オレスト・デイチャキフスキ、米国議会ヘルシンキ委員会元補佐官
アメリカ上院のホロドモール(人工的大規模飢餓)に関する決議は、1930年代のロシアの犯罪を文章化するもの
30.10.2018 12:54 74

10月上旬にアメリカ上院が採択した決議は、1932~33年のホロドモール(人工的大規模飢餓)をウクライナ民族に対するジェノサイド(大量虐殺)と認めるものである。そして、この悲劇を分類化することとなった今回の決議は、単発の文書ではない。なぜなら、1980年代初頭時点で、アメリカのウクライナ人コミュニティが米国議会の委員会にホロドモールの公式捜査を実施させており、その委員会の捜査結果として、ヨシフ・スターリンがウクライナ人に対するジェノサイドを行ったことを直接的に認める結論を導き出しているからである。その時から、「ジェノサイド」という表現は、米国議会や政府の中で様々な政治的抵抗を受けてきた。そして、今回ようやく、上院決議を通じた公式な承認となったのである。事実の承認に向けた闘いにどのような努力が注がれてきたのか、ウクルインフォルム通信は、米国議会欧州安全保障協力委員会(通称「米国ヘルシンキ委員会」)で35年間の勤務経験を持つオレスト・デイチャキフスキ(Orest Deychakiwsky)元同委員会補佐官からインタビューを得た。

アメリカでの最初の「ホロドモールはジェノサイド」とする記述

10月4日、アメリカ上院で、1932~33年のウクライナにおけるホロドモールを実質的に民族に対するジェノサイドと承認する決議が満場一致で採択されました。この採択にいたる道のりはどのようなものだったのでしょうか。どのようにこのプロセスは始まったのですか。

この決議は、非常に重要なステップですが、それ以前から非常に多大な努力がなされていました。全ての始まりは、はるか昔、ウクライナが独立するより前から始まっています。これは強調されるべき非常に重要な点です。

1983年、ホロドモールから50年が経過した年に、ワシントンではアメリカ全土から約1万7000人のウクライナ人コミュニティの代表者が集まり、この悲劇の犠牲者の追悼を行いました。その時、ソ連大使に対するデモが起きたのです。これは非常に目立った出来事でした。

そして、その時から、アメリカ議会では、ウクライナのホロドモールを喚起する決議やその他の法的文書の審議・採択がされているのです。いくつか例を挙げましょう。

アメリカのウクライナ人コミュニティの努力により、1985年には、いわゆる「ウクライナの飢餓に関する米国委員会(U.S. Commission on the Ukraine Famine)」が設置され、この委員会がホロドモール問題の研究を行いました。米国議会は、この委員会に予算を割き、研究をサポートしました。委員会は4年間活動し、常駐の職員を有し、委員長はジェイムス・メイス氏が担いました。委員会が活動している間、議会ではウクライナのホロドモールに関する公聴会が複数回開かれました。そして、1988年には、議会に対して膨大な報告書が提示されました。そして、この報告書における主要な結論事項の中で、ヨシフ・スターリンとその周辺人物は1932~33年にウクライナ民族に対してジェノサイドを実行した、という点が強調されました。これもまた非常に重要な出来事でした。先日の米国上院の決議はこの時の委員会の結論に基づいているのです。

1988年以降、米国議会では、数年毎にホロドモール関係決議が審議され、しばしば採択されてきました。さらに、ほぼ毎年、11月には、上院・下院の議員が会議録ステートメント(Congressional Records Statement )においてこのことを強調しています。つまり、ホロドモール問題は、常に注目の対象であり続けてきたのです。

