、前述の元ベルクト隊員が交換リストに入らなければ、これらジャーナリストを返さない可能性があると伝えている。

オレフ・ハラジューク、スタニスラウ・アシェーイェウ
オレフ・ハラジューク、スタニスラウ・アシェーイェウ

スタニスラウ・アシェーイェウ記者は、偽名を使って、被占領下ドネツィク市で記者活動をしていた人物だ。彼は、ラジオ・スヴォボーダ通信、「週の鏡」紙、ウクライナ・ウィークリー誌で記事を書いていた。2017年6月、彼は、いわゆる「DPR」の特殊機関職員にさらわれる。彼が同僚に最後に連絡したのは6月2日であった。その1か月半後、7月16日なってようやく、武装集団側が、「スパイ」容疑で彼を拘束したと発表した。2019年10月22日、武装集団は、アシェーイェウ氏に対して、15年の禁固刑を言い渡している。

ハラジューク氏は、トレーズ市に住んでいた。ラジオ・スヴォボーダ通信でコラムを書いていた人物であり(執筆は2015年7月から2017年夏の終わりまで)、ウクライナ政府がコントロールできていない土地で何が起こっているかを伝えていた。2017年8月末に彼は拘束された。

何故拘束されたか?オレフ・ハラジューク氏は、ユーロマイダンが始まる前から、親ウクライナ的な立場で知られていた人物である。

2013年12月23日、市議会議員のヴァシーリ・ボンダレンコ氏と2名の「カザーク」がハラジューク氏を暴行した。暴行の理由は、ハラジューク氏が、当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領と地域党に反対するスローガンを市の中心部にばらまいたからであった。暴行した人物は、ハラジューク氏を地面に押し付け、頭を殴り、手の指を折った。

ハラジューク氏は、それでも心を折られなかった。当時の彼を知る、記者組合秘書のリーナ・クシチ氏は、市民ラジオ出演時、彼のことを思い出し、こう伝えた。「マレーシア航空機撃墜周年の彼のルポ記事を覚えている。彼は、献花のために事故現場まで20キロ徒歩で向かい、青と黄色のリボンで飾られた花束の写真を撮ったのだ」。

オクサーナ・ポリシチュークウラディスラウ・オブフ、キーウ


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