米国議会は、「ジェノサイド」という言葉を避けていた

米国議会の議論において、主な論点がロシアの深刻な歴史的犯罪を実質的に認めることになる「ジェノサイド」の承認に関わるものであったというのは本当ですか。

文書上での「ジェノサイド」承認に関わる議論については、私自身、個人的な経験を有しています。それは、2003年、米国上院での出来事です。私は、ヘルシンキ委員会の同僚とともに、当時の同委員会委員長であり、1932~33年の出来事をジェノサイドであると公言していたキャンベラ上院議員のために、決議案を作成していました。この決議案は25名という多くの上院議員が共同提案者となっていましたが、しかし、この案は、米国議会で非常に大きな議論を沸かせました。その時、この決議は、まさに「ジェノサイド」という単語が文章に入っていることが理由で、採択されませんでした。今も思い出すのですが、私に対して外務委員会から電話がかかり、この単語を削除できないか、そうすれば決議はすぐに通る、と提案があったほどでした。

このとき、アメリカ大統領府は、この単語の使用に反対でした。その主な理由は、ロシアが反対しているからではなく、トルコが反対しているからでした。それは、アルメニアが、トルコのアルメニア民族に対する弾圧をジェノサイドとして認めようとしていたことに関係していたのです。米国議会は、当時アルメニア寄りの立場でしたが、トルコが非常に激しく反対していたことから、その決定を採択しませんでした。そして、ウクライナ問題に関しても、対トルコの際の対応と非常に似たような対応をとったのです。2003年にはイラクで戦争が始まっており、当時のブッシュ政権は、トルコをはじめとする地域諸国の支持を必要としていたため、トルコの感情を害しかねない行動は取りたがらなかったのです。

ウクライナのホロドモールをジェノサイドと承認する決議はその時は採択されませんでした。しかし、重要なのは、ホロドモールのテーマが米国議会で激しく議論されたことです。

しかし、2006年、ワシントンの中心部にウクライナのホロドモールの犠牲者追悼碑を設置するという米国議会の決定が採択され、大統領が署名するという、私が思うに、非常に重要な出来事が生じました。この文書は、法的ステータスを持つもので、同文書には、ウクライナのホロドモール・ジェノサイドの被害者追悼という具体的な記述がありました。これは、間接的ですが、それでもホロドモールをウクライナ人に対するジェノサイドと認めるものでした。そして、重要なことは、この文書が全ての手続きを通過し、法として発効した点にあります。

人によっては、アメリカがその時ホロドモール・ジェノサイドを承認したと考えない者もいます。しかし、私を含め、多くの人が、(編集注:その時ジェノサイドと承認したのだと)考えています。加えて、(もちろん、ウクライナ以外で)アメリカ以外のどの国が、ウクライナのホロドモールに関してここまで多くのことをしたでしょうか。

今回の決議も非常に重要です。そして、私は、1988年の「ウクライナの飢餓に関する米国委員会」の結論、スターリンとその周辺人物がウクライナ人に対するジェノサイドを実行した、ということを認めるこの文書を、米国下院も近く採択することを期待しています。

ホロドモール決議は、ウクライナへの政治的サポート

私たちは、議会決議は法律と異なり履行義務の生じないものだということを知っています。それでも、今回上院が採択したホロドモール関係決議は大きな勝利として受け止められていますが…。

全てのウクライナ人にとってこの文書採択は重要です。なぜなら、米国上院(そして下院が採択することも期待していますが)がホロドモールに前述の定義を付与したからです。さらに、ウクライナが自国東部でロシアの侵略を防いでいる今、ウクライナにとっては、ロシアによるジェノサイドという原則的問題に関してアメリカからの政治的サポートを感じることが重要です。

同時に、今回の採択は、ロシアが過去にウクライナ人やその他の民族に暴力を行ったこと、そして、現在も情勢を不安定化しようとしていることを改めて確認することでもあります。

世界のどの程度が米国議会の決議に耳を傾けるのでしょうか。今回の決議採択がその他の国で、ホロドモールをジェノサイドと承認することを推し進めることになると言えますか。

少なくとも、承認プロセスを妨げることはないですし、すでにいくらかの国は承認しています。言うまでもなく、世界はアメリカの議会がどのような決議を採択するかについて注意を向けていますし、今回の決議も国際社会の後押しをすると、私は期待しています。

わたしには、ホロドモールではなく、他国との連帯に関係することで思い出した例があります。それは、「マグニツキー法」です。この法は、アメリカ上院のベン・カーディンとジョン・マケインのイニシアティブでした。この法の採択は、容易でなく、時間がかかりました。しかし、採択後は、複数の国がこの法を参考にし、同様の法律を採択したのです。それらの国とは、特に、カナダ、イギリス、エストニア、ラトビア、リトアニアです。他にも、複数の国が採択を検討しています。

ロシアは敗北を重ねている

ソ連がまだ存在した頃、アメリカでは、ロシア・ロビーがかなり強力に活動していました。1960年代にタラス・シェウチェンコ(編集注:ウクライナの代表的詩人)の記念像を建てる時ですら、クレムリンの抵抗のために、どれほど大変だったか思い出してみてください。現在、ロシアはどの程度アメリカ政治に影響を及ぼすことができていますか。

ロシアはアメリカの政治に影響を及ぼすために、多くの労力とお金を注ぎ込んでいますが、それらはそれほど多くの結果を残していない、と、私は思っています。特に現在は、対露制裁についてが、そうです。

シェウチェンコ像の設置に関しても、ロシアはその際も敗北したのです。ウクライナ・ロビーは思ったより強かったのです。ウクライナ人コミュニティは、それぞれの州出身の議員に影響を与え、決定を採択させたのです。

そして、像の設置というロシアの敗北は、一回限りの出来事ではありませんでした。例えば、1959年の「捕らわれたネイション(Captive Nations)」決議(民族の不自由に関する決議)もそうです。ソ連は、その際も非常に激しく抵抗しました。特にフルシチョフ(ソ連最高指導者)がこの決議を激しく批判しました。ロシアにとっては、シェウチェンコ像よりもずっと同決議が気に入らなかったのですが、しかし、結局彼らは同決議採択を阻止できませんでした。

ウクライナに関するものを含め、ヘルシンキ・グループのメンバーが関わった決議については、ウクライナのギリシャ・カトリック教会のものや、政治囚関係のもの等、このような(ロシアが阻止できなかった)事例は多くあります。ソ連首脳部にとって、これらが気に入らなかったことは明白ですが、しかし、彼らは何もできなかったのです。

ウクライナ人コミュニティが米国でウクライナ利益を代表する主要なロビー

デチャキフスキさん、あなたは米国におけるウクライナ・ロビーなるものに言及しましたが、誰がこのロビーを代表しているのですか。

それは、何よりまず、アメリカのウクライナ人コミュニティです。ウクライナの独立以前に「ウクライナ民族情報サービス」や、「ウクライナ民族連合局」といった、組織が作られ、彼らがアメリカ議会やその他の組織と多くのことを行いました。現在、これら組織は、残っているものもあれば、消えたものもありますが、しかし同時に、新しい組織も誕生しています。また、以前ウクライナがアメリカにとっての「誰も知らない地(terra incognita)」のような存在だったことも指摘せねばなりません。しかし、アメリカのウクライナ人コミュニティや、それをサポートする人々が、ヘルシンキ委員会を含め、アメリカ議会と密接な関係を作っていったのです。

ウクライナ独立以降、多くのことが変わりました。ウクライナ人コミュニティは、現在まで重要な役割を果たしていますが、肯定的なことは、彼らは現在、ウクライナの立場をサポートする非常に多くの支持者、友人を有していることであり、その中には、ウクライナにルーツを持たない影響力のあるアメリカ人もいるということです。アメリカの多くの研究機関やNGOが、ウクライナに代表部を持っています。その流れには、元在ウクライナ米国大使や、過去の米国政府関係者も含まれます。彼らの多くが現在大きな影響力を持っているのです。彼らは、アメリカのウクライナに関する立場を強化しようと支援しているのです。

ヤロスラウ・ドウホポル、ワシントン

写真:ドウホポル

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